カテゴリー別アーカイブ: 官僚論

行政-官僚論

公務員倫理法

国家公務員倫理法ができて、20年になるそうです。もう20年も経つのですね。
若い公務員は、なぜこの法律ができたか、その経緯を知らないでしょう。あなたたちの先輩(の一部)が、とんでもないことをしていたのです。それを防ぐために、こんな法律ができました。

去年、毎日新聞の取材に応じました。2018年5月23日「論点 国家公務員の不祥事」。そこでは、官僚不信を、3つに分類しました。一つは官僚機構の構造的問題、二つ目は官僚たちの仕事の仕方の問題、三つ目は個人の立ち居振る舞いです。倫理法はこの3番目に当たります。

国家公務員は毎年この時期に、インターネットで自習するとともに、自分で試験をしてその結果を、担当者に報告することになっています。
文字で読むとなかなか難しいのですが、わかりやすい「漫画の教本」ができました。

無茶な行政指導

日経新聞私の履歴書、11月は、化粧品のファンケル会長、池森賢二さんです。ご苦労なさった人生を書いておられますが、きょう紹介するのは、役所の対応です。どうやら、無添加化粧品の評判を気にした同業者が、行政を使って嫌がらせをしたようです。

11月14日「小瓶革命
・・・人気がうなぎ登りとはいえ、世間的な認知度はまだまだ低い。当然様々な妨害行為や理不尽な目に遭う。1985年、厚生省の薬務課の職員が「おたくの会社は製造年月日を入れているようだが、インチキだという連絡があった。確かめさせてもらう」と言ってきた。ライバルからの嫌がらせだろう。
千葉県流山市の工場に調べが入り、説明した。化粧品は製造した原料をタルクという容器に保管し、3日後に瓶詰めにする。ファンケルではタルクに保管した日を製造年月日としていたら担当者は「製造年月日は瓶詰めの日で構わない」と話す。インチキどころか、良心的だったわけだ。この話はこれで終わった。

当時の神奈川県の薬務課の対応にも手を焼いた。「無添加とは何か」と聞いてくるので、「防腐剤などが入っていない化粧品です」と答えると「既存の商品は規制をクリアしている。ファンケルは我々のやり方にケチを付けるのか」などと因縁を付けてくる。そして「無添加」という言葉を使うなともいう。
そこで「新鮮作りたて」はどうかと聞くと、「それならいいだろう」という。別の担当者に変わると「新鮮というのは意味が不明確だから無添加ならいい」というので再び無添加に戻した。初めての商品とはそういう目に遭うのかもしれないが、余りにひどい。すると今度はチラシにもご指導が入る。とにかく県庁までチラシをもってこいという・・・

11月15日「行政指導と反社
・・・神奈川県の薬務課からお呼び出しがかかった。担当者にチラシを見せると「この表現はおかしい」「あの表現もダメ」とダメ出しを食らう。何度足を運んでもOKが出ない。しまいには「1文字も書くな」などと怒られる。チラシを出すことさえ、許されない状況に追い込まれた。
しょぼくれてエレベーターに乗ると同じ薬務課の人が乗ってきてくれて「大変だね。チラシがうまくいくヒントを教えましょうか」と言ってくる。何かと聞くと・・・

どのようにして、このとんでもない行政指導を切り抜けるか。続き原文をお読みください。公務員の皆さん、他山の石としてください。

官僚意識調査、実施終了

10月23日の朝日新聞夕刊で、このページでも紹介していた、北村亘・阪大教授による官僚意識調査が紹介されていました。「「情と理」1998年刊・後藤田正晴 政と官のあり方は

・・・ 今秋、行政学者たちが官僚の意識調査をしている。過去に村松岐夫・京都大名誉教授が3回手がけ、最後は2001年の内閣機能強化・省庁再編からまもないころ。研究班代表の北村亘・大阪大教授は「この間の変化がわからないままだったので明らかにしたい」・・・

今回の調査に協力いただいた現役官僚の諸君、ありがとうございました。いずれ、調査の成果が公表されると思います。

許認可官庁の責任、その2

日経新聞私の履歴書、鈴木幸一さん「郵政省の壁」の続きです。
第15回(10月16日)は「銀座で素っ裸」でした。その顛末は原文を読んでいただくとして。ここでは、郵政省の許認可が1年あまり遅れたことによる、日本社会の損失について紹介します。

・・・ネットの急速な普及を後押ししたのは、今では人類にとって一番重要なメディアともいえる「ワールド・ワイド・ウェブ(WWW)」の登場だ。ウェブそのものは欧州で考案されたが、それを一般に普及させるカギになった閲覧ソフト(ブラウザー)を世に出したのが、IIJのサービス開始と同じ94年に産声を上げた米モザイク・コミュニケーションズ(後にネットスケープに改称)だ。
実はその少し前に「今度できるモザイク社にIIJも出資して、日米で協力関係をつくらないか」という話が持ち込まれたこともあるが、その時は郵政省の承認がおりる前。こちらは食うや食わずの状態で、当然出資話もお断りするしかなかった。

その後、ネットスケープは巨額の赤字を抱えたまま米ナスダック市場に上場すると、時価総額はたちまち2500億円に達した。その頃の同社にたまたま立ち寄る機会があった。同じネット関連の新興企業なのに桁違いに大きくきれいなオフィスを見て、IIJとのあまりの違いに羨ましさを通り越して呆然とした覚えがある。
ネット草創期の90年代前半は、閲覧ソフトや米ヤフーの検索エンジンなど、ネットをめぐる戦略的な技術が次々に登場し、その中から様々なデファクト・スタンダード(事実上の標準)が生まれた時期だ。ここで開いた差は簡単には取り戻せなかった。IIJがこの大切な時期を傍観者として過ごさざるを得なかったのは、我が社にとっても日本全体にとっても大きな損失だったと思う・・・

官僚の判断間違いが、このような社会の損失を生みました。
鈴木さんの文章を、当時の郵政省関係者は、どのような思いで読んでいるでしょうか。

許認可官庁の責任

日経新聞私の履歴書、今月は、IIJ会長の鈴木幸一さんです。インターネット草創期の苦労を書いておられます。1993年頃の話です。第13回(10月13日)「郵政省の壁」に、次のように書かれています。

・・・それに拍車をかけたのが、通信の監督官庁である郵政省(現総務省)との堂々巡りの折衝だ。当時の規制ではIIJのようなネット接続企業は「特別第2種電気通信事業者」として、郵政省の「登録」を得る必要があった。登録なしで通信サービスを提供すると無免許操業となり、刑罰の対象になってしまうのだ。

郵政省の係官は登録の条件として「通信は公益事業で、倒産は許されない。当初の計画通り設備投資をし、一方で3年間1件も契約が取れないと仮定しても、会社が潰れないという財務基盤を示せ」という。私は「3年間、契約ゼロなどあり得ない」と反論するが、平行線のままだった。
「そもそも法律には『3年間売り上げゼロでも耐えられる』とは書いていない」と言っても、「これは内規。これまで通信市場に参入した会社は条件を満たしている」。「内規の文書を確認したい」と求めても、「部外秘で見せられない」と断られる。

これではまさに「不条理の迷宮」ではないか。法律の字面では参入自由化をうたいながらも、実際に参入を認めるのは十分な財務力のある大企業だけで、倒産の可能性のあるスタートアップ企業は内規をタテに排除しよう、というのが本音であった。インターネットは従来の通信事業とは根本的に異なる、といくら説明してもムダだった・・・

こんな行政が、まかり通っていたのですね。情報公開法の施行は2001年、行政手続法の施行は1994年です。この項続く