「政治の役割」カテゴリーアーカイブ

行政-政治の役割

丸山真男著『政治の世界他十篇』、2

引き続き、気になったところを引用します。
・・「政界」という言葉があります。政界ということと政治的な世界ということは、今日においては非常にギャップがあります。政界というのは特殊の、政治を職業とする人々の非常に多面多種なサークルであります。つまり、右に申したことをいいかえるならば、政治的な気圧というものは、決して「政界」によってだけ決まるものではない。また、「政界」のことだけを見ていては政治の状況認識はできない、ということになわけであります・・
私は日本の新聞の「政治部」というのは「政界部」というふうに直した方がいいのではないかと、新聞社の知人にからかうのですけれども、かれらもその点で、もっともだといって反駁しません。「政治」というものを報道しないで、政治に重要な出来事を報道しないで「政界」の出来事、派閥がどうなったというような、「政界」の中の人的な関係を報道している。政界ということと政治的世界というものはくい違っているわけであります・・p355。

・・さっき「政界というものは非常に特殊な世界である」ということを申しました。政治のリアリズムというものがないと、政治の言葉の魔術にいかにあやつられるかということは、いわゆる政局の安定、という言葉を例にとってもわかると思います。
「政局の安定」ということはしばしばいわれます。けれど政局の安定というのは、特殊な世界である政界の安定以外の何物も意味しないんです。したがって、日本でいわれている政局の安定ということは、政界の安定であって、それは政治的安定とは必ずしも関係しないし、いわんや国民生活の安定とは何も関係しない・・p381。この項続く。

代表制民主主義を有効ならしめる条件、政党

砂原庸介・大阪大学准教授が、『民主主義の条件』(2015年、東洋経済新報社)を出版されました。日曜日に紀伊國屋本店に行ったら、新刊書の棚の一番前に、平積みされていました。注目されている、売れているということでしょう。目次を見ると、次のようなくだけた表題が並んでいます。
第1章 ダメ、ゼッタイ―罪深き中選挙区制
第2章 あちらを立てればこちらが立たず― 多数制と比例制
第3章 混ぜるなキケン!?―混合制
目次と序章の立ち読み
堅苦しくなく、平易な文章で、読みやすい一般向けの本です。しかし、内容は重要なものです。民主政治が有効に機能しないのは、政治家個人の資質によるのか、制度によるのか。普通には、このような問題提起がされます。しかし、著者が問題にしているのは、選挙制度と政党の役割です。
政治に興味のある人、特に日本の政治に不満を持っている人、さらには政治家、マスメディアの皆さんにも、読んでもらいたいです。以下、著者による本書の紹介を転記します。
・選挙で代表を選んで人々のために働いてもらう民主主義というしくみに問題があるとしたら、それをあくまでも民主主義の中で、「より民主的」なし くみに 変えていくしかないことを強調しています。
・特に重点を置いているのは、「どうやって多数派の民意を政治に伝えるか」ということで、国民の多数派が考えていることにきちんと反応する代表が選ばれるためのしくみを考えています。「一国の政治は、国民を映し出す鏡に過ぎない」と言いますが、国民が悪いというだけでなく、選び方が悪い、ということがあるのではないか、ということです。
・そのために重要なのは「政党」をきちんと機能させることだという説明をしています。政治家個人ではできることが限られているので、政党という組織を作って国民を代表させることが必要だということです。政党の執行部がある程度集権的な決定をできるようにしないとそれが難しいということですが、同時に権力が集中する政党を(政党法などの)法律や規則でコントロールしないといけません。
・選挙制度を考えるときに、「一票の格差」だけが評価基準になるわけではなく、政治制度全体としてどのように政治家に意思決定をさせるかを考えるきっかけになれば、と思っています。

ところ変われば、国民皆保険

4月1日の読売新聞が、オバマケアの加入状況を伝えています。
アメリカでは、医療保険が国民全員加入ではありませんでした。何度か試みられましたが、実現しませんでした。単純化すると「金持ちは民間保険に入り、貧乏人と高齢者は社会保障で。普通の人はそれぞれに」という考え方です。個人の独立や、自主判断を尊重するお国柄です。
2010年にようやく「医療保険制度改革法」ができ、保険加入を義務づけました。無保険者にはペナルティが科せられます。2013年10月から加入申請が始まり、これまでの半年間で600万人が加入したそうです。もっとも、改革前に無保険者が4,900万人いたと言われているので、まだまだ国民皆保険には遠いようです。記事では、保険料が高額だから入らないとか、ここ数年は病院に行っていないから入る価値がない(!)という例が、紹介されています。
日本では、昭和36年(1961年)に国民皆保険になりました。子どもの頃から良く風邪を引いて、お医者さんのお世話になっている私は、日本に生まれて良かったです。

