久しぶりに会った、政治部記者さんとの会話
記者:参議院選挙の結果、国会がねじれ状態になって、大変です。
全勝:そんなことはないよ。去年までも、ねじれだったんだから。与野党が入れ替わっただけじゃない。アメリカだって、大統領と国会がねじれることはしょっちゅうある。
記:いえ、衆議院で与党が3分の2を持っていません。
全:3分の2を持っていた時の方が、例外なの。
記:でも、法律が通りませんよ。
全:そんなことはないよ。1989年に、土井社会党が勝って、ねじれになった。それは大変な騒ぎだった。でも、予算は成立し、地方交付税法改正案も成立した。いろんな条件をつけてだけど(この経緯は、拙著『地方交付税-仕組みと機能』p70を参照してください)。その後も、1998年、2007年とねじれになった。でも、ねじれの下でちゃんと法律は成立してきたじゃない。自民党にも民主党にも、ねじれを経験した議員さんが、たくさんおられる。
あなたたちは「国会で十分議論を尽くして」と言うけど、衆議院も参議院も与党が多数なら、はじめから政府提出法案は成立することが見え見えで、議論にならないじゃないの。ねじれの時にこそ、国会の機能が発揮される。
記:消費税増税は、どうなりますか。
全:大きな課題の中で、消費税増税案が、もっとも成立しやすい。民主党内閣も野党第一党の自民党も、消費税値上げを主張している。マスコミにおいても、朝日、読売、日経3紙も賛成している。これほど成立しやすい課題はない。
記:そんなに簡単ですかね。
全:もちろん、手続は重要だよ。それに、与野党の駆け引きもある。そして、具体的内容もね。
記:どういうことですか。
全:それは、今日は内緒。
「政治の役割」カテゴリーアーカイブ
行政-政治の役割
海賊絶滅のためのアプローチ
13日の読売新聞論壇は、竹田いさみ獨協大学教授の「ソマリア海賊対策」でした。ソマリア沖アデン湾での海賊対策のために、日本も海上自衛隊の護衛艦と哨戒機を派遣しています。第一次派遣部隊の出港式に、総理のお供をして呉までお見送りに行きました。寒い日でした。
これで1年経ちました。マスコミは、その活動ぶりを報道しませんね。
記事の内容は、海賊対策は効果を上げているのですが、海賊事件は増えているのだそうです。どうすれば事件をなくすことができるか。一つは、取り締まりを強化することです。もう一つは、発生原因を絶つことです。ソマリアで海賊が「稼業」として成り立っているのは、産業がなくほかに稼ぐ場所がないこと、政府が機能していないこと、沖合をたくさんの船が通るからです。それが解決しない限り、海賊はなくなりません。そこで、教授が国際会議で提案されたのは、産業振興です。なるほど。詳しくは、原文をお読みください。
グローバルな政治家を育てる
(グローバルな政治家を育てる)
7月10日の朝日新聞オピニオン欄は、「グローバルな政治家とは」でした。「経済がグローバル化して、経済危機も瞬時に世界に波及する時代。政治家の選び方も、これまでとは違った視点が必要なのだろうか・・」として、3人の方の意見が載っています。
内容は読んでいただくとして、私が感じたのは、「ようやく、このような議論が、新聞でされるようになった」ということです。
戦後日本は、アメリカやヨーロッパがつくってくれた、「自由貿易体制」と「世界平和(冷戦)」の下で、それらにほぼただ乗りをして発展しました。政治家も官僚も研究者も、世界の政治経済を構築するのに力を発揮せず、国内でのみ活躍しました。国際派と呼ばれる人もおられましたが、それも多くは輸入することであり、国際貢献ではありませんでした。
世界で活躍するといった場合、国際機関で働くだけでなく、日本政府・関係機関であって国際貢献するということがあります。特に後者が重要でしょう。そして、それらの人は国内政治を考える時も、世界を意識しながら考えるということです。国際貢献も、自衛隊を海外に派遣するだけでなく、国際ルールをつくる際にリーダーシップをとるということなどです。
総理秘書官を務めた際、ちょうどリーマンショック直後の世界金融危機・同時不況の時であったので、世界各国の日本に対する期待と、日本が国際社会で果たさなければならない役割の大きさを、実感しました。逆に、日本の政治と言論が「内弁慶」であることも実感しました。
あのときは、1929年の大恐慌を繰り返さないために、日本も例のない規模で財政出動するので、各国も足並みをそろえて欲しいこと。経済ブロックを作って囲い込んだことが大恐慌をひどくしたので、今回はそうならないようWTOを進めること。金融危機で中小国が破綻しないように、IMFの貸付枠を拡大する、そのために日本は真っ先にIMFに対し1,000億ドルの融資を行うこと。この3点を提案実行し、各国の同意と協調を得ました。
もっとも、国内には、それらを議論する場や政策共同体がないので、多くの国民は知りません。マスコミの政治部、官邸詰めの記者さんたちも「関心」がなく、理解してもらえませんでした。よって、大きな記事になりませんでした。
世界で活躍する、世界に貢献できる政治家や官僚を育てるためには、国内にそのような場が必要です。それは国会の場であり、研究機関であり、専門誌です。そして、それを理解してくれるマスコミも必要です。
民主主義とは
国家観の違い
先日から書いている、「政党の役割、国家観による違い」に関して、かつて書いた「国家観の転換」を思い出しました。「不思議な公務員の世界-ガラパゴスゾウガメは生き残れるか」(月刊『地方自治』2008年5月号)。
私は、官と民の垣根が低くなる背景として、藤田宙靖東北大学教授(当時)の説を引用しました(「行政改革に向けての基本的視角」『自治研究』(良書普及会)平成9年6月号に所収)。先生は、近代ドイツ国家学における国家観と、アメリカ社会的考え方とを対比されます。そして、日本の行政改革を、前者から後者への転換と見るのです。
すなわち、近代ドイツ国家学では、社会は弱肉強食、カオスの世界であり、中立公正な国家が弱者を救済し、秩序を保たなければならないと考えます。官(国家)と民(社会)が峻別されます。一方、アメリカ社会的考え方では、社会のあらゆる組織機構と同じく、国家機構もまた、社会(一般国民)が自らの必要のためにつくったものです。官と民の間に、垣根がなくなります。
政党の役割、行政機構の位置付けなども、このような背景=国民の考え方によって、違っているのだと思います。