カテゴリー別アーカイブ: 政治の役割

行政-政治の役割

石破首相の掲げる「楽しい日本」

2月18日の日経新聞オピニオン欄に、小竹洋之・コメンテーターの「「楽しい日本」が突く本質 成長と幸福の追求両立を」が載っていました。石破首相が施政方針演説で掲げた「楽しい日本」に関してです。私は「楽しい日本」は、一つの目標としてよいことだと思います。問題は、首相になって唐突に掲げられたこと、具体的な道筋などが説明されていないことです。

・・・先の施政方針演説は、その延長線上にあったのだろう。明治維新後の「強い日本」、第2次大戦後の「豊かな日本」に続く「楽しい日本」を目指す――。作家で経済企画庁長官も務めた故堺屋太一氏の遺作「三度目の日本」に倣い、多様な価値観を持つ国民全てが輝ける国家づくりを唱えた。
「軽薄」「幼稚」「優先順位が違う」……。国内の評価は芳しくない。多くの人々が物価高にあえぐなかで、これからは「楽しい日本」だと胸を張られても、違和感を覚えるのはやむを得まい・・・

・・・国民の豊かさを示す1人当たりの名目GDPは、23年のドル換算で経済協力開発機構(OECD)加盟38カ国の22位にとどまり、主要7カ国(G7)では最低の水準に沈む。22年に韓国に抜かれただけでなく、24年には台湾にも追い越されていた可能性がある。
堺屋氏の遺志を継ぐ石破氏も、「強さ」と「豊かさ」が伴ってこその「楽しさ」だと言いたかったようにみえる。何より「失われた30年」と呼ばれる長期停滞から確実に脱却できなければ、国民の共感を得るのは難しかろう。
米誌フォーチュンがまとめた世界の主要企業500社の売上高番付をみると、日本企業は過去30年弱で約150社から約40社に減った。内閣府によれば、日本の非金融法人が抱える現預金残高のGDP比率は60%で、米国の17%やドイツの20%を大幅に上回る・・・
・・・成長が全てだと言いたいのではない。1人当たりのGDPが増えても、国民の幸福感が高まるとは限らない――。米経済学者のリチャード・イースタリン氏が1974年に唱えた「幸福のパラドックス(逆説)」は、成熟した今の先進国で一層重い意味を持つ。
さりとて安易な脱成長論や反成長論に傾くわけにもいくまい。衣食住を満たす最低限の経済基盤が侵食されたままで、幸福を感じるのが難しいのは、インフレ下の世界を見渡せばよくわかる。冒頭の漁師もそれは同じだろう。

日本で成長と幸福をどう両立させるのか。大企業がグローバルに勝ち抜く「強さ」。地方の主要拠点への集住やサービス業の活性化で実現するローカルな「豊かさ」。モノ消費からコト消費(観光、グルメ、エンタメなど)への移行で得る「楽しさ」。IGPIグループの冨山和彦会長が訴えるのは、3つの目標の同時追求だ。
戦後の日本は安全、安心、清潔、正確、平等を保証する「天国」を官僚主導で築き上げた一方、面白みや「3Y(欲、夢、やる気)」のない社会をもたらした――。堺屋氏の著書には、確かに考えさせられるところが多い。

「『楽しい日本』の本質は画一性を排し、多様性を引き出すという点に尽きる。石破氏が学ぶべき点もそこにあるのではないか」とニッセイ基礎研究所の小原一隆主任研究員は話す。個性を封じる日本型システムの諸改革は、成長にも幸福にも資するはずだ。
トランプ米大統領の高関税砲などで、世界経済の行く末が案じられる時に、悠長な議論に過ぎると切って捨てるのはたやすい。だが国力を強めつつ、国民のウェルビーイング(健康で満ち足りた状態)を高めるのは永続的な課題だ。「楽しい日本」の発想そのものを、葬り去ってしまうのは惜しい・・・

業界団体の反対で法案が出せない

2月15日の読売新聞に「個人情報保護法見直し IT業界団体 法案提出の壁 与党の事前審査 難航」が載っていました。

・・・違反事業者に対する課徴金制度などを盛り込んだ個人情報保護法改正案の今国会での提出が危ぶまれている。「業界団体が改正案に納得していない」として自民党の閣僚経験者が法案提出に強く反対しているためだ。個人情報保護委員会は今年に入って、業界団体の求める規制緩和策を追加で公表するなど、譲歩を引き出そうとギリギリの交渉を続けている。だが、そもそも業界団体が法案に対する完全な「拒否権」をもつことは健全なのか・・・

