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行政-政治の役割

政治の役割10

日経新聞連載「日本を磨く」6日は、川勝平太教授の「世界に誇る美の国に」でした。
「日本の世界史的位置はこの20年ほどで劇的に変わった。明治ー昭和期には欧米のキャッチアップを目指す国であったが、昭和末ー平成期にかけアジア地域間競争のリーダー格に転身した・・・日本はアジア域内競争の渦中にあり、アジアの人々から憧れられ、追われ、模倣される立場になっている。ただ、日本はまだ従来のキャッチアップ・システムを引きずっており、国のかたちが、今日の世界史的地位にそぐわなくなっている」
「ここで、問われるべきは・・・富国強兵という近代国家の国のかたちである。富国強兵は明治政府の国是であった。だがそれは当時の西洋諸国のアイデンティティーだったのではない。相手の本質を見抜いた日本人独自の国是である。西洋人は自らをどう認識していたか。『文明』である」
「軍事力も経済力も国の独立には不可欠であっても、十分条件ではない・・・新しい力を加味し米国型の富国強兵路線を超えなければならない。その力を『文化力』と呼びたい」
「端的には生き方である。日本人の生き方こそが、日本の文化なのである・・・それが磁場のように他国の人々を引き付け、魅了し、求心力をもつようになること、それが『文化力』である」
「それは、『美の国』日本を創ることでもある。そのときこそ、日本の『かたち』は中央集権から地域分権へと革命的に変わる。しかもこの大変革を、国内の混乱なく平和裏になしうるところに、日本人の実力と日本の世界的モデル性の神髄があると思われる」
7日は、西垣通教授の「目指せ超多極分散国家、IT文明に適応を」でした。
「国家を成り立たせる要素は多いが、その一つはメディアである・・・国家とは自然発生的共同体ではなく、想像の共同体なのである。そしてその想像の部分をになうのがメディアなのだ。近代国家を支えてきたのはマスコミだった」
「とすれば、インターネットなど新たなITによるメディアの台頭とともに、国家もまた変容を迫られよう。21世紀の望ましい国家像とはいったいいかなるものなのだろうか。結論から言おう。それは中央集権的な国家ではなく、分権的な自治州の連合体のようなものだと考えられる」
「アナログメディアでは、情報は物質と基本的に一体で、容易には操作できない。それ故中央拠点に情報と物質とを集積し、そこで枢要な情報処理と知的生産活動をおこない、その結果を全国一律に提供することが安定した有効性を持つ。こうして、首都に中央官庁や大企業の本社が集まり、そこからマスコミなどをつうじ同一の情報や商品を津々浦々に浸透させるという一極集中社会ができあがる。そして、日本がこういう中央集権的国家として20世紀に大きな成功を収めてきたことは言うまでもない」
「しかし、IT文明の時代、デジタルメディアでは・・・こういう方法が最善とはかぎらない。一極集中によって国内があまりに標準化・均一化されすぎると、国民のユニークなアイデアや創意工夫はとかくつぶされてしまう。それだけではない。情報量の急速な増大は、物質面で国土に過度のアンバランスをもたらす。いわゆる東京一極集中問題はその典型である」
「問題の解決の鍵はITの高度利用にあるのだが、なぜかこの点はあまり議論されない。せっかくの技術革新も、一極集中のままでは大きな影響力を持ち得ないだろう。大都市ばかりが恩恵をうけ、地方は文化的に取り残され、いっそう経済格差が広がりかねない」
「多極分散化はいかに実現されるのだろうか・・・現在検討されている道州制がこの方向と合致していることは指摘するまでもない。首都に集中している行政サービスの多くは州都に移るのだ。しかし、これだけでは単なる地方分散化にすぎない。大切なのは・・」(4月9日)
毎日新聞は26日から、「小泉時代と改革された私」という連載を始めています。27日は「ゼネコン破綻は構造改革が順調に進んでいる表れ」という小泉総理の言葉とともに、不良債権処理を取り上げていました。28日は「たばこ屋の数の2倍もある建設工事、これほど必要か」という言葉で、公共事業の削減と新分野を探す建設業者を取り上げていました。
構造改革の結果を具体現場の例から説明する、良い手法だと思います。抽象的な理論や、集計した数字だけでは分かりませんからね。(4月28日)

