「復興庁オーラルヒストリー2」の続きです。「東日本大震災に関するオーラルヒストリー」に、追加がされています。
佐藤 慎一・元内閣官房内閣審議官と田島 淳志・元東日本大震災復興対策本部事務局参事官、元復興庁参事官(総括班)の記録が、興味深かったです。発災直後から、政府として何をするべきかを考えていたのです。そして、復興法案等準備室をつくり、復興基本法の案を作成し、構想会議を立ち上げ運営し提言をとりまとめます。
復興構想会議の審議(迷走ぶり)は報道で知っていましたが、知らなかったことが多いです。私が被災者生活支援本部で、被災者の支援と被災地の応急復旧に取り組んでいた時に、内閣官房ではこのようなことが行われていたのですね。
佐藤さんは、想像力を生かすことと、業務の日程管理、担当者の配置、彼らへの指示に気を遣います。このあたりは、私と同じ苦労ですね。前例のない緊急事態の際の対応は、いかに人によるかがわかります。
このような知恵と苦労について、行政文書にはどの程度残っているのでしょうか。かつての公文書にしろ新しい概念である行政文書にしろ、ここに記された佐藤さんの苦労ぶりや知恵の出し方は、残らないと思います。聞き書き(オーラルヒストリー)が持つ効果でしょう。
後に被災者支援本部を閉じて、復興本部をつくる際(2011年6月)に、被災者支援本部事務局と法案準備室とが合体することになりました。当然、佐藤審議官が新しい本部の責任者になる(私はお役御免で元の職場に戻る)と思っていたのですが、佐藤審議官は財務省に復帰し、私が復興本部に勤めることになりました。
法案準備室は主に頭脳作業をしていて、被災者支援本部は現地で汗をかいていた(服装は出動服)ので、私は冗談で「法案準備室は頭脳労働者、被災者支援本部は肉体労働者」と表現していました。その二つの組織と職員を合体させることは、うまくいくか心配でした。
法案準備室から来る田島参事官と2人で、新しい組織をどう作るか打ち合わせをしました。初対面でしたが、話しがかみ合って安心しました。私が本音をぶつけても、全て理解して対応してくれたのです。
で、復興本部とその後の復興庁の組織編成や職員集めは、ほぼ田島参事官に任せました。2人で、前例のない大胆なことをしました。いろいろ悩むこと困ったこともありましたが、うまくいったと思います(正確には悩んでいるひまがなく、次の課題を片付けなければならなかったのです)。田島君のおかげです。