・・・「個情法改正案は『C法案』。今のところ国会提出の見通しは立っていない」。政府関係者はこう明かす。
C法案とは、各省が国会に提出しようと準備を進めていた法案のうち、提出予定リストから漏れた「検討中法案」の通称である。いったんC法案になっても、その後の巻き返しで提出に至ることもあるが、「3月半ばがタイムリミット。それ以上調整が長引けば難しい」と関係者はみる。
改正案がC法案に回されたのは、与党の事前審査が通らないためだ。個情法の場合、第一関門は自民党内閣第2部会とデジタル社会推進本部で、ここで承認されないとその先の政調審議会、総務会に進めない。この「入り口」にあたるデジタル社会推進本部の実力派議員が「業界団体が納得しない法案は出さない」と譲らなかったとされる。

個情法は付則で法施行から3年ごとの見直しが定められており、今回は一昨年から検討が始まった。こどもの個人情報や生体データ、AI開発に必要なデータの取り扱いなど、論点は多岐にわたる。昨夏には意見公募を経て改正方針の中間整理もまとめられたが、経団連、新経済連盟、日本IT連盟などが反対。このため個情委は検討会を設け、特に反対が強い課徴金と団体訴訟について議論してきた。
有識者と消費者団体は「指導や勧告が中心の現行制度では、違反行為を抑止できない」「海外では既に導入され、国内でも多くの法令で導入済み」「対象は悪質な違法行為で、まじめな企業は心配ない」と主張したが、業界団体は「現行制度を有効活用すべきだ」「議論が尽くされていない」と反対し、結局、報告書には両論が併記された。

「報告書を読んでもらえれば、どちらに理があるかは分かるはず」。検討会に消費者代表として参加した情報通信消費者ネットワークの長田三紀氏は唇をかみ、「データ利活用は、消費者の事業者への信頼があって初めて進むもの。だが、いくら消費者が求めても、事業者が反対すると何も進まない」と悔しがる。
現在、党のデジタル政策の主導権を握るのはデジタル社会推進本部。その関心はデータ利活用に集中する。同本部が提言した「デジタル・ニッポン2024」作成のためヒアリングした対象も、経団連、新経連、IT連などの業界団体や企業ばかりだった。技術やサービスの複雑さもあり、同本部での発言権は一部議員に集中している。現状、事前審査を通すにはその議員の了解が必須で、議員が業界団体の意向を優先すれば、業界団体が法案の「拒否権」をもつ構図が生まれることになる。

だが、業界団体は日本経済全体の利益を代弁しているのか。
実のところ、経団連傘下の企業でも、その主張を苦々しく思う企業は少なからず存在する。既に海外の規制に対応しているグローバル企業からは「今の緩い日本の規制では、うちのように法令順守にコストをかけているまじめな企業がバカを見る」(メーカー)との声が漏れる。
AI関係業界でも開発用データの収集を容易にする改正に期待が高まっていた。「AI開発の環境整備が遅れれば、世界との競争にも大きな影響が出る」。プライバシーテック協会の竹之内隆夫事務局長は懸念する・・・

日本政治で「第三極」に見えるもの

2月13日の朝日新聞オピニオン欄は「「第三極」って?」で、砂原庸介教授の「政党の対立軸、なお不明確」が載っていました。

・・・いまの日本政治で「第三極」に見えるものは、議院内閣制のどの国でも起こりうる、過半数を得た政党がない「ハングパーラメント」と呼ばれる状態です。小選挙区制であっても、2大政党に集約されるのは、非常に限定された条件でしか起きないのです。
衆院で比較第4党の国民民主党が「第三極」とされますが、こういう政党が力をもつのは珍しくありません。議席数の関係と、政策的に自民党に近いのでピボタル(かなめ)政党になりやすい。その位置取りと、対立軸を作るような「極」は少し違う気がします・・・

・・・どちらに転ぶかわからない状態というのは、有権者の政党や政治に対する期待が「制度化」されていないことを意味します。政治のあり方が、政党などの組織ではなく、政治家個人というアクターに依存する状態になっている。これはいいことではないと思います。
いまの日本では、政党の対立軸が明確ではありません。安全保障政策などの伝統的な左か右かの対立軸はありますが、それ以外の対立軸が何なのか、社会的な合意がない。だから、「第三極」といっても、政策的にどう位置づけられるのかがはっきりしない。
求心力を持つ「極」が生まれる背景には、複数の政策の対立軸があると思いますが、日本ではそうでもない。社会が多様化しているのなら、政策や政党も多様化しそうですが、必ずしもそうはなっていません・・・

