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行政-官僚論

制度を所管するのか、問題を所管するのか。3

制度を所管するのか、問題を所管するのか。2」の続き、補足です。

制度を超えて新しい政策を考えるか、それを避けるかには、もう一つ「人間性」が関わってきます。
「楽しい仕事」は取り組みやすく、「しんどい仕事」は避けられがちです。「楽しい仕事」とは、前向きで日の当たる仕事です。物をつくったり、成果が見えやすい仕事です。「しんどい仕事」とは、日陰の仕事、面倒な仕事です。
さらに「今直ちに変えなくても大丈夫だよな」という発想になると、新しい取り組みは先送りされます。企業なら、それでは競争相手に負けるのですが、「地域独占企業」である役所では、それでもすむ場合があります。

「問題を所管すると考える」場合にも、2つの場合があります。
一つは、制度を所管しつつ、それが対象としている問題を考える場合です。もう一つは、制度を所管せず、問題を考える場合です。
前者は、その制度で対応できない問題が見えやすいです。しかし、制度を所管していると、制度を守ることに精力を注ぎ、周辺の問題に取り組まないことも起きます。
他方で、制度を所管していない場合は、何を問題と考えるか、漠然としていて視点が定まらないことがあります。それは、次のような事例にも現れます。
総合政策局といった、制度を所管せず広く政策を考える組織が作られるのですが、うまくいかない場合もあります。焦点を絞らない「政策企画」は、難しいのです。

制度を所管すると、その予算の配分や権限行使に力を入れ、満足してしまいます。組織では、法律と予算を持っていないと、「力がない」と考えられるようです。
行政改革や地方分権などで、役人が予算と権限を手放さないことは、しばしば指摘されます。

数字で見る霞が関の事実

日経新聞政治面で、「チャートで読む政治 霞が関」が続いています。
1 官邸支える官僚 34%増 司令塔の内閣官房 膨張
2 国家公務員、20年で半減 地方含め仏の4割
3 キャリア志願者最少に 長時間労働も一因
4 公務員、女性登用道半ば 次官や局長ら、わずか4.4%
5 次官年収、社長の半分以下 公務員給与は上昇基調

制度を所管するのか、問題を所管するのか。2

制度を所管するのか、問題を所管するのか。1」の続きです。
既存組織は、どうしても、所管している制度(法令や予算)を前提に考えます。担当職員は、その法律の逐条解説や制度の解説を読んで、勉強しています。何ができて何ができないかを、頭にたたき込んでいます。これが、正しい公務員です。
これまでにない問題が発見された場合に、既存の制度で対応できないかを検討します。解釈変更や、少々の改正でできないかです。それが難しいとなると、「既存制度ではできない」という判断になります。

法令や予算を変えるとなると、労力と時間がかかります。そして実現できるかどうか、簡単には判断できません。
ところで、時に、国会や議会の質問で「鋭い指摘」(制度を改正して対応した方がよいと考えられる指摘)が出ることがあります。しかし、前日の夕方に質問が出たら、「できません」という答弁しかできません。法令改正や予算獲得には、それなりの時間が必要なのです。

「それは、法令に書いてありません」「それは私の所管ではありません」というのが、守る公務員です。「法令や予算にないなら、考えましょう」というのが、変える公務員です。
公務員全員が、後者になることは無理です。対応策は、公務員の中を、言われたことをする人と、制度改正まで踏み込んで問題解決を考える人との、2種類に分けることです。かつての国家公務員上級職は、この考えだったのでしょう。
この項続く

制度を所管するのか、問題を所管するのか。1

広い視野と行動力、岡本行夫さん」の続きにもなります。
公務員にとって、広い視野と狭い視野との違いは何か、どうして生まれるのでしょうか。その一つの答として、「制度を所管するのか、問題を所管するのか」の違いに、思い至りました。

広い視野の反対の一つが、「法令に書いてありません」「予算にありません」「それは私の所管ではありません」という公務員のセリフです。これはこれで、正しいのです。法律に基づいて仕事をする公務員としては。
しかし、困っている住民からすると、これでは答えになりません。社会の問題を取り上げ解決するのが公務員の役割なら、思考と視野を所管の範囲に狭めてはこまります。

その基にあるのが、制度を所管するのか、問題を所管するのかの、思考の違いです。
ある課題について、制度(法令、予算)を所管していると考えると、その制度の範囲内で処理しようと考えます。それに対して、問題の解決を所管していると考えると、今ある制度を超えて、どのようにしたらその問題を解決できるかを考えるでしょう。

東日本大震災からの復興で、被災者支援本部と復興庁が、これまでにないことに取り組んだのも、これで理解できます。これらの組織は、制度を所管しているのではなく、被災者支援と被災地の復興が任務だったからです。
この項続く

行政の評価、努力と結果

東日本大震災から10年が過ぎ、たくさんの評価や検証がされました。私も出番があり、考えたことをこのホームページに書いておきました。「大震災10年目に考えた成果と課題、目次

全体を見るには、『総合検証 東日本大震災からの復興』が良くできています。そして、阪神・淡路大震災の検証と比較すると、東日本大震災復興政策の特徴がわかりやすいと考えました。
阪神・淡路大震災復興政策の検証としては、兵庫県が作成した「復興10年総括検証・提言事業」があります。学識者54名による検証報告を元にとりまとめた、全4千ページ以上の検証報告書です。目次を見ると、さまざまな分野で詳細な検証がされています。ただしあまりにも大部で、読み物としては不向きです。いわば「辞書」としての機能と言ってよいでしょう。

もう一つ残念ですが、私の関心とは少々ズレています。阪神・淡路大震災の検証報告書には、新たに取られた施策がたくさん列記されています。しかし、復興政策を検証するには、目的がどの程度達成されたのか、どこが足りなかったのかを、見てみたいのです。
東日本大震災復興政策での目的は、安全な町を復興することと、住民の暮らしと街のにぎわいを再建することだったと言えるでしょう。安全な町づくりは、高台移転と現地かさ上げで達成できたと考えます。住民の暮らしと街のにぎわい再建は、取り戻せたところとまだ不十分なところがあります。
その目的のために、行政は十分なことをしたかどうか。これについては、これまでにない政策をたくさん打ちました。これも高く評価されているのですが、これは目的達成の手段でしかありません。

すると、行政の評価としては、どれだけ達成したかという成果の評価と、そのためにどれだけ政策を実行したかの、二つの面があります。阪神・淡路大震災の検証報告書は、後者の面が強いのです。それに対し、『総合検証 東日本大震災からの復興』は目次を見ていただくとわかるように、研究者が6つの分野で23の項目に分けて、やったこととその評価を分析しています。

M・ウェーバーの責任倫理と心情倫理の対比を利用すると、結果評価と努力評価でしょう。学生の勉強の評価でも、どれだけの点数を取ったかと、どれだけ努力したかの2つがあります。
大震災復興政策検証に限らず、行政の評価の際に役所が行うと、しばしば「これだけのことをしました」という項目が並びます。それは、役人にとって「産出量・アウトプット」であっても、現場では「投入量・インプット」でしかありません。現場での評価は、どれだけできたかという「成果・アウトカム」で行うべきです。