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行政-政と官

道州制

地方制度調査会(総理の諮問機関)が、道州制の議論を進めています。また、自民党では北海道での道州特区を議論しています。各紙が報道していますが、17日の朝日新聞松田京平記者の解説が、よくまとまっていました。その見出しは、「権限移譲、霞ヶ関の壁」「北海道特区に各省反発」です。
今回議論されている道州制は、都道府県の合併でなく、国や国の出先機関の仕事を道州に移管することを主な内容としています。そして国は、地方ができないことに特化するのです。市町村合併が進み、県の合併と国からの権限移譲を進める条件が整いました。
もっとも、対象となる各省は、大反対をするでしょう。すでに北海道開発局は、北海道特区に対し反対を表明しています。でも、北海道開発局って、本州・四国・九州では県がやっている仕事を、国の出先がやっているのですよね。道庁に移譲できない理屈を述べることは難しいでしょう。
仕事がなくなる組織が改革に反対するのは、さほど驚くことではありません。「反対するな」という方が無理です。まな板の上の鯉に、「あんた切ってほしいか」と聞いているようなものです。誰か第三者が、決めるしかありません。それは政府であり、国会です。
民間企業では競争が淘汰してくれますが、行政組織は「声が大きいと」温存されます。近年、いやというほど見てきましたよね。官僚が、国民の利益より、自分たちの利益を優先することは。

地方財政は誰が査定するか

記者さんたちとの話です。
記者:先日のHPの警察官10万円の話は、おもしろかったですね。
全勝:ありがとう。でも、おたくの社も書いてたんじゃないの。
記:そうですが・・。ところで、その延長線で言うと、義務教育国庫負担金の負担率が、3分の1になりましたよね。すると、国の持ち分が3分の1、地方の持ち分が3分の2。地方の負担の方が大きいのに、なぜ、教員の数を財務省が査定するのですか。総務省が地方財政計画策定過程で査定して、文科省と財務省に内示すればいいじゃないですか。警察官の人数が総務省と警察庁との協議・査定で決まるのなら、義務教育職員だって総務大臣と文科大臣が折衝するべきですよね。
全:言われてみれば、そうやね。分権が進むと、そんなことも変わるよね。だからこそ、財務省が抵抗するんとちゃうか。
記:でも、そもそも警察官の数とか教員の数とかは、安全や教育のあり方そのものですよね。それを、ゼニの観点から査定するのも変ですよね。もちろん、限られた財源の中でしか増やせませんが。まず、教育がどうあるかの議論があって、そして財源との議論があるべきですよ。
全:そこが、問題なんよ。県や市だったら、企画部が政策や計画を考える。もちろんその際には、知事や市長の意向に沿って。そして、財政課と協議し、最後は知事・市長が判断する。ところが、国には企画部がない。そして、各大臣と同列の財務大臣が、予算査定をする。やはり、重要な施策は、財務省・お金の査定に任せるのではなく、総理のところで集約するべきやね。
論点1:地方の負担の方が大きいのに、なぜ、財務省が査定するのか。
論点2:安全や教育を、予算だけで決めて良いのか。
論点3:国には、企画部がない(参考拙著「新地方自治入門」p68)。
日経新聞は、29日から「官を開く」の連載を再開しています。
この連載の2月1日は、「私たち民こそ主役、国に甘えず自立宣言」を特集していました。企業が政府系金融機関への甘えを断つ事例、町村が補助金をもらわずに地域おこしや道路整備をする事例、住民が政策作りに参加する事例、公共サービスの担い手になる事例が取り上げられています。また、「官を開くための25条」が列記されています。それは、官の領域をゼロから洗う、官業の効率化を進める、公務員制度を改革する、チェック機能を強化する、地方のスリム化を進める、民間の甘えを断つ、の6グループに分けられています。
また、「経済教室」では、山本清教授が「サービス供給方式の多様化、行政の必要な能力変化」を書いておられました。

