カテゴリー別アーカイブ: 政と官

行政-政と官

官邸と官僚の関係

7月31日の朝日新聞、松下秀雄・編集委員の「Monday解説」「「記憶ない」「記録ない」政権に寄り添いすぎ? 官僚はだれの奉仕者なのか」から。
・・・93年の非自民の細川政権誕生まで38年間続いた自民党政権下の省庁人事は、官僚自身が決めていた。
当時も人事権は閣僚にあったが、短期で代わる「お客さん」。省庁は割拠し、官邸の力は弱かった。官僚は法案を通すため、自民党の族議員やそれを束ねる派閥実力者に気を配り、議員たちは影響力をふるったが、そこに人事権はない。分散する権力のはざまで、官僚は自律を保った。
その中で育ったのが、族議員や業界とのもたれあいや癒着。90年代によくいわれた「政官業の鉄のトライアングル」だ。それは官僚の威勢の源泉でもあった。
細川政権が生まれ、政権交代の時代に入ると、三角形は崩れだす。94年の政治改革をきっかけに、官僚の後ろ盾だった派閥や族議員は次第に力を失い、官邸に権力が集中。官僚の視線も官邸に向かう。だがかつての派閥や族議員とは違い、政権は頻繁に代わる。政権に近いとみなされた官僚が次の政権で代えられる例を含め、政治主導の人事が目立つようになる。
そして首相や官房長官が部長級以上の官僚人事を差配しやすくする内閣人事局が発足。強い力をもち、長期化する安倍政権に寄り添いすぎる官僚が問題化し、同時に官邸の手法への反発も生まれている・・・

・・・牧原出・東京大教授(行政学・政治学)は「90年代は朝日新聞も含め、『横暴な官僚』をたたいたが、これからは官僚を『全体の奉仕者』に育てる方法を考えなければならない」と唱える。官僚の力を生かす道を考え、政治主導をバージョンアップする提案である・・・

時の政権と官僚との関係

7月25日の朝日新聞オピニオン欄、牧原出・東大教授の「「全体の奉仕者」どこへ」から。
・・・大切なのは公務員が何に奉仕するかということを明確化することです。かつての官僚支配時代、彼らの考え方は、戦前の官吏の延長線上にあって、「自分たちが国を率いているぞ」という感覚が色濃く残った「国益の奉仕者」でした。これが政治主導となって、「時の政府の奉仕者」になりました。このとき、「時の政府は国民全体か」という深刻な問いが官僚に突きつけられたのです。しかし、いまだ、この問いは解かれてはいないのでしょう。如実に示すのが文書の取り扱いです。今の政権も役所も、問題となった文書が「ない」と言っています。でも、別の内閣になって、前政権の問題を洗いざらい調査し始めれば、なかったものも出さざるを得なくなる。いま「ない」と言っていた人たちが責任を追及されることになるんです。
官僚には時の政府と共倒れになっていいのか、という自覚が必要です。前川喜平前文科事務次官が言った「面従腹背」の意味が生きてくる。様々な要求を出してくる政権と相対しながら、国民の奉仕者、全体の奉仕者のあり方を探っていく段階に来ていると思います。英国では官僚の倫理標準を提言したノーラン委員会が官僚が持つべき魂を示しました。無私、高潔、客観性、責任、公開性、誠実、リーダーシップの七つです。ごくごく当たり前の価値観のように見えますが、全体の奉仕者の目指す目標とは何かを実際の言葉にして議論していくことが重要です・・・

政と官の関係のあり方が、議論になっています。このホームページでも、かつてはそれを一つの項目にしていました(政と官)。省庁改革に参画して、いろいろと考えたのです。少し読み返しても、いろんなことを書いていますね。私の研究テーマの一つです。
その後、民主党政権、第2次安倍政権になって、実態が変化しました。今回の議論は、官邸と官僚との関係に焦点が当たっているようです。

政官関係、代理人としての官僚

日経新聞7月24日の経済教室「政官関係の課題」は、曽我謙悟・京都大学教授の「官僚、専門性・透明性高めよ」でした。
・・・代理人としての官僚制の実態は4つに大別できる。第1は政策執行者としての官僚制だ。官僚制が政治家のコントロールの下で政策の実現に専念する。第2は逆に超然的な国士型官僚制だ。代理人が自律的な政策決定をしており、エージェンシー・スラックが発生しうる。第3は委任により本人が時間や労力を節約する場合だ。第4は委任により本人が知識や情報を補う場合だ。第3と第4は、第1と第2の両極の中間に位置する。
日本の官僚制は明治国家の成立以来、第2次大戦後もしばらく第2の類型に位置してきた。だが自民党長期政権の下で第3の類型に移行した。社会や野党との調整を含む多くの政策形成時の作業が官僚制に委ねられてきた。2000年代以降の政治主導の流れは第1の類型への転換を迫る面もあったが、実態は第3の類型から変わっていない。

