カテゴリー別アーカイブ: 政治の役割

行政-政治の役割

忘れられた成長の「約束」

3月30日から日経新聞が「検証 異次元緩和10年」を始めました。
・・・10年にわたって異次元緩和を進めてきた日銀の黒田東彦総裁が4月8日、退任する。発行済み国債の半分以上を日銀が買い上げ、長短金利を押し下げてきたが、目標とした賃上げを伴う物価上昇の実現はいまだ道半ばだ。日銀と共同声明(アコード)を結んだ政府の成長戦略も十分だったとは言いがたい。日本経済をどう押し上げていくのか、実験的な金融政策の総括が必要となる・・・

第1回の「忘れられた成長の「約束」 日銀頼み空転で実質賃金5%減 政府、経済構造変革せず」から。
・・・金融緩和に消極的な白川氏から黒田氏に総裁が代わり、円相場は就任時の1ドル=90円台から2年で120円台まで下落。日経平均株価も1万2000円台から2万円台に上昇した。
ただ、異次元緩和が「虚像」だった面も否めない。緩和開始時の長期金利は0.6%前後で、現在の日銀の許容上限である0.5%と大きくは変わらない。国内銀行が融資する際の約定平均金利(新規)は1%から0.7%に下がったが、長く緩和を続けてきた日本に金利の低下余地はほとんど残されていなかった。

実体経済への影響も鮮明とはいえない。22年10~12月期の実質国内総生産(GDP)は546兆円で、異次元緩和前から5%伸びた。戦後2番目に長いアベノミクス景気が実現したが、年率では0%台という低成長から抜け出せなかった。
民間企業の設備投資が16%増えたが、家計の最終消費支出は2%減った。賃上げは広がらず、成長のエンジンである個人消費は低迷した。22年の実質賃金(指数、従業員5人以上の事業所)は13年から5%減少した。
共同声明はなぜ成長押し上げにつながらなかったのか。とりまとめを政府側で担当した松山健士元内閣府次官は「日銀は合意に沿って最大限努力してきた。成長力や格差など政府に課題が多く残っている」と語る・・・

・・・科学技術・学術政策研究所の「科学技術指標2022」によると、日本の研究開発費総額は17.6兆円。米国(71.7兆円)、中国(59.0兆円)に続く主要国中3位だ。しかし、00年からの研究開発費の伸び(実質額ベース)は中国の14.2倍、韓国の4.6倍、米国の80%増と比べ、日本は30%増と見劣りする。
経済の実力を示す潜在成長率は10年間で0.9%から0.3%まで下がった。1人当たりGDP(購買力平価ベース)は17年にイタリアに抜かれて主要7カ国(G7)の最下位に転落。18年に韓国に逆転された。低金利下で低収益企業が温存され「生産性を引き上げる経済の新陳代謝が起きなかった」(BNPパリバ証券の河野龍太郎氏)・・・

憲法解釈で銀行救済

3月31日の日経新聞「真相深層」「クレディ・スイス救済で異例の憲法解釈」から。

・・・信用の揺らいだ銀行の救済は是か非か。米国のシリコンバレーバンクが破綻すると、1万キロメートル離れたクレディ・スイス・グループに信用不安が広がった。究極の選択を突きつけられた米欧の金融当局は相次いで「救済」カードを切った。リーマン・ショック後に強化したはずの金融規制の在り方が問われている。

「連邦憲法に基づく措置だ」。日本の内閣に相当するスイス連邦内閣は3月19日、声明を出した。UBSによるクレディ・スイス買収が発表されたこの日、スイス政府は緊急法令を制定。スイス国立銀行(中央銀行)が流動性を供給し、スイス連邦金融市場監督機構(FINMA)が経営統合をお膳立てした。
2.2兆円のAT1債を無価値にすることを命じたのもスイス政府。声明は今回の措置が国を挙げた救済劇であることを明確にした。

異例の介入を可能にしたのが、対外関係を定める憲法の184条と安全保障を規定する同185条だ。184条には「国の利益の保護のために必要とされる場合には、連邦内閣は、命令を制定し、及び決定を下すことができる」とある。185条は「急迫の重大なかく乱に対処するため」の命令を規定している。安全保障の条文を銀行救済に適用したことに、日本の金融庁も「研究に値する」(幹部)と驚く・・・

敵は後ろに

韓国のユン・ソンニョル大統領が、日刊の懸案事項だった元徴用工問題について、韓国国内に反対論も強い中、英断を持って解決策を提示しました。そして、国内の反発に対して、「日本はすでに数十回にわたり、私たちに歴史問題について反省と謝罪を表明している」と述べたとのことです。3月22日付け日経新聞「「日本すでに数十回謝罪」韓国大統領 反日の政治利用けん制」。

・・・韓国の尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領は21日の閣議で、元徴用工問題などの歴史問題に対する自らの立場を表明した。「日本はすでに数十回にわたり、私たちに歴史問題について反省と謝罪を表明している」と述べ、反日を政治利用しないよう呼びかけた。
16日の日韓首脳会談で日本から謝罪表明がなかったと国内で反発がある点を意識し「韓国社会には排他的民族主義と反日を叫びながら政治的利益を取ろうとする勢力が厳然と存在する」と言及した。
日本の謝罪表明の具体例として、1998年の日韓共同宣言と、日韓併合から100年にあわせ日本が表明した2010年の菅直人首相(当時)の談話に触れた。16日の会談で岸田政権が1998年の宣言を継承する立場を明確にしたと説明した・・・