政権与党、自民党の変化

3月30日朝日新聞「月曜に想う」は、星浩特別編集委員の「単色の自民 多色に戻る日は」でした。「自民党内で、自由な議論ができなくなってきているということなのだろうか」ということについて、次のように書いておられます。
・・30年近く、自民党をウオッチしてきたが、確かに、昔のように右も左も、タカもハトも入り乱れて、時には灰皿を投げ合ったりして激論を交わす光景は見かけなくなった。なぜか。
私なりに整理すると原因は三つだ。第一に衆院に小選挙区制が導入されたことで、各選挙区の公認候補は1人に絞られ、競い合って候補者を擁立していた派閥の存在理由が薄れてきた。選挙資金も党役員・閣僚の人事も、総裁や幹事長が一手に握っているから、議員たちには、執行部に背くのは損だという計算が働く。
第二に小泉効果だ。小泉純一郎首相当時の郵政民営化騒ぎで、首相の意向に背くと党を除名され、選挙では刺客と呼ばれた対立候補を立てられる。こっぴどく痛めつけられる現実を見た政治家たちは、物を言わなくなった。
そして第三が野党経験。民主党に政権を奪われて3年余、官僚も業界団体も寄りつかない。早く政権に戻りたいという願望は強かった。民主党内の混乱ぶりを見て、「党内対立が政権の命取りになる」ことも実感した。かくして、老いも若きも首相の言いなりという「単色の自民党」ができあがった・・
詳しくは、原文をお読みください。

現在日本の政治分析、政治部の役割

3月24日の日経新聞「核心」は、芹川洋一論説委員長の「自民党2.0の危うさ 新たな統治の技見えず」でした。
・・自民党がすっかり変わってしまった。派閥がこわれ、権力の重心が首相官邸にうつり、保守の色合いがどんどん強まってきた―。
政権党にもどって1年3カ月。1955年の保守合同から来年で還暦。一党支配の55年体制下での自民党をバージョン1とすれば、現在はバージョン2=2.0。時代も、制度も、組織も、なにもかもが違っているのだから当たりまえだ。自民党は昔の自民党ではない。
そこで問題なのが統治の技法だ。1.0のころ、つちかったものは、すでに通用しない。だとすれば、新たなやり方を探っていかなければならないはずだが、どうにもはっきりしない。
政治を変えるのは、制度なのか、人なのか、しばしば議論のあるところだが、この20年の日本政治をふりかえると、制度の変更がまちがいなく効いている。
ふたつある。ひとつは、小選挙区の導入・政治資金の規制・政党交付金の創設を3点セットとした94年の政治改革だ。もうひとつは、省庁再編で首相のリーダーシップの強化をめざした、橋本龍太郎首相による「橋本行革」である。こちらは2001年からだから10年以上になる。
政治を突き動かすのに人の要素もやはり否定できない。「自民党をぶっ壊す」といって本当にその通りにした小泉純一郎首相の存在を抜きにして自民党の考現学は語れない。自民党1.0から2.0への分岐点は、01年から06年まで5年5カ月つづいた小泉政権にあったとみてよさそうだ。
その変化は何なのか。列挙してみよう・・
として、次の3つを挙げておられます。。
その1=派閥連合体から議員集合体へ
その2=ボトムアップの政策決定機関から「官高党低」の政策追認機関へ
その3=現世利益追求型から保守の理念追求型へ
詳しくは、原文をお読みください。
もちろん、自民党が変わった、あるいは統治の技法が変化せざるを得ないのは、日本社会が西欧への追いつきに成功し、豊かな成熟社会になったこと、また冷戦の終了と新たなグローバル化という、内外の条件が変わったことに、大きな理由があります。そして、野党との間に明確な対立軸を設定できていないことも、一つの要因(結果?)です。
さて、芹川論文に戻ると、切れ味の良い現代日本政治分析です。マスコミの政治部には、このような分析、論文が欲しいですね。日々のニュースを追うより(特に番記者として政治家を追いかけるより)、現在の政治の何が問題なのか、そしてその原因や対策を書いて欲しいです。