この四半世紀の日本の政治改革、その2

・・「平成デモクラシー」を特徴づけるものとして、先に透明性という言葉を持ち出した。これは単に政治がわかりやすくなったとか、メディアの役割が大きくなったとか、そういうことに止まるものではない。大げさにいえば、それは権力構造の大きな変化を伴っていたと考えられる。
かつて久野収と鶴見俊輔は顕教と密教という言葉を使って大日本帝国の権力構造を巧みに分析してみせたが、戦後の日本政治にもその手法はかなりの程度通用する。つまり、憲法に書かれている顕教によれば、日本は議会制であり、政党を基盤とした内閣が国会の信任を得て権力を行使するシステムを持っていたことになるが、実際のところは(密教によれば)憲法にその権限の規定のない役所に権力が集中し、個々の政治家や利益集団はその権力への接近を求めて日々角逐・競争に余念がないというのがその実態であった。単純化を恐れずにいえば、顕教によれば議会制であったが、密教によれば実は官主導であった。
ただし誤解のないようにいえば、この密教体制も議会制という顕教がなければ存続できない限りにおいて、この2つの側面は憲法体制の下にあって共生していたというべきである。政治家や政党の役割が重要でなかったわけではないが、権力のコアはあくまでも官僚制にあり、統治はそれによって実質的に担保されていたのである。多くの有権者も政治家よりは官僚により大きな信頼感を持ち、「政治家がダメでも、官僚がいるから大丈夫だ」という感覚で過ごしてきた・・
続く。