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社会と政治

治療。誰を優先するのか、誰を後回しにするのか

6月24日の朝日新聞夕刊、「医療のルール、事前に議論を ベッド不足、誰を優先するか」。児玉聡・京都大准教授のインタビューから。

――目の前に助けを求める人がいるのに、救える命は限られている。難しい選択です。
「限られた医療資源を緊急時にどう配分するかという問題は倫理学の古典的テーマの一つです。船が沈没した際、救命ボートに誰を優先して乗せるか。脳死患者の臓器移植先をどう選ぶか、などが過去にも議論されてきました」
「マスクが不足した問題も一例です。店で先着順に購入するのが通常ですが、この危機下では開店時などに店頭に並べない人にとっては不公平でした。需要が供給を大幅に上回り、供給をすぐに増やせないときには、何らかの配分ルールがなければ混乱が生じます」

――しかし、どの患者を優先的に治療するかという議論は、本人や家族も含めた社会的な合意を得られるものなのでしょうか。
「『誰を優先させるか』は、『誰を後回しにせざるを得ないか』とセットです。社会全体の利益が最大化できると見込めても、実際に優先順位が低くなる具体的な個人に不利益を強いることになる。人々の不安が高まる中で新たなルールをつくろうとすれば、摩擦や反発が起きるでしょう。ただ、日本にもこうした議論の蓄積はあります」
――どんな議論ですか。
「2009年から翌年にかけて流行した新型インフルエンザのワクチン供給ルールをめぐるものです。まずは医療や社会機能を維持する業務の従事者などの予防接種を優先させる。次に、重症者や死亡者を減らすために基礎疾患がある高リスクな人や高齢者を優先するのか、あるいは国や社会の将来を守ることを重視して子どもを優先するのか、が検討されました」
「国や関連学会が最悪の場合も想定した指針を示し、各病院が現場の実情に応じてアレンジできる態勢を早急に整えるべきです。どの国も合意形成に苦労しており正解は一つではないのですが、海外の事例からは多くを学べます。政治家や専門家らが根拠に基づく透明性が高い議論をすれば、市民の協力も得られるはずです」

「等」、明確にするのかあいまいにするのか

6月17日の朝日新聞オピニオン欄、「「等」の正体」が、良い視点から「等」という言葉の使い方を取り上げていました。厳密さを求めてつける「等」が、あいまいになるという逆機能を持っていることです。
詳しくは原文を読んでいただくとして、吉田利宏・元衆議院法制局参事の発言「恣意的解釈、ルールが防ぐ」の一部を紹介します。

・・・ 私は衆議院法制局に15年勤め、主に議員立法をつくる際の補佐をしてきました。最初に自分が書いた法案を見せた時の上司の言葉を今でもよく覚えています。「ここにある『等』は何を指しますか?」
それまで日常的に使ってきた「等」は、「それ以外のさまざま」をひっくるめる言葉でしたから、具体的に何を指すか、と聞かれてびっくりしました。法令用語としての「等」は厳密に使わないといけない、と知りました。
具体的に言えば、「等」の前にはもっとも代表的なものを置くこと、「等」で省略されるものを必ず全て列挙できること、これが法文で「等」を使うための条件なのです。

これと正反対の、あいまいで便利な「等」が今、あふれています。会社のコンプライアンスの必要性が叫ばれた頃から、ビジネス文書で増えてきました。まだ立場や方針が完全に一致していない同士でも、要所に「等」をつけておくと、全体として「同じ方向を向いている」という雰囲気が出るのかもしれません。
行政の世界もそうです。コロナ危機は誰にも想定外の事態だったはずです。まずは選択幅を広く取っておこうと、自粛要請の予定対象として「遊興施設等」「劇場施設等」という表現が使われました。政治家の場合は、互いに主義や立場が違う者同士が歩み寄るため、「社会情勢等の変化に対応する等」などと玉虫色の言葉を使えば何となく調整できた気になる。
でも法律の文章では「等」は厳密な用語です。私は「等」と書いた掛け軸を床の間にかけてもいい、と思うほど大切だと考えています。法律は国民の権利義務にかかわりますから、小さい言葉ほど軽く扱ってはいけないのです・・・

