カテゴリーアーカイブ:政治の役割
日本の政治:小泉改革
12日の朝日新聞は、「郵政改革、道路公団改革との差は」「二つの民営化、手法は対照的」を解説していました。記事の趣旨は、道路公団民営化改革法案が、国会では与党の賛成多数であっさり成立した。一方、郵政民営化法はそうでなかったことの要因が、改革の手法にあるということです。「族議員を排除、党と溝」「首相関与、骨組み堅持」「議論公開せず、冷めた世論に」というのが、見出しでした。
このような分析を否定しませんが、私は、もう少しいろんな角度から、分析すべきだと思います。この2つの改革の一番の違いは、総理のリーダーシップと、総理がどこまで成果を求めたか(ゴールの設定)だと思います。そして、責任者や審議会など手法の違いも、出てきます。
もう一つの小泉改革である三位一体改革は、もっと違った過程を取っています。そこでの政治主導、政治権力論、政治構造論については、「政治改革としての評価」として「続・進む三位一体改革」p142~に書いておきました。
政治意識世論調査
政治家の記録
伊藤隆著『歴史と私』(中公新書、2015年)は、伊藤隆・東大名誉教授が、日本近現代史研究を切り拓いてきた学者人生を振り返った記録です。特に、先生が力を注がれた、政治家の日記や記録の発掘、インタビュー(オーラルヒストリー)の記録です。それは本を読んでいただくとして、政治家の日記・記録についての一節を引用します。
・・・戦後日本は、あれだけ頑張って高度成長を成し遂げ、今もその遺産で世界で3番目のGDPを誇っています。それなのに、どうやってこの国を作ったかという記録が、少ししか残っていない。関わった人はすごく多いはずなのに、非常に残念です。
明治期はみんな、自分たちが新しい国家を作っているという自負があったから、積極的に記録を残しています。公文書だけではなく、それにまつわる私文書、そして議事録も残ってる。ところが時代が進むにつれて、だんだん史料が少なくなってくる。敗戦直後には、官庁は戦前の史料を燃やしました。都合の悪いものは捨ててよろしいという前例を作ったわけで、そのせいか、それ以後は文書を捨てることの罪悪感が希薄になりました・・・(p276)。
歴史認識と政治
東京財団、細谷雄一さん(慶應大学教授)の「歴史認識問題を考える書籍紹介」から。
・・・近年は、歴史学の領域のみならず、政治学や国際関係論においてもまた、歴史認識や歴史的記憶が持つ重要性が指摘されるようになっている・・・われわれは、依然として、歴史認識問題や歴史記憶問題を純粋な、誠実さの問題として位置づけることが多いが、ここで指摘されているように、よりいっそう政治学的な問題として、「記憶」がどのように用いられているかを、十分に認識しなければならない・・・
・・・日本が現在抱える最も困難な歴史認識問題は、日中間と日韓間で見られる。とりわけ、慰安婦問題は、日韓間で首脳会談さえも開くことができないほど、両国の関係を緊張させている。韓国国内では、この問題を学問的研究対象として、冷静に論じることは困難であろう・・・
・・・E・H・カーは、「現在の眼を通してでなければ、私たちは過去を眺めることも出来ず、過去の理解に成功することも出来ない」と論じている。言い換えれば、日韓間や日中間の歴史認識問題を理解するためには、韓国政治や中国政治、そして日本政治を理解することもまた、不可欠なのだ。なぜそのような歴史認識問題が浮上したのか。なぜそれが解決できないのか。それは、歴史的事実を理解するだけでも、歴史史料を探すだけでも、不十分なのであろう。相手を批判するだけではなく、過去を理解すると同時に、現在を理解することで、複雑に絡み合った歴史認識問題に適切に対応できる前提条件が得られるのではないか・・
詳しくは、原文をお読みください。