組織間の交渉は、しばしば相手方ではなく、味方に敵がいます。ようやく妥協できる案にたどり着いたのに、「そんな甘い案では認められない」と、自分の方の代表を揺すぶるのです。そして長期的・全体的な視野でなく、勇ましい強硬論が民衆に受けます。組織の利益を考えるでなく、時には代表者を引きずり下ろして自分が代表者に取って代わろうとしていることもあるのです。

すると、交渉相手方も、その代表の立場を考える必要があります。強硬策を主張して相手の背後の「敵」を勢いづかせて交渉を破談にするのか、できる範囲でその代表を支援するのか。
3月29日の朝日新聞夕刊に、鈴木拓也記者が「関係改善へ 韓国大統領の決断、どう応える」を書いています。
・・・「解決策」を出せば解決ではない。韓国では日本の関わり方が不十分との声が強く、世論の理解を得たい尹政権は、寄付に日本企業が加わることを期待する。
だが、日本企業が寄付をする気配はない。岸田氏が首脳会談後の記者会見で、直接的に植民地支配への「反省」や「謝罪」に言及しなかったこともあわせ、韓国では日本側の呼応が不十分と見る向きが強い・・・
・・・次は岸田氏の訪韓の番だ。日本の「VIP」はどんな決断とメッセージを携えて来るか。尹政権内で期待と不安が交錯している・・・

「経済学者もあきれる物価対策」

3月31日の日経新聞「大機小機」、「経済学者もあきれる物価対策」から。

・・・政府は3月22日に追加の物価対策を決めた。前回分も合わせた財政支出は15兆円に及ぶ。筆者が不思議に思うのは、これだけの大規模な経済政策について、経済学者の側からほとんど議論が出ないことだ。筆者が経済学者を代表できるわけではないが、その理由を想像してみよう。

第1に、経済学者は、交易条件が悪化してしまったら、日本の経済状態は悪化せざるを得ないことを知っている。2022年には輸入価格が大幅に上昇したため、15兆円もの交易損失が発生した。このため実質GDP(国内総生産)は1.0%増加したが、実質GNI(国民総所得)は1.2%も減少した。生産活動は増えたのだが、国民の所得水準は低下したのである。
物価対策は、この交易損失を財政で埋めようとしているように見える。これは、現世代の負担を将来世代に置き換えているだけだと経済学者は考えるのではないか。

第2に、経済学者は価格の資源配分機能を重視する。しかるに、政府はこれまで、財政措置によってガソリン価格や電力料金、さらには今回の追加対策でLPガスなどについても価格の上昇を抑え込もうとしている。
輸入価格上昇によって資源関連の財・サービス価格が上昇するのは、これらの消費を抑制せよという市場からのシグナルである。物価対策として価格の上昇を抑え込むことは、逆にこれら財・サービスの消費を奨励することになると、経済学者は考えるのではないか。

第3に、経済学者は、政策を立案する際には、ロジックとデータに基づいて、政策目標を達成するための効果的な政策手段を準備すべきだと考えている。いわゆるEBPM(証拠に基づく政策立案)である。しかるに、政府は昨年の物価対策で、低所得世帯向けに5万円の給付を行い、今回さらに3万円と子供1人当たり5万円の給付を追加した。ところが、対策の目的と効果についてデータに基づく情報が全くない。これでは評価のしようがないと経済学者は考えたのではないか・・・

「証拠に基づく政策立案(EBPM)を提唱している人たちは、この現象をどのように考えているのでしょうか。経済財政諮問会議や財政審議会では、どのような議論があるのでしょうか。

法に縛られない権力者の孤独と不安

3月3日の朝日新聞オピニオン欄、池田嘉郎さんの「ロシアの破局的な時間」から。

・・・いまやらねば全てが失われ、破局が到来するという切迫感が、ロシアの歴史にはしばしば影を落としてきた。それは「破局的な時間」とも呼ぶべき時間観念である。「時間」のような普遍的に見える概念さえもが、ロシアでは権力者の存在や、権力の行使の在り方と緊密に結びついている。その不可解さは長い固有な歴史で培われたもので、文化史的観点で見ないとわからない・・・

・・・ロシアにおける権力者の地位について、米国の歴史家R・ウォートマンは著書(2013年、Russian Monarchy: Representation and Rule)で、西欧諸国では18世紀初頭から王位継承法が成立して、君主の地位や継承順を規定したのに対して、ロシアでは皇帝はそうした法には縛られなかった、と論じている。
権力者の無制限な力はその後、政治体制の変化にかかわらず、ソ連時代から現代ロシアに至るまで引き継がれる。その地位は法や規約で定められてはいない。いや、それがないわけではないが、ルールを自分でつくり、かつ一方的に変えられる点にこそ、権力者の権力者たるゆえんがある。

近代以降の西欧では、非人格的な法による支配が確立していったため、法が権力者の上位にある。別の言い方をすれば、権力者は個人としてではなく法人として存在している。この「法人概念」が西欧を特徴づけることは大澤真幸と橋爪大三郎の「おどろきのウクライナ」(集英社新書、22年)でも強調されていたが、ロシアでは事情は異なる。皇帝も書記長も大統領も、権力者は個人として力を振るっているのだ。

だが、これは彼らに重い孤独を強いる。ロシアの権力者は、非人格的に続いてゆく法や制度に未来を託すことはできない。個人の有限の人生において何事かを成し遂げねばならないからだ。
継承法や憲法が彼らの地位を担保することがないロシアでは、権力者は「超越的な力」を示すことで地位を維持しようとする・・・