ただし、この記事は「3」についての議論で、国際的な第3極、二元論と三元論の違いと並べてあります。それぞれに興味深いのですが、焦点が絞りにくくなっているようです。

世界でも珍しい日本の国会

1月22日の朝日新聞オピニオン欄、野中尚人・学習院大学教授の「日本の国会、変われるか」から。

―日本の国会審議は、国際標準とは異なるのですか。
「1955年の保守合同で自民党や55年体制ができて以来、日本の予算案や法案は基本的に政府が与党の事前審査を受けて提出してきました。特に与党議員には賛否を縛る党議拘束もあり、いったん国会に提出するとめったに修正されず、審議が尽くされていなくても半ば自動的に可決されてきました。そうした自国の国会のあり方については知っていても、それが世界の民主主義国と比べてどうなのかは、国会議員や官僚もあまり知らないのではないでしょうか」
「たとえば、国会の本会議は日本では年60時間ぐらいしか開かれませんが、欧州諸国の議会では年1000~1200時間が標準です」

――日本の20倍とは……。
「ほら、そう感じるあなたも、日本の政治にどっぷり漬かってマヒしているんですよ。欧州だけでなく、台湾や韓国などどこに行っても、日本の国会本会議は年60時間だと言うと『それで議会と議員が役割を果たせているのか』と驚かれます」
「国際標準では、議員全員が参加できる本会議での全体討論が重要です。まず本会議で大きな枠組みを討論した上で、委員会で論点整理して議論を精緻にした後、また本会議に戻って十分に全体討論してから採決します。つまり、日本のように委員会に事実上任せるのではなく、全員が意見を言える本会議で全体討論する機会を確保するのが当たり前なんです。委員会はもちろん大変重要ですが、あくまで下準備なんですよ」
「だから審議時間は、重要法案を委員会で30時間やったら、大体そのあと本会議で50時間ぐらいやる感じです。ドイツでは委員会審議が重視されており、ほかの欧州諸国より本会議は短いですが、それでも年600時間と日本の10倍です」

―それだけ時間をかけて議論するということは、予算案が国会で修正されることも海外では当たり前なのですか。日本では28年ぶりでしたが。
「充実した議会審議の仕組みがある場合、政府提出の予算案が全く無傷で通るなんていうことは、ほとんどありません」
「ドイツでは、年によって増減はありますが、予算額全体の5%ぐらいが議決を経て修正されます。英国は、実は政府の主導権が極端に強い例外なのですが、それでも近年は議会の与党から注文がつけば、それに応じて政府が修正するパターンが増えています。欧州だけでなく、かつては政治制度上も日本の影響が強かった同じ東アジアの台湾や韓国でも、国際標準的な予算審議が行われています」

――具体的に、どのように予算案は審議されるのでしょう。
「まず議員への説明は、我が国のように与党の事前審査が先行するのではなく、議会プロセスに入ってから、与野党合同で行われることが多いです。当然、質問や意見交換がありますが、その後が重要です」
「どういう項目にどういう修正を要求するか、個々の会派や議員レベルで、項目ごとに修正案をつくります。昨年、調査に訪れた台湾で聞いたら、毎年700項目ぐらいの予算の項目のうち、相当な数のものについて修正要求が出てくるとのことでした。『これは絶対ダメだから削れ』とか、『この項目は実態を説明するレポートが出るまで凍結だ』といった具合です」
「本会議(台湾)か予算委員会(韓国)で最初に予算全体を議論した後、それぞれの常任委員会で各分野の予算を項目ごとに議論しているわけです。たとえば農林水産予算は、農林水産委員会で『この項目については、こういう修正要求が出ていますが、ほかに意見のある方はいませんか』などと、議会を挙げて1カ月ぐらいかけて項目ごとに議論し、そして項目ごとに議決していきます。もめる場合には『党団協商』(台湾)や予算委員会(韓国)で調整し、最後は本会議で討論のうえ、最終的に投票で決着をつけます」
「台湾の党団協商も与野党間の交渉のチャンネルですが、議会の公式の制度であり、いわば『表』のプロセスです。大事なことは、具体的な予算項目について公の場で議論をして、誰がどんな意見を出して予算案がどう変わったのか、あるいは変わらなかったのかが、公的な記録に残るということです」
「どの議会も、予算案は3カ月ぐらいかけてしっかり審議しています。それから考えると、日本の国会は本当に予算審議をしているといえるでしょうか」