学部認可問題を巡り、文部科学省の前事務次官は「公平、公正であるべき行政のあり方がゆがめられた」と記者会見で述べた。根底にあるのは第2類型の国士型という理想像だろう。しかしその時代は遠く過ぎ去り、政治家の労力と時間を節約するための第3類型の代理人が現実なのだ。
第3類型の本人・代理人関係で軽視されるのは、国民に対してアカウンタビリティー(説明責任)を果たすことだ。学部認可問題では文書の存否やその位置づけを巡る水掛け論が続いた。それは政府としての決定プロセスを記録・保存し開示することが制度化されていないからだ。政治家と官僚制の双方とも、いかなる政策決定をいかなる理由で行ったのかを、正確に国民に伝えることができていない。
また第4類型の本人・代理人関係は現実に遠い。現在の獣医学部の設置状況がどのような社会的、経済的な帰結を生み出しており、規制緩和でどう変化すると予測されるのか、データや客観的事実に基づく議論がなされていない。官僚制が知識や情報に優れるからこそ、委任を受ける存在となっていないのである・・・
原文をお読みください。

行政の裁量と行政への監視

日経新聞6月9日の夕刊「森友・加計 裁量の霧の中 行政監視や記録保存あいまい」から。
・・・2つの問題でまず指摘されるのは「日本の行政は裁量が大きい」という点だ。比較行政法が専門の南山大の榊原秀訓教授は「日本は英国に比べ、国会や司法のチェックが弱いので結果として行政裁量が広い」と話す。日本と同じ議院内閣制の英国と比べよう。
英国で行政の不祥事や疑惑が発生するとどうするか。通常はまず政府自身が第三者機関をつくって調査する。法律で調査委員会の組織、手続きや報告書提出などが定められている。退職した裁判官や弁護士らを委員長に据え、数カ月かけて調査する慣例だ・・・

・・・議会の行政監視も力の入れ方が違う。英国では法案審議を主に手掛ける「一般委員会」と別に「省別特別委員会」がある。こちらは各省の特定の問題で関係者を招致して聞き取り調査し、報告書も刊行する。予算や法案の審議をする委員会の中で並行して行政の疑惑も追及する日本より、集中的に取り組める。
司法も行政チェックを後押しする。日本では国を相手取って提訴するのはほぼ利害関係者だ。原告は、許認可を取り消された業者や、行政の過失で健康被害を受けた住民ら。ところが英国では直接利害関係になくても、公益性が高い案件は国民が提訴できる。
英最高裁は1月に「欧州連合(EU)への離脱通知には議会承認が必要」と判決を出した。この時の原告の提訴理由は不利益の被害を受けたからではなく、あくまでも「公益性」だった・・・

官僚が支える国会審議

日経新聞が、4月5日から「日本の政治 ここがフシギ」を連載しています。5日は、「見えぬ議員の懐事情 遅い収支報告公開」、6日は「国会質問、前日までに通告 官僚頼みの閣僚答弁」でした。

・・・学校法人「森友学園」(大阪市)の問題を国会で追及された稲田朋美防衛相。時折、手元の書類に目を落とし、言葉を選ぶように答弁した。この書類が通常「答弁書」と言われる、官僚が作成したペーパーだ。日本では閣僚答弁のほとんどを省庁が作る。
政府方針を踏み外さず、問題発言を避けるためだ。
それを支えるのが質問通告だ。本会議や委員会で質問する議員は前日までに省庁に質問を紙で連絡する慣例だ。官僚が出向いて聞く例も多い。
通告後、役所の担当部署が中心に答弁を作り、当日朝に閣僚へ説明する。曖昧な通告は想定問答は複数必要。作業が明け方になることもある・・・

・・・財務省職員の高田英樹氏は10年ほど前まで英国財務省に出向していた。「投資市場改革の進捗を聞きたい」。審議3日前に国会から議員の質問が送られてきた。簡潔な答弁を作成し、メールで送り返して作業は終わり。
「日本で丸1日の仕事が実質3時間で終わった」。高田氏は振り返る。英国では質問は3営業日前までに書面で通告する。閣僚は冒頭の簡潔な受け答え以外は答弁書に頼らず、自分で答える。
ドイツでは質問形式で期限が決まる。答弁に最も近い締め切りでも、週末を挟んで5日前までに通告する決まりだ・・・

これは、以前から指摘されている、日本独自の慣習です。霞が関官僚の時間外勤務のかなりを、この仕事が占めています。質問がもう少し早く通告されると、効率的になるのですが。原文をお読みください。