カテゴリー別アーカイブ: 政治の役割

行政-政治の役割

アメリカが広めたもの・資本主義経済、自由主義、多国間統治

8月10日の日経新聞経済教室、ジョン・アイケンベリー教授の「自由の秩序、文明を超えて」から。
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世界秩序は米国一極支配から、新しい時代への「大いなる転換」を遂げつつある。では、新しい世界秩序は、どのような形になるのだろうか。
中国の台頭と米国の衰退で、リーダーシップの交代が起きるという見方や、数世紀に及んだ欧米主導の世界秩序から、アジアの力と価値観に基づく秩序への転換が起きるとの見方もある。また、勢力伸長の著しい非欧米諸国(インド、ブラジル、南アフリカ、トルコ、インドネシアなど)が指導的地位と権威を争う、多極体制への転換が起きるとの見方のほか、新しい世界秩序は形成されず無秩序と混沌に陥るという、悲観的な見方もある。
そこに共通するのは、米国は長い衰退期に入り、同国が構築し過去半世紀にわたり率いてきた自由主義志向の世界秩序は過去のものになったとの認識だ。だがこうした見方は、本質を見誤っている。現在進行中の大いなる転換は、米国が主導してきた戦後秩序の衰退でなく、むしろ成功を意味する・・
今日大いなる転換が進行しているのは、米国主導の旧秩序が所期の目的を果たしたからにほかならない。その目的とは、多国間統治の枠組みの中での貿易、成長、相互依存の促進である。戦後秩序の設計者は、軍事・経済ブロック、帝国主義、重商主義、勢力争いで特徴づけられる1930年代への逆戻りを食い止めようとした。そして自由主義的な世界秩序を確立し、多国間のルールと組織や民主国家の連帯により、その秩序を強化すべく努力した。
今日の国際政治の「問題」、すなわち非欧米諸国の台頭にどう対応するか、増え続ける相互依存型の問題への取り組みでどう協力するかという問題は、この自由主義的世界秩序が過去半世紀うまく機能したからこそ生じたといえる・・
現在の転換は、「アジアの台頭」や「多極体制への回帰」とみるべきではなく、自由民主主義と資本主義の世界的な拡大とみなすべきだ・・詳しくは原文英文をお読みください。

アメリカをはじめとする西欧先進諸国に追いついた日本も、追いつきつつある中国を含む新興諸国も、アメリカなどが設定した経済思想と仕組み、貿易や金融の仕組み、国際関係の仕組みを利用しこそすれ、それに対抗するあるいはそれを超える思想と仕組みを打ち出してはいません。生活も娯楽もです。アメリカ文明に代わる「日本文明」や「中国文明」は、今のところありません。

また、スーザン・ストレンジが提唱した「関係的権力」と「構造的権力」が思い浮かびます。前者は、相手にいうことをきかせる力です。後者は、世界の政治経済構造をかたちづくり決定する力です。『国際政治経済学入門』(邦訳1994年、東洋経済新報社)。
スポーツにたとえれば、決められたルールで決められた「土俵」の上で戦います。どちらかのチームが勝ちます。それが関係的権力です。そのルールと土俵を設定して、自らの考えたルールで他のチームも戦わせるのが構造的権力です。少し単純化が過ぎますが。

PKO20年

これまた、古くなって恐縮です。7月20日の朝日新聞オピニオン欄は、「PKOあれから20年」を取り上げていました。
国際平和協力法ができたのが、1992年(平成4年)でした。今年で20年になります。
1991年の第1次湾岸戦争で、アメリカに次ぐ巨額の財政支援をしたのに国際社会からは評価されず、他方で自衛隊の派遣を巡って大きな議論になりました。「自衛隊を出せないので、民間人を派遣しよう」といった議論もあったのです。危険な地域なのに。そしてできたのが、この法律です。
その秋には、初めて自衛隊がアンゴラに派遣され、続いてカンボジアに派遣されました(派遣実績)。不幸なことに、1993年春に、選挙監視のために派遣されていた警察官が殺害されました。村田敬次郎自治大臣・国家公安委員長が急遽カンボジアに派遣され、私もお供をしたので、強烈な印象が残っています。
この間、自衛隊の国際貢献は、着実に実績を残してきました。PKOの他にも、テロ特措法でインド洋で給油活動、イラク特措法でサマワでの活動、海賊対処法でソマリア沖での警戒など。隔世の感があります。もっとも、この記事でも指摘されているように、日本のPKO参加基準はその後、時代遅れになったと言われています。

会話と対話と論戦と・その2

平田オリザさんのインタビューの続きです。
「日本政治に足りないと言われてきたのは、『対話』ではなく、『討論』『論戦』だったのでは?」という問いに対して。
・・対話とディベート(討論)は、どこが違うか。ディベートは、自分の価値観と論理によって相手を説得し、勝つことが最終目標になる。負けた方は全面的に変わらないといけない、勝った方は変わる必要がありません。しかし対話は、勝ち負けではありません。価値観をすりあわせることによってお互いが変わり、新しい第三の価値観とでも呼ぶべきものをつくりあげることが目標になります・・