―国会の本来の役割とは。
「国会の本質的な特徴とは、議論をした上で、社会の全構成員を拘束するルール、つまり法をつくれることです。話し合いをする組織自体はほかにもたくさんありますが、それらとは根本的に違うのが、まずそのことです」
「もう一つ、そのために意見や立場の異なる人が公開の場で討論をすることが、私は決定的に重要だと考えています。ところが日本の国会は55年体制が成立して以降、与野党による討論が実質的に行われていません。野党が政府を監視する、という重要な機能を果たしてきたことは忘れてはいけませんが、与野党の討論や熟議の場としては、役割を果たしていないと思います。これらは法律ではなく、戦後の55年体制の中で与野党でつくってきた、政治的慣習によるものです」
「日本の戦後を考えたとき、私は、自民党が与党であり続けてきた国会が本来果たすべき仕事をしてこなかったのに、民間・国民の努力と創意工夫で経済発展を遂げ、豊かさを蓄えてこられたのだと思っています。与党は公共事業や補助金の配分をコントロールすることが権力の源泉とされ、右肩上がりの時代には、それがうまく機能した面もあったでしょう。しかし、この20年以上、その蓄えを様々な分野で食いつぶしているのではないでしょうか。そして与党の政治家は、何か都合が悪くなったり批判を受けたりすると、官僚を悪者にする傾向を強めてきました」

旧態依然、日本の政治カレンダー

1月10日の日経新聞夕刊に「旧態依然、日本の政治カレンダー」が載っていました。詳しくは記事を読んでいただくとして。一部を紹介します。

・・・政府・与党は臨時国会をこなしながら12月に翌年度の予算案と税制改正大綱を決め1年が終わる。年後半のカレンダーも時代の要請に合っているのか検証の余地がある。
典型は税制改正だ。伝統的に議論を主導してきた自民党税制調査会は12月の大綱の決定に向けて10月ごろから稼働する。10〜12月にしか動かないのは党税調の権威付けとの見方があるものの、いわば季節労働で機動性を欠く。
その年に先送りされた税制項目は事実上、1年間塩漬けになる。23年の骨太の方針に明記した労働移動の円滑化に向けた退職金課税の見直しは2年連続で結論を持ち越した。旧来の終身雇用を前提とした税制が改善されない。
各国は適切なタイミングをみて柔軟に税制を変更する。例えば、シンガポール政府は不動産価格を調整するため、住宅不動産を購入する際の「追加印紙税」を変動させており、23年4月は深夜に発表し、翌日から施行した・・・

増山幹高・政策研究大学院大教授(政治学)に日本の政治サイクルの課題を聞いた。
・・・通常国会の会期を150日に定めているのは悪いことではない。一定期間で会期を終えた後、行政機関を国会審議に縛り付けることなく、国会議員は外交や他の活動に注力できる。通年国会にすべきだとの意見もあるが、会期を定めない国でも年中国会を開いているわけではない。

問題は国会を開いている期間をどう活用するかだ。これまでの国会は野党が与党の揚げ足をとることに注力していた。時間を浪費させることにエネルギーを使っていたといってもいい。
野党が与党に対峙し、どちらの政策がよいかを競う論戦になれば、おのずと議会のあり方は変わってくる。

党首討論のさらなる活用を提案したい。野党は一方的に質問できる予算委員会を選びがちだ。むしろ与野党の取り決めで党首討論の開催を制限している慣行を本来の規則通りに改めるべきだ。
予算委員会で予算と関連ない質疑を繰り返しているよりは、規則に沿って党首討論を開催して討論回数を増やすべきだ。少数野党に5分だけの討論時間を与えても十分な質疑にならない。会期中に党首討論を10回やるなら、その1回分を共産党にあてるなどの措置をとればいい。
石破茂首相は熟議の国会を訴える。日程闘争から距離を置くのが一番いい。少数与党の現状にあって、野党が責任政党に脱皮できる好機だ。予算審議の回数や採決日をあらかじめ決められれば、日本の国会歳時記は大きく変わるはずだ・・・