・・・「あなたの行為は、法律のこの『等』に含まれますので違反です」と罰則を科されたらたまりません。恣意(しい)的な解釈を防ぐため、厳密なルールで使われるべきなのが法文の「等」。覚えておいて損はないと思います・・・

幼児教育の重要性

6月14日の読売新聞、「新型コロナ 迫られる変化」、山口慎太郎・東大教授の「今こそ 家族に優しい社会へ」から。
・・・学びの場が大事だという点で特に強調したいのが、幼児への教育は社会全体にとって非常にメリットが大きいということです。
私の研究グループが国の調査データを分析したところ、家庭的、経済的に恵まれない家庭の子どもが保育園に通うと、多動性、攻撃性が減ることがわかりました。本人の学力の向上に役立つのはもちろん、少年犯罪の削減につながります。
幼児教育の効果を長期にわたって検証した米国の研究によると、きちんとした幼児教育を受けた人はそうでない人に比べて所得が高く、犯罪に手を染める回数が減り、生活保護の受給率が下がりました。幼児教育プログラムの費用対効果は、株式投資による収益率を上回ったのです。
一方で、各国の実証研究では、幼児教育の知能面への効果はそれほど長続きしないこともわかっています。いわゆる英才教育は実施直後には大きな効果が表れるのですが、小学校に入学後、数年たつと消えてしまう。幼児教育ではやはり、対人関係を築き、課題に対してきちんと対処するという「一生モノ」の能力が身につくことが大事なのです・・・

・・・やはりまだまだ、国として幼児教育に十分お金を使っていないと思います。国内総生産(GDP)に対する家族関係支出を見ると、スウェーデンなどトップクラスの国が3%台なのに対し、日本は1%台半ばで、先進国では低い方です。まずは目先の待機児童の解消のため、施設の整備、人材の確保にお金を振り向けるべきですし、将来的には義務教育年齢の引き下げも検討すべきでしょう。
自分には子どもがいない、子どもを持つつもりはないという人にも考えてもらいたい。自分が年老いた時、介護サービスや年金などの形で支えてくれるのは子どもの世代です。幼児教育の効果ははっきりしており、そこにお金をかけるのは誰にとっても利益があることなのです・・・

愚行の歴史

6月14日の朝日新聞、日曜に想う、福島申二・編集委員の「あるべきアメリカ 求める人々」から。

・・・アメリカとは、最高裁判所の長官がこんな名言を残す国でもある。
「私はいつも新聞をスポーツ面から開いて読む。そこには人間の成し遂げたことが載っている。1面は人間のしでかした失敗ばかりだ」
ことばの主、故アール・ウォーレン氏は米司法界の大重鎮で、ケネディ大統領暗殺を調査した「ウォーレン委員会」にもその名を残す・・・

「国民の皆さん・・・」

「国民の皆さん・・」という呼びかけがあります。
例えば、総理が記者会見で使われます。5月25日「全ての国民の皆様の御協力、ここまで根気よく辛抱してくださった皆様に、心より感謝申し上げます。」
また、NHKの人気番組「チコちゃんに叱られる」で、森田美由紀アナウンサーが、「今こそすべての日本国民に問います・・・」という決めぜりふを使います。

ある人が、「在日外国人は、対象ではないのか」と、疑問を呈していました。
う~ん、難しい問題ですね。
森田アナウンサーのセリフは、お笑いでしょう。ところが、コロナ対策は、日本にいるすべての人が対象になります。逆に、海外にいる日本人は対象外でしょう。そんなに目くじらを立てる話ではないのでしょうが。

これまで意識せずに、「日本にいる人=日本人」と使っています。これだけ外国人(定住者、旅行者)が増えると、どのような表現を使うとよいのでしょうか。「みなさん」では、対象が確定できませんが、それを使うのですかね。あるいは「日本の皆さん」とか。

日本よりはるかに(その国にとっての)外国人が多い諸外国の指導者は、どのように呼びかけているのでしょうか。
アメリカでは、政治指導者が国民に呼びかける際に、次のような言葉を使っているようです。
「米国の皆様」Americans、American people 、American public
「米国の納税者」American taxpayers
「米国市民」citizens