カテゴリー別アーカイブ: 社会と政治

社会と政治

ポピュリズムの背景、制度不信や中間団体の衰退

日経新聞経済教室連載「ポピュリズムに揺れる世界」が、良い分析をしています。その中から、ポピュリズムが生まれる背景、さらにはこれまでの安定した民主主義が揺らいでいる基盤の指摘が的確です。

1月30日の中山俊宏・慶応義塾大学教授の論考には「米国社会を構成してきた7つの制度に対する信頼度」が載っています。教会・宗教団体、公立学校、最高裁判所、連邦議会、新聞、労働組合、大企業の7つです。公的制度や団体です。
1980年代まで(一時を除き)45%近くあった信頼度は、その後急速に低下し、30%を切っています。

1月31日の水島治郎・千葉大学教授の論考には、日本の有権者の団体加入の変化が載っています。1989年(平成元年)と2018年(平成30年)の比較です。自治会・町内会は68%から25%に、農業団体は11%から3%に。他方で加入していないは、17%から44%に増えています。

・・・人々を束ねる中間団体が弱体化する中で、団体に属さない「無組織層」は激増した。今や有権者の半数に迫る。無組織層の増加は、無党派層の増加と裏表の関係にある。
無組織層の人々にとって、地縁や仕事絡みで団体に加入し系列の政治家・政党を支持する従来のルートはもはや縁がない。既成政党や既存の団体への不信も強い。選挙では団体の指示でなく、メディアやネットの情報を基に自分で判断する。既成政党に挑戦しようとする政治家も無組織層に直接アピールすることを狙い、既成政党や既存の団体を「既得権益」と批判する。既成の政党や団体を批判することが、無組織層にアピールするうえで効果的な戦略だ。
政党組織や中間団体などの媒体を経由しないという「中」を抜いた政治、すなわち「中抜き」政治が有力な政治のあり方となっている。中抜き政治の時代には、既成の政党や団体は20世紀型の古い政治を代表する旧来型システムの名残として批判の対象となる・・・
この項続く。

世界の長期的構造変化、改革と被害者

1月21日の日経新聞「月曜経済観測」、玉木林太郎・国際金融情報センター理事長の「試練の世界経済 長期の構造問題、議論必要」から。

・・・今の世界経済をどうみますか。
「世界は長期的な大きな構造変化期にある。グローバル化がモノやカネから人にまで及び様々な問題を引き起こす。デジタル化が企業や社会生活そのものを完全に変えようとしている。温暖化防止への脱炭素という課題ものしかかる。こうした要因が所得、資産の格差を拡大する方向に働き、政治的にはポピュリズム(大衆迎合主義)、反移民感情などにあらわれる」
「かつては経済の先行きはマクロ経済のトレンドをみればよかったが、今は長いスパンの構造問題の議論が必要だ」

―構造問題への対応が進んでいる国は。
「驚くかもしれないが、ある意味で中国、インドなど新興国はできあがったシステムがないので、解決法も見いだしやすい。先進国はできあがったシステムを壊さなければならない」
「トランプ米政権は炭鉱労働者を保護せざるを得ないが、中国は国全体の排出量取引市場を作った。やることが大胆でスピード感がある。デジタル化もそうだ。守るべきものがある人々と、ない人々の差だ」

―日本では過激な反動は起きていません。
「大きな抗議行動がないのは、敗者を生まないシステムだということだ。日銀は金融緩和をずっと続け、大胆な経済開放、規制緩和に踏み切らず、基本はゆっくりとした改革を続けている。徐々に競争力は低下するが、被害者という勢力は出てこない面もある」・・・

日本社会は変わった、年金制度が前提としていた家庭

1月19日の朝日新聞オピニオン欄「安心できる老後って?」、四方理人・関西学院大准教授の発言から。
・・・国民年金ができた1961年と現在では、人口構造が異なります。現在の年金は、現役世代が働いて支払った保険料を、そのまま高齢者の年金に回す「世代と世代の助け合い」です。支える側が減れば、保険料を上げるか、給付を下げるしかありません。
もう一つ、大きな構造変化は、家族です。当時はまだ、3世代同居が基本で、家族に養われることが高齢者の主な生計維持のあり方でした。それを前提として制度を考えたのだと思います。年金の水準も低いものでした・・・

・・・制度が前提としていた家族のあり方は、大きく変わりました。年金があるために高齢者だけでも暮らせるようになった面もあると思いますが、いまは3世代同居は少数派で、1割にすぎません。
高齢者の貧困はすでに深刻です。大きな要因は単身高齢者の増加です。1人分の基礎年金額が、生活保護制度で「最低生活費」と定められた金額を下回っており、生活保護に流入する高齢者が増え続けています。夫婦世帯を想定し、「2人分の年金でみれば、基礎的な消費支出を上回る」と説明してきた政府にとって、現在の状況は想定外だったでしょう。

