厚生労働省の調査で、全国のホームレスの数が1万人を下回りました。
2003年の調査では、2万5千人でしたから、10年間で半分以下にまで減りました。この間に景気はあまり良くなっていませんので、政府の取組や各自治体の支援策が効果を上げているということでしょうか。
新聞には小さくしか載りませんでしたが、社会にとって大きな事案だと思います。派手な事件ではなく、また写真で見えるモノでもないので、その意義が見過ごされます。
他方で、自殺や離婚は減らず、孤独死、児童虐待や高齢者虐待は増えています。私は、かつて安倍内閣の時に「再チャレンジ政策」に携わり、また「社会関係のリスク」に関心を持っています。これらは、豊になった日本社会の新しい課題の一つであり、政府や自治体、社会が力を入れなければならない課題です。
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行政-再チャレンジ
大卒のうち安定雇用は半分
大学卒業生のうち、安定した職業に就いている人の割合は約半数であると、内閣府が推計しています(3月19日、雇用戦略対話)。資料によると、卒業者約85万人のうち、大学院などへの進学が7万人。残り78万人のうち、就職したものの早期(3年以内)離職が20万人、無業や一次的な職が14万人、中退が7万人で、合計41万人。差し引き37万人が安定した就職になります。高卒になると、安定就業は3分の1です。
また、若者に、非正規雇用が多くなっています。また、希望者と採用側とのミスマッチも、指摘されています。「大学を出てよい就職をする」「新卒一括採用、終身雇用」という日本型雇用。これも理想型であり神話であったのですが、神話としても崩れてきています。
学校の保健室の役割変化
古くなって恐縮です。5月5日の読売新聞「くらし・教育欄」に、高橋香代岡山大学教授のインタビューが載っていました。養護教諭の役割変化についてです。
・・以前は病気やけがの処置が仕事の中心だったが、悩みや不安を抱えている子どもに対応する割合が大きくなってきた。アレルギーや感染症、いじめや発達障害などの子どもの健康問題が多様化し、家庭の問題を抱えた子供は増えている。理由もなくふらっと保健室に来る子の数も増えており、養護教諭の役割は重要だ・・
自殺者3万人
3月3日新聞各紙夕刊が、2010年の自殺者が、13年連続で3万人を超えたことを伝えていました。男性が7割です。50歳代と60歳代がそれぞれ2割近いです。要因の半数は健康問題、次に経済問題、その次に家庭問題です。うつ病の人も多いです。
自由で孤独な時代
12月26日の朝日新聞1面は、連載「孤族の国」を、大きく取り上げていました。すでに一番多い家族形態は、両親と子ども2人の標準家庭ではなく、一人世帯です。それは、独身の若者と、連れ合いに先立たれた高齢者です。外食産業やコンビニなど、一人暮らしもしやすくなりました。そして、一人暮らしは気楽です、自由です。しかし、病気になったら、高齢になったら、一人では暮らしにくいです。さらに、自由は孤独です。イヌやネコは話し相手になってくれますが、お風呂や便所で倒れた時、助けてはくれません。孤独死が大きな話題になり、その対応が行政の課題になっています。生活保護制度や介護保険制度を整えましたが、このような制度では対応できません。
私は、連載「社会のリスクの変化と行政の役割」で、現代が自由な生活を達成した、しかしそれが、孤独というリスクを生んでいることを取り上げています。詳しくは、第3章3「豊かな社会の新しいリスク」(1月号掲載予定)をご覧下さい。
近代は、それまでの身分、イエ、ムラ、職業、宗教といった束縛から、個人を自由にしました。しかし、それらの自由が実質的になったのは、工業化に成功して、農業を離れることができるようになってからです。農業を継いでいる限りは、イエやムラの束縛から自由にはなれませんでした。職業を選ぶことができるようになって初めて、住所を選ぶことができるようになり、イエから離れることができるようになったのです。もっとも、都会に出てからもしばらくは、会社という疑似イエ・疑似ムラに属していました。
それらの束縛から逃れることは、自由になることですが、他方で困った時に助けてもらったり、相談できる人や集団がなくなるということです。核家族では孤立します。そして、家族を持たなくなると、個人はさらに孤立します。街の中で誰も私を知っていないので、周りの目を気にすることなく自由な行動が取れます。それは同時に、誰も私のことを知っていてくれない、孤独だということです。
私は、庶民の暮らしから考えると、日本の歴史は大きく3つに分けることができると考えています。縄文時代と弥生時代(広い意味で、稲作の時代)と高度成長以降(多くの人が農業を離れ農村を出た時代)です。その意味は、次のようなことです。
江戸時代の農民が平安時代の村にタイムスリップしても、昭和前期の農村にタイムスリップしても、そんなに苦労せず生きて行けたでしょう。稲作によって規定されていたムラの暮らしは、そんなに大きくは違いません。電化製品もありませんでした。江戸に幕府があろうが、明治維新が起きようが、村の農民の暮らしは大きな影響はありません。
しかし、高度成長期以降の私たちの暮らしは、大きく変わったのです。会社に勤め、電化製品に囲まれて暮らすようになりました。ところが、社会の形態や人間関係は、完全には新しい時代に適応できていません。家族形態、親類との付き合い、近所づきあい、さらには祭やお墓なども、農村時代のものが基礎となっています。
例えば、叔父叔母や従兄弟たちとの付き合いが、この半世紀の間に大きく変わった(希薄になった)と思いませんか。本家や分家との付き合い、お墓も。農地が基本的財産だった時代が終わったことで、親類とのつながりも変わったのです。そのうちに、お盆や正月に田舎の実家で過ごすという風習も、少なくなるでしょう。
記事(2ページ)では、孤独死が40代から急に増えること、そして男性が多いことを指摘しています。どうも、男性の方が不器用なようです。
このような家族形態とともに、他者や社会とのつながりを持てない人、作りにくい人たちが増えていることも大きな問題です。引きこもりやニートの人たちです。春日キスヨさんは『変わる家族と介護』(2010年、講談社現代新書)で、親に依存する同居中年シングル男性を取り上げておられます。
社会関係資本が壊れた社会は、不安な社会です。豊かな社会の大きな課題だと、私は考えています。