カテゴリー別アーカイブ: 社会と政治

社会と政治

アメリカの文化戦争

11月3日の朝日新聞オピニオン欄、ジェームズ・ハンター、アメリカ・バージニア大学教授の「文化戦争、懸念される暴力」から。

米国では「文化戦争」が長く続いてきました。代表例は人工妊娠中絶への賛否でしょう。時代とともにテーマは変わります。同性愛の権利や性的少数者の権利も長く争われてきました。最近では新型コロナ対策と、争点は無限にある。ただ根源には、米国民の世界観の対立があります。
何が善い人生で、何が善い生活なのか。米国は一つの国でありながら、文化が異なる二つの太陽系に住んでいるようなものなのです。

もともとは宗教派と非宗教派の争いでした。しかし、2008年のリーマン・ショックを経て、「階級間の文化戦争」に発展してきた経緯があります。高学歴で非宗教的なエリート層(進歩派)と、高学歴ではない中流階級や労働者階級の人々(保守派)との対立が現在の姿です。
この力学を利用したのがトランプ前大統領でした。16年の大統領選で、民主党のヒラリー・クリントン候補がトランプ支持者を「みじめな人々」と呼んだように、保守派は進歩的な人たちに見下されていると感じていた。そこにトランプ氏が現れたのです。

我々が実施した調査によれば、保守派も進歩派も、互いに相手が「存在しなくなればいい」とまで願っている。1990年代には見られなかった現象です。過去と異なり宗教色はかなり薄まり、むしろ、自分たちの「生き方」が危機に直面しているとの感覚が強まっている。だから文化戦争は激化しているのです。
物事は多面的であり、核となる合意がなければ社会は成り立ちません。連帯がなければ、一方が強制的に押しつけられる状況になる。それがいま起きていることなのです。

フランスの宗教対策

11月1日の朝日新聞、大石眞・京都大学名誉教授、宗教法学会理事長の「カルト対策、一過性で終わらせず 先進国・フランスに学ぶこと」から。

――フランスでは2001年に同法(セクト規制法)が制定されました。
「私は、今のフランス社会と宗教との関係の特徴は、法整備にあるのではなく、情報の発信のしかたにあると感じています」
「1990年代から政府にセクト対策の監視団が設けられ、現在は02年に首相直轄の機関として設置された『関係省庁セクト逸脱行動に対する警戒・対策本部(ミビリュード)』があります。この機関は、『人権・基本的自由を侵害するか、公共の秩序の脅威となり、または法令に違反する活動』を行う団体の監視や分析、情報発信などの任務を担い、被害者本人からの相談も受け付けています」
「03年に年次報告書を出して以降、随時情報を更新しており、セクト的な性格を持つ活動に関する相談事例は年々増えていることがわかります。被害にあった当事者からだけではなく、学校や自治体などで被害者と接点がある公務員など第三者からも本部に通報が寄せられており、セクト的な逸脱行動への危機感が社会的に認識され、相談機関の存在が周知されている様子も伝わってきます」

――被害の相談を受けるだけではなく、積極的な注意喚起もしているのですか。
「未成年者向け、公務員向け、若者向けなど、それぞれ対象を想定して注意喚起を行うガイドブックなども出しています。宗教との向き合い方を多くの人が考えられるという意味でも、政府も関わって継続的に情報を収集し、発信する仕組みが整っている意義は大きいと思います」

――フランスには、宗教団体など問題がある団体を解散させる制度があります。
「対象となるのは、刑法・公衆衛生法・消費法で定められた特定の罪に該当する行為をしたことによって、『心理的・身体的な隷属』をもたらす団体に限られています。特定の団体そのものが悪いのかどうかということではなく、その団体が取っている行動について、法を逸脱する行為があったときには取り締まるようにする。団体の教義や特殊性に着目して判断するのではなく、個別の行為に着目するべきなのです」

――宗教団体による反社会的な活動は、過去にも問題となったことがありました。
「日本のマスメディアも行政も、この課題を一過性のものとして捉えてはいけない、と指摘したいと思います。国会も、同じです」
「フランス議会の下院では、これまで3度にわたって調査特別委員会が設けられ、そのたびに報告書が公にされてきました。日本では、継続的な注意喚起や情報収集、公開といった活動が足りていないのです」