税制改革の議論

読売新聞18日、近藤和行編集委員の「政府税調、議論進めず。消費税上げ、唐突感に国民の反発も」から。
・・政府与党は、消費税を含む税制改革の議論を、7月の参院選まで封印することを決めており、調査分析に徹する政府税調の姿勢は、それに足並みをそろえているだけとも言える。また、消費税は過去に政治問題化したこともあり、「参院選の争点にすべきではない」(自民党税調会長)との主張にも一理はある。
しかし、安倍首相や与党は、ともに消費税引き上げなど抜本改革のスケジュールについて、「来年度改正の中で全体像を明らかにしたい」としている。その場合、実質的な議論の期間は、夏休み明けの8月下旬から12月中旬まで、わずか3か月余。消費税率引き上げという事の重大さや、過去の導入・税率引き上げ時に比べ、極めて短時間での政策決定になる可能性がある。
・・選挙戦術上、与党が消費税に関する発現を封印するのはともかく、政府や政府税調は、税制改革への取り組みや課題を、もっと前倒しで発信すべきではないか。

作り上げる過程

ドイツでは、連邦と州との間の権限改正の議論がまとまり、関係法が改正される見通しになったとのことです。ポイントは、連邦参議院(州代表で構成)で審議する法律が、これまでの全法律の70%から40%程度まで減少すること、連邦と州との競合的立法であった項目のいくつかが州へ移管され、またあるものは連邦の専属になります(デュッセルドルフの石山英顕君の教示によります)。ドイツでは連邦制度の改革ですが、日本でいえば国と地方の権限整理・分権に相当するでしょう。
こう言えば簡単に聞こえますが、結構、紆余曲折があったようです。まずは、2003年に改革委員会が発足し、1年あまり議論を重ねましたが、教育行政の権限を巡って対立し、成果を出せないまま2004年には解散しました。昨年秋の総選挙を受けて、お蔵入りになっていた報告案について合意にこぎ着けたようです。もっとも、連邦と州との財政調整については、訴訟になるなど対立が続いていて、改革その2は困難と予想されています。
これを読んでいて、いずこも同じだなあと思うとともに、次のようなことも考えました。私たちは、明治以来欧米先進国の制度を学びに行き、それを輸入しました。そして、最新の最高と思われる制度や技術を導入することができました。しかし、各国とも、考えた制度を簡単に導入できたわけではありません。いろんな試行錯誤、利害の対立、妥協を重ねて、たどり着いたのでしょう。
ところが、完成品を輸入することに慣れた日本は、制度とは輸入すればいい、完成品はすぐに適用できると、思いこむようになったのではないでしょうか。何か問題が生じると、すぐに「海外視察」を行うのも、この一環かもしれません。
よりよい社会を作ること、そのための制度を作ることが政治なら、政治とは設計から実現までの過程を含んだものです。そこには、利害関係者の協議と妥協がなければ、合意にはたどり着きません。100点満点の答えがあって、全員一致で賛成するということはほとんどないでしょう(発展途上国ならそういうケースが多かったのでしょうが)。またそういう制度の導入なら、それは「政治」とは言わないと思います。
日本は、結論だけを輸入することで、作り上げる過程を重視しない、説得と妥協を軽んじる社会になったのではないでしょうか。これは、時には理想を美化して、妥協を批判することにもつながります。
新しい社会問題に対し、どのような対策を考えるかといった構想力とともに、どのように実現するかという「過程力」も、政治の大きな要素だと思います。
朝日新聞は8日から、「自民総裁選、点描・次への課題」を始めました。第1回目は格差問題として、都会と地方が取り上げられています。「全国2109集落消滅の危機」「地方は置き去りか、東京だけ別世界」というのが見出しです。(3月8日)
3日の読売新聞「地球を読む」は、佐々木毅教授の「中流の解体、安定の基盤どこに?」でした。
「この『中流の解体』現象は『国民』経済の解体、経済のグローバル化の進展とともに先進各国において発生した。雇用の安定と社会保障の確保が経済活動の目標であったかのような『国民』経済の時代から、利益の極大化を求めて熾烈な競争を繰り広げるグローバル化の時代への変化は経済・社会システムを大きく変えることにつながった。『中流の解体』はその一つの帰結であった」
「ここでは2つのポイントに絞って議論を展開したい。第一は政府に可能な施策にはどのようなものがあるかという点である。グローバル化に直面した各国政府はおしなべて人的資源の充実へと政策の舵を切った。政府が所得水準を国民に保証する手段をもはや持たなくなった以上、可能な限り、機会を活用する能力を育成することによって政策を代替しようとしたのである」
「第二は所得格差の政治的帰結である・・20世紀中葉に樹立された中流型社会は民主主義の安定にとって重要な基盤であったが、日本においては着実な経済成長とこうした中流型社会の形成は、民主政治の安定にとって決定的な役割を果たしてきた。経済成長の成果を政府を通して全国津々浦々にまで均霑し、巨大な中流型社会を作り上げたのが伝統的な自民党政治であった・・・小泉政権がこうした伝統的な統治スタイルに明確に決別を宣言し続けたことは確かである。この古い利益政治が基盤を失ったとき、政治はどこに政治的統合の基盤を求めるかが次の問題となる」(2006年4月3日)
日経新聞は3日から、「日本を磨く」の連載を始めています。4日は中西寛教授の「アジア統合『扇の要』に、重層的強力束ねよ。国内、21世紀型制度確立を」でした。
「・・・しかし、いわゆる小泉改革は、必要な制度改革の端緒をつけたに過ぎない。福祉、医療、財政の基本構造を高度成長型から少子高齢型へ、すなわち20世紀型から21世紀型へと抜本的に転換させることが急務である。そしてこうした大変革を断行するには、これからの政権が小泉政権のトップダウン型の政治スタイルを基本としつつも、それ政策補佐機能の充実や指導者と国民とを結ぶ制度の確立で支えていくことが不可欠となる」
「ここで政策補佐機能の充実とは、官僚機構の位置づけの変更という歴史的な改革を意味する。明治期に形成された日本の国家官僚制は、全国から優秀な人材を中央に吸収するメカニズムとして高度成長期までおおむね有効に機能したが、今や空洞化し・・・一般官庁は地方への権限移譲、さらには道州制などの導入によってその主な役割を縮小させていくはずであり、そうした流れは続くであろう」(4月4日)

