「官僚論」カテゴリーアーカイブ

行政-官僚論

民間や自治体からの職員たちの感想

今日は3月31日、明日は4月1日。多くの職場で人事異動の時期です。復興庁でも、各省から派遣された職員とともに、自治体や企業から派遣された職員の異動があります。
先日、彼らの報告会がありました。1~2年間の復興庁勤務で考えたことなどを、幹部の前で報告してもらうのです。親元とは違った「社風」の職場で、苦労した様子がわかります。他方で、復興庁ならではの経験を評価している人も多いです。興味深かった意見を、いくつか紹介します。
・親元では何かとハンコ(上司の決裁)がないと仕事が進まないのに比べ、復興庁の仕事の速さに驚きました。
・被災現場を見て回る機会が多く、勉強になりました。2年間に70回以上出張しました。
・交付金の審査の際、申請している町長の言い分(地元の悲願だ)と、当方の主張(財源は増税も)とが対立することがあり、大変でした。知恵を出して、事業ができた際はうれしかったです。
・自治体だけでなく、企業やNPOと一緒になって仕事をすることが新鮮でした。
・総理大臣や大臣のすぐそばで仕事ができました。大臣や幹部との距離が、とても近かったです。
・周りの職員が、精神的にも肉体的にも非常にタフなことに驚きました。地元に寄り添って復興するんだという高い志を持っているんだと感じました。
・役所の仕事の進め方がわかりました。
・いろんな方と知り合えました。財産です。
・同僚や上司が、いつも笑顔で話を聞いてくださったのが、助かりました。
ありがとう。この経験を、これからの仕事で生かしてください。

明治新政府を支えた幕府官僚

門松秀樹著『明治維新と幕臣―ノンキャリアの底力』(2014年、中公新書)が勉強になりました。「薩長土肥の雄藩が幕府を倒し、明治政府は藩閥が牛耳った」というのが私たちが学んだ歴史です。しかし、新政府の幹部を藩閥が抑えたとしても、日々の行政は実務能力のある「官僚」が行わなければなりません。幕府を倒しても、新政権には手足はいませんでした。幕府の官僚をそのまま使い、そして仕組みとともに改革していったのです。この本は、その官僚たちを「ノンキャリア」として、彼らの意義を高く評価しています。いわれてみれば、なるほどと思う事実が、いろいろと書かれています。
明治維新に限らず、戦後改革、さらには政権交代時に、どこまで行政機構と官僚を引き継ぐか。大きな課題になります。外国でも、革命が起こった場合、外国軍が占領した場合も、前政権の公務員をどこまで使うかは、悩ましい課題です。「敵」あるいは「敵に仕えた者」として追放すべきですが、さりとて彼らを全て追放しては、行政が滞ります。
他方で、前政権に仕えた公務員は、新政権に奉公すべきか。「二君にまみえず」といった格好いいセリフもありますが、公務員にも養わなければならない家族もいます。また、その能力を新政権が買ってくれる場合もあります。維新に際して、在野を貫いた福沢諭吉が、勝海舟と榎本武揚に対して「痩我慢の説」を突きつけたことは有名です。
この本には、そのほか遡って、江戸幕府の官僚機構がどのようにして整備されたかや、旗本御家人の公務員生活も解説されています。歴史好きの方、行政や官僚に関心のある方にお薦めです。

公務員も安心しておられない、2

昨日の「公務員も安心しておられない」を読んだ方(複数)からの反応。
「ここには、40歳代が対象と書いてあります。私は50歳代ですが、もう遅いのでしょうか」
「公務員は職務専念義務があるので、現役の間は再就職先を探してはいけない、と聞いたことがあります。また、副業も禁止されています。第2の人生を、いつ設計したら良いのでしょうか」

公務員も安心しておられない

国家公務員も、かつてのような「保障された人生」では、なくなりました。それは、大企業でも同じです。総務省人事恩給局が、40代の職員を対象に、自分の人生設計を考える研修をしています。その趣意書を、一部紹介します。
・・公的年金の支給開始年齢の引き上げによる再任用の義務化等に伴い、職業生活期間の長期化が想定される一方、能力・実績重視の強化、再就職あっせんの禁止等により従来と同様のキャリアパスを見通すことは困難となっている。
また、内外の社会経済情勢の変化、継続的な行政改革などの中で、中高年職員は長期にわたりモチベーションを維持しつつ、環境変化や役割変化に対応することが求められており、そのための能力開発等に自ら努めていくことが重要となっている。
更に、複線型の人事管理、早期退職募集制度等、自らのキャリア選択を前提とした制度の導入がなされていること、民間企業においても40 歳代以降の職員を対象とした自律的なキャリア・デザイン支援の取組を導入する例が増加していることを踏まえると、定年直前ではなく、早期の段階から職員が自らのライフプランについて考えることが必要となっている・・

官僚の板挟み、法律と信条が相反したら

読売新聞連載「時代の証言者」は、2月15日から、高木勇樹・元農林水産次官の「日本の農政」が始まりました。初回の見出しは、「農業の守り方、間違った」です。
食糧増産のために、秋田県八郎潟を干拓し、大潟村がつくられました。広い水田を求めて、1967年以降全国から589人が入植しました。しかし、この時期から米は余りはじめ、1971年、本格的な減反政策が始まります。
減反政策に従わず、作付けしてできた米は、ヤミ米と呼ばれました。当時の食糧管理法は、政府が買い取る政府米と、そうでない自主流通米とを認めていましたが、減反に従わないヤミ米の販売は違法とされていました。大潟村では農家が、減反順守派とヤミ米派に2分され、ヤミ米派3人が、国によって食管法違反で起訴されました。
・・でも、食管法が守られなくて困るのは役所だけ。売るために必死につくったヤミ米は政府米よりおいしく、消費者はそれを知っていました。食糧難の時代はとっくに終わっていたのです。
3年後、3人は不起訴になります。当時、食糧庁の企画課長だった私は、テレビ局にヤミ米派との対談を頼まれましたが、断りました。嘘をつくのが怖かったのです。官僚の私は口が裂けても「法が悪い」とは言えませんが、心の中には米政策に対する疑問が芽生えていました。それはその後も膨らむ一方だったのです・・