・・政治主導とその実態を形作るものが何かといえば、それは政党である。平成初めの政治改革のスローガンは「個人中心から政党中心へ」であった。つまり「平成デモクラシー」は、政党の改革と政治主導の充実に期待をかけてきた。確かにかつての派閥は事実上なくなったが、それに代わって政党があらゆる面で充実し、政治主導を任せられるものに成長したかといえば、自信を持って「イエス」と回答できる状況には必ずしもない。
日本では、政治主導と政治家主導とがしばしば混同される。政治家主導というのは察するに、政治家たちの発言力が―特に、官僚との関係で―強まることを素朴に肯定する態度である。多くの政治家たちはこの政治家主導を政治主導と取り違え、その結果、政党の内部は混乱し、政権運営は内側から崩壊しかねないことになる。つまり、政治主導と政治家主導は同じどころか、時には相矛盾する現実を意味するのであるが、そこが曖昧なままである。逆にいえば、政治主導は政治家に対する組織的な統制力なしにはあり得ないのであって、政治家たちがそれぞれ勝手なことをいうこととは両立しないのである・・
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行政-政と官
この四半世紀の日本の政治改革、その3
・・「平成デモクラシー」はこの顕教と密教との二重構造を、顕教優位の方向で一元化することを推し進めた。その意味でいえば、教科書に書いてあることに現実を近づけていく試みであった。密教体制というものにはとかく秘密性、隠匿性が付きまとい、「内部関係者」であるか否かが決定的に重要な意味を持つ。これを取り除くためには、権力行使をルール化し、透明性の高いものにしていかなければならない。そのためには、権力を塊としてとらえるのではなく、当事者間の関係としてとらえ直すことが含意されており、一方が他方に対して単純に指揮命令する関係から離陸することが必要になる。これまでの官僚制が権力も責任も全て一人で抱え込んでいたとすれば、それを他の主体と分担し、責任も軽減していく方向が出てくる。指揮命令関係としての統治(ガバメント)に代わって、ガバナンスという言葉が多用されるようになり、公共性の担い手の多元化が進むようになったのはその証である。そして行政と並んで司法が大きく登場したのは、その当然の帰結であった。
「平成デモクラシー」を特徴づける言葉を一つあげるとすれば、それは政治主導であろう。21世紀になってこの言葉がようやく流布するようになったことは、裏を返せば、「それまでの日本のデモクラシーは誰が運営していたのか」という質問を誘発するという意味で、いささか「やぶ蛇」ともいえる。それはともかくとして、「平成デモクラシー」は政治以外に主導すべき存在がないようにしようという前提で話を進めてきたのであるから、政治の成否は全て政治主導の実態にかかっている。実際、「誰が総理になっても同じ」ではなくなったし、政権も代わる可能性を常に視野に入れておくべきものとなった。官僚制に丸投げして済ますわけにはいかず、官僚制にも今さらそれを引き受ける用意はなくなった・・
この項、まだ続きます。
この四半世紀の日本の政治改革、その2
・・「平成デモクラシー」を特徴づけるものとして、先に透明性という言葉を持ち出した。これは単に政治がわかりやすくなったとか、メディアの役割が大きくなったとか、そういうことに止まるものではない。大げさにいえば、それは権力構造の大きな変化を伴っていたと考えられる。
かつて久野収と鶴見俊輔は顕教と密教という言葉を使って大日本帝国の権力構造を巧みに分析してみせたが、戦後の日本政治にもその手法はかなりの程度通用する。つまり、憲法に書かれている顕教によれば、日本は議会制であり、政党を基盤とした内閣が国会の信任を得て権力を行使するシステムを持っていたことになるが、実際のところは(密教によれば)憲法にその権限の規定のない役所に権力が集中し、個々の政治家や利益集団はその権力への接近を求めて日々角逐・競争に余念がないというのがその実態であった。単純化を恐れずにいえば、顕教によれば議会制であったが、密教によれば実は官主導であった。
ただし誤解のないようにいえば、この密教体制も議会制という顕教がなければ存続できない限りにおいて、この2つの側面は憲法体制の下にあって共生していたというべきである。政治家や政党の役割が重要でなかったわけではないが、権力のコアはあくまでも官僚制にあり、統治はそれによって実質的に担保されていたのである。多くの有権者も政治家よりは官僚により大きな信頼感を持ち、「政治家がダメでも、官僚がいるから大丈夫だ」という感覚で過ごしてきた・・
続く。
この四半世紀の日本の政治改革
講談社PR誌『本』2013年6月号、佐々木毅・東大名誉教授の「平成デモクラシーを問う」から。
・・平成になって四半世紀が過ぎた。平成元年はベルリンの壁が崩壊し、冷戦が名実ともに終焉を迎えた年であった。平成時代は世界史の大きな区切りとともに始まった。従って、平成を問うことは冷戦後の世界がどうであったかを問うことに重なる・・
政治についていえば、この四半世紀は世界規模での民主化の大波に洗われた時代であった・・日本はこの大波に無縁な民主主義国であったはずであるが、気がついてみると、日本の民主制もそれなりに大きく変貌した・・
今から四半世紀前の政治はすっかり姿を消した。確かに自民党という政党はあるし、再び政権の座についているし、相変わらず派閥という言葉はあるが、その内実は月とスッポンほどに違う。違いといえば「政治とカネ」の問題はその代表例であるし、今や「一票の格差」が二倍を超えたりすると違憲判決が出るようになった。
自民党自身が自らを変えようとし、それに他の政治勢力やメディア、有権者が加勢し、日本は連立政権から政権交代まで一気に走り抜けた。今や政治にとって透明性は命綱であるが、四半世紀前の政治は一言でいえば、派閥に代表される不透明性の集塊の感があった。「平成デモクラシー」はいわば透明性と変化に向けての体系的な跳躍の試みであり、リーダーシップにしろ、政権公約(マニフェスト)にしろ、そうしたものへの注目はこの大転換の中で生まれたのであった・・
この項続く。
政と官、新内閣の方針
鳩山内閣は、発足と同時に、政と官の在り方を発表しました。
「政・官の在り方」(平成21年9月16日 閣僚懇談会申合せ)。そこには、次のように書かれています。
「「政」と「官」の関係を見直し、政治主導を確立することで、真の民主主義を実現する必要がある。
もとより、「政」、「官」ともに、よって立つ基本は、「国務大臣、副大臣及び大臣政務官規範」、「政治倫理綱領」、「国家公務員倫理規程」において示されているとおり、公益の実現に全力をあげることである。こうした基本的考え方に立って、「政」と「官」の適正な役割分担と協力関係を目指し、以下のとおり、当面、内閣が取り組むべき方針をとりまとめたものである・・・」