「政治の役割」カテゴリーアーカイブ

行政-政治の役割

コロナ感染対策、専門家と政治の役割

5月24日の朝日新聞くらし欄「コロナ5類、専門家たちの葛藤2」、押谷仁・東北大教授の発言から。

・・パンデミック対策として集中治療室(ICU)や人工呼吸器が足りなくなる状況を誰も考えていませんでした。政府が考えていたのは初期対応だけ。少数の感染者が発生した際に保健所が入院調整し、患者は感染症指定医療機関に入院し、保健所が聞き取り調査をするところまでです。
こうした対応ではパンデミックが起きると3日で破綻しますが、医療が維持できなくなることは「起きないこと」になっていました。原発事故が「起きないこと」になっていた福島の事故の背景と同じです。

感染症疫学の専門家の仕事は「Aの選択だと1千人亡くなる」「Bの選択だと1万人亡くなる」などと示すことです。どの選択をするかは、選挙で選ばれた政治家が決め、選択をした理由を説明するべきです。
日本の政治家はそれをしておらず、専門家が対策を決めているかのように誤解され、批判の矛先が向きました。政府は「感染対策に万全を期した上で経済を回す」と言いますが、おとぎ話でしかないと思います。対策緩和で感染リスクがどの程度高まるかは、政府が説明すべきです・・・

アメリカ政府の経済戦略

5月18日の日経新聞オピニオン欄、小竹洋之コメンテーターの「オブラートに包む米国第一」から。

・・・米バイデン政権が「ニュー・ワシントン・コンセンサス」と称される経済戦略の理論武装に躍起だ。安全保障の強化、成長の促進、そして温暖化の防止を目指し、政府が繰り出す産業・通商政策などのパッケージである。
サリバン大統領補佐官(国家安全保障担当)やイエレン財務長官が4月の講演で体系化し、国内外で話題を呼んだ。19〜21日に広島で開く主要7カ国首脳会議(G7サミット)では、バイデン大統領が要諦を説くという。

1989年の冷戦終結後に普及したワシントン・コンセンサスは、市場の機能を尊ぶ「小さな政府」の政策体系だ。米政府と国際通貨基金(IMF)・世界銀行が推奨し、経済運営の手本として長く影響力を行使してきた。
しかし産業の空洞化、地政学上の競争、気候変動、格差の拡大という4つの課題に直面し、「新たなコンセンサス」が求められているとサリバン氏は説く。国家の介入を重んじる「大きな政府」の政策体系への転換である。
市場の「見えざる手」をつかんでは持ち上げるかのごとく、政府が進路を指示してきた――。米経済学者のスティーブン・コーエン氏らは2016年の著書に、市場ではなく政府こそが米国を繁栄に導く主役だったと記した。
新コンセンサスの哲学は、その延長線上にある。同時に「米国第一」の野心をオブラートに包み、トランプ前政権より穏当な経済ナショナリズムや保護主義を正当化するための方便でもある・・・

記事には、旧ワシントンコンセンサスの10政策と、新しいワシントンコンセンサスの5分野が表になって載っています。
自由主義、市場経済主義のアメリカが、このような形で政治が経済を主導します。

防衛議論

5月17日の朝日新聞オピニオン欄「生煮えの防衛論議」、黒江哲郎・元防衛事務次官の「国守る覚悟で、具体的な対案を」から。

――防衛論議が生煮えだと思いませんか。
「議論が深められたかといえば、必ずしも深められていないと思います。残念です」

――残念とは。
「国家安全保障戦略の見直しは、1年前に岸田文雄首相が明らかにしていて、国会議員もメディアもわかっていた話です。政府のヒアリングもあって、論点や意見が公表されています。反対なら反対で、考え方をまとめ、論拠を示して議論すればいい。それなのに、国会では『政府が何も答えない』というところで議論が止まっている。これは非常に残念です。この国際情勢でどうやって国を守るのか。具体的な対案を示さなければ議論が成り立ちません」

――対案を出す前提として、情報提供が不十分なのでは。
「私は十分だと思います。当然、秘密は出せませんが、公表できる情報は出しているし、説明もしている。そもそも野党の一部は、本格的な議論をする気がないんじゃないですか。質問だけして、『政府が悪い』という印象づけをしている。政策論議になっていません」

――賛否はともあれ、具体的な議論をしてほしい、と。
「防衛力強化への反対論には『では、どうするんですか』と聞いてみたいんです。かねて、日本の防衛論議は『分断』の典型で、交わらない前提で批判されることが多い。いくら説明しても聞いてもらえず、むなしくなります。防衛費も増やさず、反撃能力も持たずに、どうやって国を守るんですか。本当に対案があるなら、教えてほしい。きちんと論証し、議論を深めてもらいたいと思います」

本土の沖縄論

5月16日の朝日新聞オピニオン欄「沖縄の語り方」、安里長従さんの発言から

・・・歴史をたどれば、薩摩藩による琉球侵攻は経済搾取でしたし、沖縄戦もあった。米統治下における人権の制限、復帰後も日米安全保障条約を維持するための装置としての沖縄振興の問題もある。歴史的に続く非対称な権力関係の中での貧困問題なのです。

本土の左派は沖縄に寄り添うと言いますが、日米安保に反対なので沖縄から本土への米軍基地移転に反対します。結果、基地は沖縄に置かれ続ける。沖縄の負担軽減が目的ではなく、自分たちの願望を実現するために沖縄を手段として語っているわけです。

ここには構造的な差別があります。本土が優先され、沖縄が劣後という構造的差別です。沖縄の貧困も基地問題も、「自由の不平等」という同じ根から生じた構造的な問題なのです。でも、本土の沖縄論はそこに触れません・・・

選挙を伴う権威主義

5月10日の朝日新聞夕刊、東島雅昌・東京大学准教授の「権威主義の国、民主主義の国 現実の政治は何色か」から。

・・・一方において、独裁政治の特徴は近年大きく変化している。スターリンやヒトラー、毛沢東といった歴史上の独裁者たちは暴力と抑圧を用いて体制の力を誇示した。対照的に、シンガポールのリー・クアンユー、ベネズエラのチャベス、カザフスタンのナザルバエフなど現代の独裁者たちは、利益誘導によって人々の「自発的支持」を取り付け、選挙ルールを戦略的に変更して自らの望む選挙結果を得るなど、剥き出しの暴力と不正にできる限り依存しない統治手法をとる。権威主義も民主主義を装うようになっているのだ。

 他方、長らく安定した民主主義であった国々でポピュリスト政治家が台頭し、人々の権利や自由が脅かされている。政治指導者の横暴を抑止する権力の抑制と均衡の仕組みは、一部のエリートの既得権益を守り、「真の民意」を損なうものだと攻撃される。党派の異なる支持者たちの暴力的対立も起きている。

 公正で自由な選挙は現代民主主義の基礎であり、それが独裁制と民主制を分ける試金石だ。しかし、このことをもって、「抑圧=権威主義、自由=民主主義」という図式で世界を色分けすることはできない。「民主主義陣営」と「権威主義陣営」の二項対立が取り沙汰される今、我々が予断を排して現実の政治を観察する必要性は、これまでになく高まっている・・・