移民との共存

10月13日の朝日新聞オピニオン欄、アメリカの政治学者・ジャスティンゲストさんの「移民とつくる「私たち」」から。移民が増えることで、「この国のかたち」をどうつくるかが問われています。

・・・外国からやってきた人が住民の多数になりつつあるコミュニティーは、日本にもすでにいくつも存在する。そこでは、「私たち」と「彼ら」を分ける意識が生まれる一方、共に生きる道を探る動きもみられる。米国の白人労働者層や、移民が多数派になった国々の調査で知られる米政治学者に、「私たち」の再定義について聞いた・・・

――新著「Majority Minority」では、少数派である移民が多数派になった国や地域を調査していますね。私は外国人住民が半分以上の埼玉県川口市の芝園団地に住んでいるのですが、ナショナル・アイデンティティーの再定義について論じていることに関心を持ちました。
「私が調査した国や地域(シンガポール、トリニダード・トバゴ、バーレーン、モーリシャス、米ハワイ、米ニューヨーク)は、いずれの社会も最終的には反動を経験しました。移民が増えると人々は不安になり、人口動態の変化を心配するようになったのです。こうした経験をした国々では、多様化する社会における国や国民の定義とは何か、『ナショナル・アイデンティティー』をどのように新たにつくり出すかという問いが生まれます」
「つまり、ナショナル・アイデンティティーを何らかの形で調整し、より包摂的なものにするのかしないのか、という選択です」

――では、日本はうまく対応できているのでしょうか。
「日本がしていることは、外国人に『一時的な労働者』というレッテルを貼ることです。『よく思わないかもしれませんが、彼らは長く日本に住むわけではないので心配しないで下さい』というものです。私は二つの理由から、これは有害だと考えています。一つには、外国人労働者のなかには在留期間を更新すれば無期限に住める人々もいるので、『一時的』という説明は正直ではありません」
「もう一つの問題点は、国家にとっての弊害です。外国人に『あなた方は一時的滞在の労働者だ』と言うことは、相互理解のための人間関係に投資していないことになるからです。彼らはイノベーター、発明家、経営者として社会に貢献する権利も与えられないかもしれない。外国人の側も社会に溶け込もうとしなくなり、人々は『外国人は社会に溶け込もうとしないからいらない』と考える負のサイクルに陥ってしまいます」

――日本の場合は、労働力や競争力確保のために外国人は受け入れるが、民族的なアイデンティティーは保ちたいという考えが、定住を前提としない受け入れにつながっていると思います。
「そうでしょうね。ただ問うべきは、『Who we are(私たちは何者か)』とエスニシティー(民族性)を、デカップル(切り離すことが)できるかどうかです。私はできると思います。『日本人とは何者か』ということには、市民的な要素が含まれていると思います」

――市民的な要素とは、例えばどういったものですか。
「まずは米国について考えてみましょう。米国には、民族や宗教とは関係なく、地球上のどの国とも違う、アメリカを特徴づけるあるものがあります。その一つが『可能性』という考え方で、アメリカンドリームという概念につながるものです。これは人種や宗教、民族とは関係ありません。市民的なものです」
「日本では、外国人が日本人の真骨頂である特性を取り入れることは、そんなに不可能なことなのでしょうか。私自身は、どの国でも可能だと考えています。例えば忠誠や協調、信頼といった価値観や、細部にまで気を配ることです。これらは、たとえ自分の家族がこの国にルーツや先祖を持っていなくても、外国人が取り入れ、見習い、体現し、愛するようになることができる日本人の特徴だと思います」

30年後の世界予測と課題解決

9月22日の日経新聞、ジャック・アタリ元欧州復興開発銀行総裁の「30年後の課題解決、カギは個人に」から。

人類は太古から未来予測を試みてきた。旅立ち、種まき、出産、開戦などに適した時期を探り、自らの死期、計画の行方、企業や国家の運命を占ってきた。かつては動物の内臓、コーヒーカップに残る粉の形、落ち葉、薬物による錯乱状態などが用いられた。やがて科学的に天候などが占われるようになり、今日、地球と人類の未来は、かなり正確に予測できる。
2050年の世界人口、気候変動、自然環境は、ほぼ正確に予測できる。一方、技術進歩の未来予測では不確実性が高まり、医療、教育、食糧、水資源の利用、労働組織、地政学的な緊張、紛争の勃発、移民の動向、政治的イデオロギーや宗教的価値観などでは不確実性がさらに高まる。これから私の未来予測を披露したい。

