朝日新聞5月30日オピニオン欄、北岡伸一先生のインタビュー「戦後70年談話」から、続き。
・・・私が侵略について発言するたび、「日本に侵略の意図はなかった」「マッカーサーも自衛だと言っている」などと批判する人がいますが、侵略には明確な定義があります。辞書的に言えば「他国の意思に反して軍隊を送り込み、人を殺傷し、財産を奪取し、重要な指揮権を制限する」ということです。政治学でも歴史学でも、大きな定義の争いなどありませんし、規範性が絡む国際法にも一応の定義はあります。
その定義に照らした時、どこから見ても侵略に当てはまるものが例えば満州事変です。日本は、満州事変を経て北満州まですべて支配し、満州国という傀儡国家をつくった。これを否定する歴史学者はいないでしょう・・・
「侵略も含め、過去の首相談話に盛り込まれたキーワードを踏襲するかも焦点です」との問に。
・・・植民地支配や反省、おわびを指しているのでしょうが、それぞれの意味合いは異なります。植民地支配も、事実関係としては間違いありません。世界の植民地支配を相対的に見れば、その苛烈さに程度の差こそありますが、だからといって日本の植民地支配は自慢できるものではありません。
反省は、首相もバンドン会議や米議会上下両院合同会議での演説で言及しています。反省は自らに向けてするもの、過ちを繰り返さないと振り返る行為が反省だと思います。一方、謝罪は相手にするもので多分に外交行為です。従って、一国の首相が謝罪するということは微妙な政治判断が伴います。ちなみに、日本で評価が高いドイツのワイツゼッカー元大統領が敗戦40年を機に行った演説にも謝罪の言葉はありません・・
「政治の役割」カテゴリーアーカイブ
行政-政治の役割
北岡伸一先生、戦後70年談話懇談会。2
朝日新聞5月30日オピニオン欄、北岡伸一先生のインタビュー「戦後70年談話」から、続き。
「21世紀懇の議論をもとに首相談話が書かれるとすれば、有識者の役割は極めて大きいと思います」との問に。
・・・誤解されては困りますが、議論を踏まえて我々がどんな報告を上げるのかと、首相が最終的にどんな首相談話を出すのかは別の話です。懇談会の議論がすべて無視されるとは思いませんが、いずれにせよ首相談話そのものには直接関与していません・・
「談話を出す際に、首相は「幅広い意見に耳を傾けた」と言うのではないでしょうか。21世紀懇の存在が、首相の「免罪符」に使われる恐れはありませんか」との問に。
・・・では、為政者が誰にも相談せず、自分の頭だけで考えて談話を出す方が良いと言うのでしょうか。歴史は事実に基づいており、研究として蓄積がある学者は客観的な材料を提供することができます。一方、首相の談話は外交問題も絡む極めて高度な政治的行為です。談話が歴史を無視したものになっては困りますが、政治的なメッセージは主として政治家が判断すべきではないでしょうか。
有識者会議の役割ですが、例えば政治家が何かを発言する時、官僚はなかなか「ノー」とは言えない。かなり一方通行的な関係である政治家と官僚に比べ、我々は嫌われることを恐れず自由に発言できます。官僚のセクショナリズムに陥ることもありませんから、さまざまな意見を総合する効果はあるのではないでしょうか・・・
北岡伸一先生、戦後70年談話懇談会
朝日新聞5月30日オピニオン欄、北岡伸一先生のインタビュー「戦後70年談話」から。
・・・こういう立場(21世紀構想懇談会座長代理)に就くといろいろ批判を受けることがあります。安保法制懇では朝日新聞から何度もたたかれました。日本の安全保障を考える時、国際構造や周辺国との軍事バランス、関係国の対外認識や意思決定システムから出発しなければなりません。ところが朝日新聞は「憲法の解釈を変えていいのか」「政府の歯止めはどこにあるのか」と、国際情勢から説き起こさない報道ばかりでした。すれ違いが多く、残念でした。
今回の議論にも通じる話ですが、日本はかつてなぜ戦争に突き進み、現在はなぜ平和的に発展していると思いますか。それは憲法9条があるからではなく、世界の構造が変化し、その中における日本の位置が変わったからです。戦前の貧しい時代には「土地の膨張が国の発展につながる」という思い込みがあった・・・戦後の日本は自由な通商貿易に生きることを決意し、発展した。従って自由で安定した国際関係の維持こそ日本の生命線であり、そのための責任の分担や国際貢献が不可欠だと考えています・・・
民主主義という制度資本を支える、政治的成熟という関係資本
22日の読売新聞で、佐々木毅前東大学長が「中国反日デモ、政治的経験の質を問う」を書いておられました。
「・・同時にこの関係は日中を越えて世界の視線を浴び、世界のメディアの今後の継続的な監視対象となった。その結果、両国はとかく過去の歴史を材料にして現在や未来の日中関係を論ずるというこれまでのスタイルに代えて、現実を見据え、未来を展望した日中関係の可能な姿を責任を持って描かなければならない時代に入った。それは世界において適切な評価を受けるためには、両国政府は日中関係をより安定した関係に導く歴史的な責任を事実上負ったということである。」
いつもながら、鋭い指摘ですね。続いて、次のように書いておられます。
「その鍵を究極的に握るのは政治権力のあり方、政治参加のあり方である。」
「政治的な近代化とは大多数の人間が『現実』に自ら対面し、それなりの『現実』感覚を養い、その上で政治権力と向かい合うことを前提にしている。」
「政治的近代化は言われるほど容易なものではないし、一挙に実現可能なものではない。・・意識面や制度面での長い経験の蓄積なしには政治的近代化はその現実性を持ち得ない。それは政府と国民との一定の信頼関係を蓄積することによって初めて可能になる。」
そうですね。憲法や議会を輸入しただけでは、民主主義は根付きません。近代民主主義政治という制度資本が動くためには、関係資本や文化資本が必要なのです。それは努力と経験という蓄積から生まれます。
拙著「新地方自治入門」では、社会を成り立たせる社会資本として書きました(p199)。でも、こんな話って政治学の教科書には載っていないのですよね。