審議会政治の終焉

25日の朝日新聞では、「首相の下、強まる官邸主導」「省庁の審議会、埋没」を解説していました。委員がわいろをもらっていた中央社会保健医療協議会の「地位低下」は論外ですが、政治主導の政治になるなら、審議会はお役後免になるはずです。
ある分野の政策を決めることや、利害対立する政策を調整することは、本来、政治家の仕事です。それを官僚が行い(政治家が逃げ)、官僚が決めるのでは国民が納得しないので審議会の形を借りる(実質は官僚が原案を書く)、というのが審議会です。
審議会にはもう一つ、法律を施行する際に専門家が事実認定をする「審査会」というグループがあります。航空・鉄道事故調査委員会とか、恩給審査会とかです。不服審査や行政処分に関与するものです。これは審議会と名が付いていますが、審議会とは別物で、「良い審議会」です。問題となるのが、政策を審議する審議会で、これが「悪い審議会」です(詳しくは拙稿「中央省庁改革における審議会の整理」月刊『自治研究』2001年2月号、7月号をご覧下さい)。
大臣が政策を決定する際に、専門家の意見を聞くことは悪いことではありません。審議会という「権威」を借りて、責任をそこに預けてしまうことがいけないのです。専門家の意見を聞くなら、個別に聞くか、勉強会を作ればいいのです。先日、住民基本台帳の閲覧制限を議論した専門家の集まりは、審議会ではありません。専門家の意見を聞いて、政治家が決定するのです。

小さく産んで大きく育てる?

15日の朝日新聞に、国土交通省の公共事業(2002年度までの10年間に完了した416事業)のうち25%の事業が、事業費が当初計画の1.5倍以上に膨らんでいたことが取り上げられていました。5倍や6倍にもなった事業もあります。
私が県で予算を担当していたときも、ダム事業の計画変更には疑問を持っていました。地方団体は、大きな契約は一件ごとに議会の承認が要ります。変更する時もです。ダム事業は、何度も増額の変更契約を議会にかけることがあるのです。
理由を聞くと、「思っていたより地盤が悪かった」とか、それなりの理屈はあります。ダムは山の中に造られるので、用地費の値上がりは大きな要素ではありません。記憶が正確ではありませんが、国庫補助の県事業ではどれも概ね3倍、国直轄事業(県が負担金を払う)は4倍になるのが通常でした。
で、私の担当者に対する意見は、「あんた、自分の家を建てるときに、途中で大工さんから『工事費が倍になりました』と言われて、黙って払うか」です。「そんなの払いませんわ」が、返事でした。
記者さんの解説によると、「最初は安く見積もるんですよ。予算が付きやすいように。水の需要予測だって、水増ししてるんではないですか」
「いったん工事を始めたら、中止するわけにはいきませんものね。それに、工事会社もうれしいんです。会社が交代させられることもないですから」
「こういうのを、小さく産んで大きく育てると言うんですかね(笑い)。そして、ツケは国民に回るんです(怒り)」
「また、一カ所を早く仕上げて、次の事業に取りかかることもしません。なるべく多くの箇所で工事をして、それぞれは細く長く続けるのです。これはダムだけじゃありませんよ。まあ、全国的失業対策事業ですわ」とも。
17日の日経新聞「まなび再考」では、耳塚寛明お茶の水女子大教授が「負担増えても私立、薄れる公立学校の意義」を書いておられました。「文部科学省の調査によれば、私立中学に進んだ場合の学習費総額は、3年間で約370万円。公立だと塾に通う費用を含め3分の1ですむ」「それにしても、税を公平に負担した上で、これだけの教育費投資を決断させる公立学校教育とは何なのだろう」
ご指摘のとおりです。前にも書きましたが、東京では、ちょっとした親なら、子供を公立中学や高校に行かせないとのことです。この金額って、サラリーマンには重い金額ですよね。でも、文科省の一番のテーマは、その公立小中学校の教員給与を、国が半分持つかどうかのようです。何かまちがっていると思いませんか。(10月17日)
補助金廃止について、各省からの回答が0だったことに関して。
今日、国会内での、官僚の抵抗を嘆くある国会議員さんとの会話
議員:岡本さん、官僚ってなんだい?
全:はあ・・?
議:官僚の雇い主は大臣、大臣の雇い主は総理だろ。総理が補助金廃止について、地方の意見を聞くようにと指示しているのにかかわらず、どうして、職員が雇い主に反抗するんだ。
全:はあ。総理を上司と思っていないんじゃないですか。
議:あんたたちは、明治憲法を習ってきたのか。あの時代は、官僚は陛下の部下で、議会からは超越していたけどね。昭和憲法では主権は国民。その国民が選んだ代表が国会議員。その国会議員が選んだのが総理大臣。官僚って、その使用人じゃないか。
全:おっしゃるとおり。議員よりも、いいえ総理より、自分の方がえらいと思っている官僚も多いんじゃないですか。仕事熱心なことは良いんですが。決定権は、総理がお持ちです。
議:今まで、政治家が責任を持たずに、官僚に任せてきたのが悪かったんだけどね。
昨日の経済財政諮問会議など、公務員改革の議論が盛んです。論点がいっぱいあって混乱しているので、「公務員改革論議」を整理しました。