まず、気候では30年後、南アジア、イラン、クウェート、オマーン、ソマリア、エジプト、エチオピアなどでは、猛暑で居住が困難になる。ブラジルとメキシコも同様だ。パキスタン、バングラデシュ、英国、オランダも洪水の頻発で住めなくなる。

教育ではデジタル技術の発展により、読み、書き、計算、プログラミングは、学ぶ必要がなくなる。神経科学の進歩に伴い、ゲーム感覚で独学できるようになり、アフリカやインドでは伝統的な学校制度が崩壊、富裕層の子弟向けの私立学校が増える。学校を経ず、まずはインターネット、次にホログラム、仮想空間などを経たデジタル教育が急速に普及する。

地政学と戦争では、国家や社会集団間の不平等が拡大し、水など不可欠な天然資源の利用に著しい格差が生じると緊張が高まる。その結果、ウクライナのような地域紛争が続発するかもしれない。特に台湾での紛争、イランや北朝鮮で独裁者の生き残りを賭けた行動が予想される。中国は世界の覇権を握れず、内政に専念せざるをえなくなり、軍事的な賭けに出る。
こうした流れを変えるような世界規模の行動が起こるとは考えにくい。世界政府も、何をなすべきかというコンセンサスも存在しないからだ。とはいえ、衛生、環境、政治に関する問題が続発すれば地球規模でなければ解決できないというコンセンサスができる。
解決のための目標設定は、世界よりも、国、企業、個人のレベルのほうが容易だ。意思決定の主体が小さいほど、また主体の将来への影響が大きいほど、目標設定は簡単になる。全員が一丸となって命の経済を目指すのなら、30年後の未来は明るいだろう。

NPOによる政策形成

9月19日の朝日新聞オピニオン欄に、秋山訓子・編集委員が「政策形成の新潮流 NPO×政治家、課題解決へつなぐ」を書いていました。

政治家や官僚、業界団体による伝統的な政策形成のあり方が少しずつ変化している。社会課題に取り組むNPOや社会的企業の中から、現場での問題解決だけでなく制度を変えようとする人々が動き出し、政治と結びつくようになってきた。
2021年、菅義偉政権で「孤独・孤立担当相」が新設された。英国に続き世界で2例目だったが、これはあるNPOの活動が始まりだった。

「孤独」のような課題は新しい。複雑化、多様化した社会で官僚は現場の動きについていけず、情報収集能力も落ちている。高度経済成長時代には政治家、官僚、業界団体が票とカネを媒介に結びついた、いわゆる「鉄の三角形」による政策形成が主流だった。だが、少子高齢化で財源は限られ、無党派層も増えて、この構造は崩れかけている。縦割りの省庁より、先駆的で柔軟なNPOや社会的企業のほうが新しい課題に取り組みやすい面がある。

1980年代以来の行政・政治改革で官邸機能が強化され、首相が指導力を発揮するようになった。NPOなどでも首相やその周辺とうまくつながれば、政策実現可能性が高まる。孤独担当相創設はその例といえる。
NPOに対しては自民党内に偏見もあったが、若い世代が増えると受け止め方が変わってきた。女性や障害者など、自民党が従来あまり触れなかった課題もNPOと連携して政策化する例が出ている。NPO側も、政策実現のため与党志向が強まっている。

孤独担当相の創設に関わった加藤氏(現厚生労働相)は、政治家とNPOなどが協力し合う意義をこう語る。「政治だけで何でも解決できる時代ではない。行政は縦割りであり、制度をきれいに作ってしまいがちだが、機能しないことも多い。政治家がコーディネーターとなり、NPOや社会的企業、官僚、研究者など関係者でフラットに政策を議論することが必要だ」
このような政策形成の実例は、まだまだ少数だ。だが多様化した社会で、新しいやり方が出てくるのは時代の必然ともいえる。政治家も官僚もNPOも、社会の課題を解決するという目的自体は同じだ。手を携えながら政策づくりをどのように進めていくか、さらに知見を積み重ねていくことが必要になるだろう。