より深刻なのは、「団塊ジュニア」と呼ばれる世代です。少子化対策が遅れ、下の世代に同じ規模の人口を残せませんでした。労働環境も変わり、非正規雇用が増えたため、厚生年金にも十分に加入できず、国民年金保険料の未納も多いです。団塊の世代に比べて団塊ジュニアは、低年金になる可能性が高いのです。
今のところ団塊ジュニア世代の経済状態は、極端に悲惨にはみえていません。安定した収入と持ち家を有する親と同居できているためです。親が仕事を引退しても親の年金をあてにできます。しかし、親が亡くなれば、自由に使えるお金は一気に減り貧困に陥る人がでてきます。配偶者や子どもを持たない経済的に困窮する高齢者が増えることは、社会全体にとってのリスクだと思います・・・

平成の歴史、介護保険制度

1月12日の日経新聞連載「平成の30年 高齢化先進国」は「介護の担い手 家族から社会全体に」でした。

介護保険制度が始まったのは、2000年、平成12年でした。もうすっかり定着したので、若い人は、これが昔からあるものだと思っているでしょう。
介護サービスを充実するために、1990年代に「ゴールドプラン」という政策が策定され、施設や職員を急速に増やしました。当時、私は自治省交付税課の課長補佐をしていて、「こんなにも金がかかるのか」と驚いたことを覚えています。
それまでは、家族が、といっても多くは、娘か嫁が父や母、祖父母の世話をすることが「常識」だったのです。サービス開始直後は、「ケアマネジャーを、家の中、寝室まで入れるなんて、恥ずかしい」という声もあったのです。

身近に、介護サービスを利用している例を見ていますが、この制度がなくては、家族は大変な負担だったでしょう。
発足当初、218万人だった要介護認定者は644万人に増え、介護総費用額は3.6兆円から11.1兆円に膨らみました。これも、制度が活用されている結果なのでしょう。

介護保険制度は大成功でした。この記事の副題にあるように、介護作業を家族から社会で引き受けるようになったのです。
このサービスのおかげで、どれだけの家族・女性が、自由時間を持てたか、社会に出ることができるようになったか。日本社会を変えた、行政制度だと思います。
介護保険制度10年

『正義とは何か』

神島裕子著『正義とは何か 現代政治哲学の6つの視点』(2018年、中公新書)を読みました。
9月に出版されてすぐに読んだのですが、感想がまとまらず、放ってありました。いつか書こうと、机に載せてあったのです。そのような本がたまってしまったので、片付けることにしました。読んだことを忘れないために、書いておきます。本格的に読まれた方は、軽蔑しないでください。

マイケル・サンデルさんの授業や著作が一世を風靡したのは、10年近く前のことでしょうか。読まれた方も多いと思います。私も、なるほどと思いました。
現代の哲学を再生したのは、ジョン・ロールズです。主著である『正義論』(新訳2010年、紀伊國屋書店)は700ページを越える大著なので、読み通した人は少ないでしょう(買って読んでません。反省)。

『正義とは何か』は、読みやすい本です。現在の政治哲学を、一通り学べるようです。
ところが私にとって、やはり「正義って何か、わからないなあ」です。これが、感想文が書けなかった理由です。まあ、そんな簡単に、正義や正義論がわかるものではないのでしょう。
今後も、頭の片隅に起きながら、勉強を続けましょう。ところで、そんな主題が多いのです。「制度」「秩序」「政治」などなど。最近このホームページに「ものの見方」という分類を作って、書きためるようにしています。

ところで、本論から離れて、次のようなことを考えました。
・哲学には、社会の哲学と、個人の哲学がある(Pⅱ)。正しい社会や正義と、個人が生きる際の拠り所、正しい生き方の2つです。
・哲人が考える正しいことと、民主主義が決める正しいことがある。2つをともに「正しいこと」として並べてはいけないのでしょうが。昨今のポピュリズムを見ていると、大衆が支持する「正しいこと」は、識者が考える正しいこととは異なるようです。

・何が善き生き方か。近代自由主義国家では、それは各人の判断に委ねています。社会に迷惑になることについては、法律で禁止、規制しますが。法律で規制、誘導するほかに、道徳やマナーによる誘導もあります。しかし、法律や道徳が守られるのは、それを守るべきだという規範意識が、国民に植え付けられるからです。社会秩序の基礎には、規範意識があります。
日本社会の強靱さは、ここに基礎を持っています。宗教心とともに、そのような習慣や規範意識は、重要な社会インフラです。社会関係資本や文化資本です。
善き社会とは何か。犯罪や事故が少ないといった話でなく、このソフトなインフラは、政治や行政ではあまり取り上げられません。
戦後日本の政治と行政は、善き生き方、善き社会といった話には触らないこととしてきました。善(good)や正(right)の価値判断であり、宗教や家庭での教育です。
豊かさや経済成長が課題だった時代は、この問題は隠れていました。しかし、成熟社会になった日本において、私は再考すべきだと考えています。