改革の敵は官僚?

郵政民営化法が成立し、各紙は次の政治課題を並べています。ポスト小泉競争と関連させてです。例えば15日の朝日新聞は、森川愛彦記者が「郵政民営化法成立後の小泉構造改革マップ」という図表付きで解説していました。そこではテーマと担当政治家と予定が一覧表になっていて、わかりやすいです。
そこに書かれているテーマは、政府系金融機関改革、公務員削減、三位一体、医療費、外交、憲法です。この内、前3者が官僚との戦いになる、そして政治家の力量が問われるという見方です。
なぜ官僚が日本政治の「敵」になるか。それは次のような理由です。
簡単に言えば、日本社会と経済が右肩上がりの時代を終え、右肩下がりの時代に入ったからです。官僚は各省ごとに、それぞれの行政分野について充実拡大することを仕事にしてきました。「大蔵省主計局の担当主計官-各省(各局)-族議員-業界」という系列になります。それぞれが予算額の増額(どれだけ大蔵省からお金を取ってくるか)を競い、それを増える税収のなかで調整すればよかったのです。それは業界が喜ぶだけでなく、官僚にとっても予算の増額、公務員数の増員、天下りポストの確保だったのです。この構図は、この10年税収が増えなくなっても続き、足らない分は国債にツケを回しています。
右肩下がりの時代になって、この構図は成り立たなくなります。予算や人員を削減する時代になると、先ほどの系列は不要どころか、抵抗勢力になるのです。担当ごとの主計官制度では大幅な削減はできません、一律シーリング方式では分野別大幅削減はできません。
官僚制について言えば、国家官僚がいなくて、各省官僚しかいないことに問題の原因があります。内閣の方針を企画し実行する事務方である国家官僚がいない、日本全体を考える国家官僚がいなくて、各省の利益を考える各省官僚しかいない現在の官僚制(行政の構造的課題)です。
政治の世界に目を広げると、郵政民営化がシンボルでした。「改革派-小泉内閣」vs「族議員-業界」の戦いであって、与党vs野党の戦いではありませんでした。新聞でも野党の存在はほとんどありません。先の総選挙では逆に、野党の方が労働団体という業界の利益代表であるという解説もされました。
これからの構造改革は、既得権-業界-族議員-各省官僚との戦いになるのでしょう。政治の世界では首相のリーダーシップが確立されつつあり、与党では全員一致でなく多数決で決めて、党議拘束をかける、反対派は除名するといった改革が進みつつあります。すると、次は内閣と官僚の関係、すなわち国家官僚をどう作るかが課題になるでしょう。これを改革しないと、内閣の行う改革は進みにくいでしょう。