「日本の国会で繰り広げられているのは、討論でもないように思います」という問いには。
・・そう、討論でもない
・・言葉から受け取るメッセージは人それぞれで、あいまいさが残る。そこをきちんと詰めて文脈をはっきりさせるのが、野党やジャーナリズムの責任です。しかし日本では自民党政権があまりにも長く続いてきたため、野党やジャーナリズムの政権攻撃は、あいまいさを詰めるというよりは、政権がやろうとしていることそのものを否定するというやり方をとってきました。
野党は、政府与党が聞く耳を持っているとはハナから思っていないし、政府与党も、野党の意見に耳を傾ける必要があるなんて思っていない。特に1980年代まではイデオロギーの対立があったから、文脈をすりあわせるような対話や熟議は望むべくもないし、討論とさえ呼べないひとりごとで国会が埋め尽くされるようになってしまったのだと思います・・

後段について、私はジャーナリズムの役割や責任も大きいと思います。政府与党への批判は重要ですが、代案のない批判は建設的ではありません。また、対話や討論は、政策を巡ってされるものですから、それなりの勉強が必要です。政局報道は、対話や討論とは違う次元の報道です。

会話と対話と論戦と

朝日新聞7月5日オピニオン欄、平田オリザさんのインタビューから。
・・ダイアローグ(対話)とカンバセーション(会話)は、明確に違います。私なりに定義すると「会話」は親しい人同士のおしゃべり。「対話」は異なる価値観などをすりあわせる行為。しかし日本語の辞書では「【対話】向かい合って話をすること」などとされ、区別がない。
・・日本語は、閉じた集団の中であいまいに合意を形成するのにはとても優れた言葉です。日本文化の一部ですから、悪い点ばかりではない。近代化以前の日本は、極端に人口流動性の低い社会でした。狭く閉じたムラ社会では、知り合い同士でいかにうまくやっていくかだけを考えればいいから、同化を促す「会話」のための言葉が発達し、違いを見つけてすりあわせる「対話」の言葉は生まれませんでした
・・対話のための日本語はいまだにつくられていない。富国強兵、戦後復興、所得倍増と大きな国家目標があって、それに向かって努力していればきっと幸せになれると多くの人が信じているような社会では、多様な価値観は生まれにくい。みんなが一丸となって目標に突き進めばよかったので、対話は必要なかったのです・・

なるほどと思います。ただし、農村社会ではこの説は有力だと思いますが、相手との駆け引きや競争が必要な商人の世界では、どうだったのでしょうか。また、日本と同じような環境にあった国では、どうだったのでしょうか。たとえば韓国やネパールとは、どこが同じでどこが違うのでしょうか。さらに掘り下げて、知りたいです。
私も日本社会論や日本特殊論を語ってきましたが、ほとんど欧米との比較であって、アジアとや全世界との比較ではありませんでした。欧米を基準とした比較に陥らないようにしなければならないと、反省しています。
この項続く。

政党の機能不全

朝日新聞6月26日オピニオン欄は、佐々木毅学習院大学教授へのインタビュー「決められない政治の責任。政党の機能不全は政治家の努力不足その一言につきる」でした。
「一連の政治改革が、小選挙区制導入、2大政党化、政権交代と進んで約20年。民主党政権は混迷が続き、いまは「決められない政治」と言われています」という問いに対して。
「大きな混迷は2度あったと思います。ひとつは1990年代後半、野党が次々とできては消える状態があって新進党の解党に至った。2度目は小泉純一郎首相が退陣した後の自民党の混迷です。共通しているのは、政党が組織として機能していないこと。政治改革では、政治家個人から政党中心の政治に変えようとした。政治資金、選挙制度の改革を進めましたが、その間、政党は改革されなかった。政党をどう経営するのか、政治家が努力しなかった。一言で言えばこれにつきる」

「政党を鍛え直すには何が必要ですか」という問に対しては。
「政党の商品は政策と人。この2つをどうするかが、出発点となる。政策は、これに関わる人材をどれだけ集められるかでしょう・・
人については、適材適所。だれが首相や閣僚にふさわしいか、国会向きはだれか。人の選抜、登用のルールが必要です・・党の幹部が、君は閣僚向き、あなたは国会対策向きといった仕切りをして、人材を活用していく。企業でいうガバナンス(統治)が政党にも欠かせない・・」

政党での人事は、難しいですね。役所にしろ会社にしろ、多くの組織は、大臣や社長を頂点とする、人事と権限の階層制(ヒエラルヒー)が決められています。部下は、上司の命令に従うのです。しかし、政党の場合は、党員が党首を選びます。党員に不満がある場合は、党首をすげ替えることができるのです。
付け加えるなら、このほかに、政党の組織としての意思決定ルールを明確にすることが必要だと思います。それは明文でも、慣習でも良いのですが。意思決定ルールが不明確な政党は、党員もまたそれ関わる関係者にも、困ったことが起きます。