カテゴリー別アーカイブ: 復興10年

町の復興、高台移転とかさ上げの違い

過大な町づくり批判」を考えていて、気がつきました。高台移転と、かさ上げ(区画整理)では、同じ町の復興でも、内容は違うのです。

高台移転では空き地が比較的少なく、かさ上げ(区画整理)で空き地が生まれした。その理由の一つでもあります。
高台移転は多くの場合、住宅だけです。それに対し、区画整理は町の中心地で行われ、住宅以外の商業用地なども含まれています。高台移転では、予定者数が減った場合、それは住宅の戸数減であり、その分だけ宅地や住宅の工事を止めれば良いのです。ところが、町の中心部を復興する場合は、そうはいきません。

民間出向者による産業復興支援

復興庁が、「岩手/宮城/福島 民間出向者による東日本大震災被災地産業復興支援事例集2012-2020」を制作しました。

復興庁では、民間企業から職員(139 名)を派遣してもらい、「政策調査官」として、知見を活かした産業復興支援を行っています。私が、産業再開支援で人とノウハウの支援として紹介する「結の場」も、彼ら彼女らの発案と実行でできたものです。そのほか民間連携
本事例集では、奮闘の様子や苦労話などを、関係事業者との対談形式で紹介しています。

政策調査官の成り立ちは、事例集の5ページに漫画で載っています。私も、お礼の意味を込めて、寄稿しました。46ページです。
職員を派遣してくださった会社は47ページに、支援した事業者は48ページに載っています。ありがとうございました。

「民間事故調最終報告書」

アジア・パシフィック・イニシアティブ(船橋洋一代表)著『福島原発事故10年検証委員会 民間事故調最終報告書』(2021年、ディスカバー・トゥエンティワン)を紹介します。民間事故調報告書(2012年)に続く、第2弾です。民間事故調が「備え」に焦点を当てたのに対して、今回の第二次民間事故 調は「学び」に照準を合わせて検証しています。
私は原発事故には関わっていないのですが、船橋さんに呼ばれて、インタビューを受けました。少しだけですが、発言が載っています。復興過程においての話です。船橋さんは、ほかに『福島戦記 10年後のカウントダウン・メルトダウン』上・下(2021年、文藝春秋)も出版しておられます。

原発事故については直後に、国会、政府、民間の事故調査委員会が、詳しい報告書を出しました。しかし、まだ抜け落ちている問題、十分には検証されていない問題があると思います。それぞれの事故調は、なぜ事故が防げなかったか、冷温停止ができなかったかという、原発内の作業と官邸の指揮に焦点が当てられています。それは最も重要なことですが、原発の外で起きていた問題が十分に取り上げられていません。

一つは、事故当時の住民への避難誘導、国民への説明です。放射線で死んだ人はいないのですが、避難作業が適切でなく、避難途中で何人もの人が命を落としています。この責任を、明らかにすべきです。
もう一つは、避難指示区域の設定、賠償、復興についてです。これはまだ進行形ですが、10年経った今、一定の検証をしておくべきです。
政府が自ら検証しないとすると、国会や報道機関に期待するのでしょうか。

NHKウエッブサイトに載りました。

NHKウエッブサイト、政治マガジン「死ななければ、帰れないのか」(3月17日掲載)に、私の取材が載りました。原発被災地、帰還困難区域の扱いについてです。

原発事故による放射線量の高い区域を、政府(原子力災害対策本部)は、3つの区域に分けました。放射線量が低く早く帰還できる区域(避難指示解除準備区域、緑色)、少々放射線量が高く除染をして帰還を目指す区域(居住制限区域、黄色)と、放射線量が高く当分の間帰還ができない区域(帰還困難区域、赤色)です。
このうち、解除準備区域と居住制限区域は、既に避難指示を解除しました。残っているのが、帰還困難区域です。

3つに分けたのですが、「避難指示解除準備区域、居住制限区域」と「帰還困難区域」とは、扱いが大きく違ったのです。前者は帰還することを前提とし、待ってもらう区域です。賠償も、待ってもらう間のものとして計算されています。
他方で、帰還困難区域は長期間帰れないことを前提に、賠償を払った地域です。故郷喪失慰謝料や、新しい土地での住宅建設について不足する金額も支払われています。多くの人も、それを前提に新しい生活を始めておられます。
その帰還困難区域で、放射線量が予想以上に早く減衰したので、帰ることができる地域も出てきたのです。これは、うれしい誤算です。しかし、まだ放射線量が高い地域もあります。
放射線量が下がって帰還できるようになったら、その区域は避難指示を解除することはできます。まだ放射線量が高いところを除染して避難指示解除を急ぐかどうか。そこで、記事にあるような問題が生じているのです。

この件については報道されているのですが、このあたりのことがきちんと書かれていないようです。当事者でない私が発言するのはおかしいかもしれませんが、取材に応じて、解説しました。

損保会社、損害査定と保険金支払いの進化

3月9日の日経新聞に、「損保、災害支払い迅速に」「東日本大震災を機に初動改善 地震保険契約、なお7割」が載っていました。
・・・東日本大震災の発生から11日で10年が経過する。同震災は損害保険会社の地震への初動対応を磨く契機となった。デジタル技術の活用や新商品の開発により素早い保険金の支払いを実現し、被災者の生活再建を支える。一方、地震保険の契約率は全国平均でまだ7割にとどまる。地震大国における備えはなお途上だ・・・

東日本大震災では、損保各社が、被害の全容もつかめず、合計1万人もの社員を現地に派遣して、人海戦術で損害と保険金額を判定していました。
最近では、気象庁の数値を元に、被害予測を行います。「あいおいニッセイ同和損害保険。リアルタイム被害予測ウェブサイト cmap」。これは優れものです。
そして、被災者が写真などで自己申告し、現地に行くことなく査定が始まります。

10年間での対応の進化が表になっています。
事故の受付は、電話やFAXだったのが、スマートフォンで必要事項を入力に変化。
請求書は、郵送だったものが、書類や写真をウエブで送ることに。
事故対応は、現地に社員を派遣していたのが、リモートでできるようになり全国で分散に。
立ち会い予約は、電話で調整していたのが、行程を自動で算出するようになりました。

他方で、地震保険の普及が低い地域があることも指摘されています。また、3月13日の日経新聞の記事によると、火災保険に地震保険を併せて契約する企業の割合は、1%と大震災の前とほとんど変わらない。また日本の企業保険の保険料が国内総生産に占める比率は0.8%で、自然災害が少ないイギリスの1.1%より低いのだそうです。「日本は変われたか 大震災10年(4)ゼロリスク思想 油断招く