予算を審議しない予算委員会

谷垣財務大臣が、予算委員会で予算案の質疑が少ない現状をぼやいて、「もう少し財政や予算にも焦点を」と発言されたと、22日の各紙が伝えています。そうですよね。特に集中審議が行われているテーマは、BSE、耐震偽装、ライブドア問題など「社会問題一般」で、予算とは関係ありません。現に、財務大臣が答弁する機会はほとんどないのです。これについては、このHPで解説したことがあります。→「国会というところ7」
私は、これを、日本の政治がまだ20世紀の思考に捕えられていることの表れだと考えています。予算委員会という名前は、「政治が予算である」という思考を引きずっているのです。例えば名前を「国政一般委員会」とし、予算は「財務金融委員会」で議論すればいいと思います。財務大臣が毎日委員会に張り付いて、BSEやライブドア問題を聞かされるのは、やめた方が良いですよね。

行政の役割と手法

7日の日経新聞「経済教室」は、八代尚宏教授の「規制改革研究報告」「利用者に選択肢を、事業者にはインセンティブ」でした。

「新地方自治入門」第9章で、行政の手法を分類するとともに、民間の力を活用する手法も分類しておきました。「官から民へ」「アウトソーシング」「事前調整型から事後チェック型へ」は、はやり言葉を超え「公理」になっています。しかし、民間にゆだねることができる業務の限界と、その場合の行政の責任については、議論を整理する必要があるようです。
医薬品審査は生命にかかわる重要な検査ですが、国ではなく独立行政法人医薬品医療機器総合機構が行っています。これが非公務員型の行政法人でできるのなら、他の検査行政も、ほとんど民間でできそうに思えます。
一方、検査については、マンションの耐震強度偽装事件、アメリカ産牛肉検査問題、ライブドアの証券取引問題など、世間を揺らす問題が相次いでいます。さかのぼると、金融機関不良債権査定問題もありました。ここには、検査を民間にもできるようにした場合の行政の責任問題と、規制緩和をすると監視が重要になるといった問題などが含まれています。(2月5日)