6月25日の朝日新聞オピニオン欄、諸富徹・京大教授の「「嫌税」の時代」から。
税金や社会保険料への忌避感が世の中で強まっている。政治家たちも「負担減」や「手取り増」を競い合い、来月の参院選は消費税など減税の是非を問う場にもなりそうだ。「嫌税」の状況が生まれた背景に何があるのか。見落とされていることはないか。税と社会保障に詳しい経済学者の諸富徹さんに聞いた。
――いま、なぜ税金がこうも嫌われるのでしょうか。
「物価上昇で低・中所得層に生活苦が広がっていることが大きいと思います。3年ほど前から賃上げが進んでいますが、物価に追いつかず、実質所得はむしろ下がっている。第2次安倍政権では消費増税が2回ありました。社会保険料はその前から上がり続けています。そこにインフレが重なった。ただ、これは直接の原因にすぎません」
――どういうことですか。
「根本の問題は日本の産業競争力が低下し、1990年代以降、賃金水準が横ばいだったことです。非正規雇用は約4割に拡大、経済格差も広がりました。昨年の衆院選では国民民主党が所得減税を訴え、躍進しました。本来、賃上げの不十分さを提起すべきなのに、いくつもの政党が税負担ばかりに焦点を当てたのはミスリードでした」
――なぜそうなりましたか。
「賃上げは民間のことなので、政策ではなかなか難しい。一方、税制は国会が決められる、というのはあったと思います」
――ネット上では税・社会保障の国民負担率が5割近いことを年貢になぞらえ、「五公五民」と批判する声もあります。
「言い得て妙というか、ある種の実態を表しています。江戸時代の農民のように、お上に搾り取られるばかりだと受け止められている。負担とセットで受益を実感できず、納税者の権利や、税のあり方を決めるプロセスへの参加の感覚を持てない。ここに大きな問題があります」
――権利と参加ですか。
「そもそも近代国家の税とは、国民が公的サービスを政府に委託し、やってもらうために払うものです。欧米では市民革命を通して、納税者は税の集め方と使い方を決める権利を持つという原理が確立されました。一方、日本はその経験がないまま明治時代を迎えた。大日本帝国憲法で納税は臣民の義務とされ、財政民主主義、つまり税負担と権利・参加をめぐる議論は深まりませんでした」
――日本国憲法で国民は主権者となり、選挙で政権を選ぶ営みを重ねてきました。税をめぐる意識も変わったのでは。
「確かに消費税の導入や増税への反発で、内閣がいくつも倒れたことがありました。ただ、財政支出や負担のあり方、国家の姿を考え、代わりのビジョンを示すものにはならなかった。今も負担面ばかりが注目され、成熟した権利や参加の意識は根づいていないと思えます」
――何が必要ですか。
「今の現象や不満を、政府や政治家、研究者が真剣に受け止め、改革を進めることです。具体的には、産業構造の転換や生産性向上を通じて、企業が持続的に賃上げを進められる環境を整える。そして若い人への投資を増やし、非正規労働者の待遇も改善する。これらは経済や産業、雇用のあり方に踏み込む難問ですが、放っておけば社会の分断が進み、民主社会の基盤が揺らぐと危惧しています」