「行政」カテゴリーアーカイブ

行政

自治体による国際化

JET プログラムは、ご存じの方が多いでしょう。「語学指導等を行う外国青年招致事業(The Japan Exchange and Teaching Programme)の略で、外国青年を招致して地方自治体等で任用し、外国語教育の充実と地域の国際交流の推進を図る事業です。」
学校で外国語を教える外国語指導助手(ALT)が代表的ですが、このほかに、国際交流員(CIR)、スポーツ国際交流員(SEA)もあります。

機関誌『自治体国際化フォーラム』430号が、「国際交流員(CIR)の多彩な活躍」を特集しています。通訳だけでなく、多文化共生や経済活動などをしています。

2024 年7月時点で、JET プログラム全体で5,861 人(これもすごい数字です)、そのうちCIR は479 人、参加国は35カ国です。アメリカ、中国、韓国、イギリスのほか、ベトナム、オーストラリア、カナダ、ドイツ、フランス、アイルランド、ブラジル、ニュージーランドと、さまざまな国から来ています。
どのようなことをしているか、記事をお読みください。地域の国際化、多文化共生に貢献するだけでなく、たぶん多くの参加者は日本を知って、理解者になってくれると思います。重要なソフトパワーです。

こども食堂、高齢者や外国人の居場所

このページでも何度か取り上げている「こども食堂」が、広がっています。「むすびえ」によると、1万か所を超え、公立中学校数を超えました。子どもだけでなく、高齢者の居場所にもなっています。さらに、外国人もつながる場になるようです。子どもの貧困対策ではなく、居場所作りなのですね。

7月16日に、岡山市で開かれた「こどもの居場所づくりトップセミナー」での湯浅誠さんの発言を、時事通信社のiJAMPが伝えていました。
・・・湯浅誠さんが「こども食堂は地域のいろいろな方たちの居場所だ」と述べ、子どもだけでなく、高齢者や外国人を含め多様な人々がつながる場をつくることの重要性を訴えた。
湯浅氏はこども食堂を「子どもを中心とした地域のまぜこぜの居場所」と表現。「食べられない子が行くところというイメージがついてまわるが、地域の方々が所得や属性にかかわらず集まる場所がほとんどで、約3分の2で高齢者が参加している」と説明した。
外国人もこども食堂を利用している。湯浅氏は「(外国人)研修生などは職場と自宅の往復だけで暮らしていて、地域とつながりを持てないことが多い」と指摘した上で、こども食堂での触れ合いが「話したこともない外国人」に対する地域住民の不安を解消する効果を生んでいるとの見方を示した・・・
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手続きを踏まない医療費値上げ

日経新聞夕刊「人間発見」、7月7日は天野慎介・全国がん患者団体連合会理事長の「がん患者の声を届ける」でした。
・・・全国がん患者団体連合会(全がん連)の理事長、天野慎介さん(51)は2024年末から多忙を極めた。患者が支払う医療費の上限額を引き上げる高額療養費制度の見直し案を凍結させるためだ。患者の悲痛な声を国会議員などに届け続け、政府予算案は現行憲法下では初となる迷走の末に修正された。石破茂首相は「私の判断が間違いだった」として陳謝した・・・

・・・厚生労働省が社会保障審議会の医療保険部会に上限額引き上げを議題に上げたのは、年の瀬が迫る24年11月21日。毎週、部会を開いて12月12日までの1カ月足らず、たった4回の議論で、早ければ翌年夏から上限額を引き上げることで部会の了承を得ました。
厚労省が議論を急がせたのは、年明けに開会する通常国会に提出する25年度の政府予算案に医療費削減の柱として盛り込むためです。実際、12月25日に厚生労働相と財務相の閣僚折衝で、翌年8月から高額療養費の上限を順次引き上げることで合意しました。

「上限を引き上げると患者の自己負担が増える。政府予算案では、上限引き上げで国の支出(国費)が約1100億円減ると見込んだ。報道では、自己負担の限度額を年収に応じて高くして2.7〜15%上げ、平均的な年収となる約650万〜約770万円の世帯では限度額が最終的に月額約13万8千円となり、5万円余りも増えるとされた。」

具体的な引き上げ額は厚労省の部会では示されていませんでした。私たち全がん連では実際の影響が判明してから要望書を出すつもりでした。水面下で引き上げ額が決まっていく中、やむなく12月24日に政府に対して緊急の要望書を提出しました。
要望書では「高額療養費制度は治療を受けるうえでまさに命綱」などと訴えました。上限引き上げによって「生活が成り立たなくなる、あるいは治療の継続を断念しなければならなくなる患者とその家族が生じる可能性」を指摘し、引き上げの軽減と影響の緩和策の検討を求めました。
要望書は報道機関や記者にも送ったのですが、一部しか報道されませんでした。記者から「政府予算案が決まれば年明けの通常国会で修正されることはほぼない。もう決まっていることで、要望書の提出は遅すぎる」などという指摘も受けました。

「1月開会の通常国会では冒頭、石破首相が施政方針演説でも高額療養費制度の見直しに言及した。事実上、既定路線になったとみられる中、患者の悲痛な思いを訴えた。」

従来の常識から言えば、政府予算案を修正させることはほぼ無理です。しかし24年10月の衆院選挙で自民党と公明党の与党は過半数割れしていました。「もしかしたら扉を開くことはできるかもしれない」というかすかな望みにかけるしかありませんでした。
要望書に対して、与野党の国会議員もほぼ無反応でした。「政府の方針に逆らうのか」という批判もありました。それでも患者とその家族を守らなければなりません。
まず25年1月17日から3日間で緊急アンケートを実施し、患者の声を集めました。同24日からの通常国会で質問してくれる国会議員も出ました。やっと扉が開き出しましたが、3月の政府予算案修正まで長い道のりでした・・・

生活保護引き下げ、違法判決

6月28日の朝日新聞1面、「生活保護引き下げ、違法 最高裁「厚労相の裁量逸脱」 物価下落のみ考慮、誤りと指摘」から。

・・・国が2013~15年に生活保護費を大幅に引き下げたのは違法だとして、利用者らが減額決定の取り消しなどを求めた2件の訴訟の上告審判決が27日、最高裁第三小法廷であった。宇賀克也裁判長は、引き下げを違法と判断し、減額決定を取り消した。原告側の勝訴が確定した。
一方で判決は、原告側が求めた国の賠償は認めなかった。判決は裁判官5人のうち4人の多数意見で、宇賀裁判官は賠償も認めるべきだとする反対意見をつけた。

引き下げに先立つ12年の衆院選では、野党だった自民党が保護費削減を選挙公約に掲げて政権復帰した。国は13年以降、生活保護費を約670億円削減した。
この削減では、生活保護費のうち、食費などの生活費にあたる「生活扶助」の基準額が3年の間に平均6・5%、最大10%引き下げられた。引き下げ額を決めた厚生労働相は、物価の下落に合わせて保護費を減らす「デフレ調整」を行った。
判決は、生活扶助の額は従来、世帯支出など国民の消費動向をふまえて決められていたのに、今回の調整では、「物価下落のみ」が指標とされたと指摘。指標を変えることは、専門家による社会保障審議会の部会で検討されておらず、専門的知見との整合性を欠いているとして、判断過程を誤った厚労相に「裁量の逸脱や乱用があった」と結論づけた。

訴訟では、一般の低所得世帯と生活保護世帯の均衡を図るとした「ゆがみ調整」の是非も争われたが、判決は、統計などの専門的知見と整合しないとはいえず、不合理ではないとした。
判決は、国の賠償責任について、生活扶助の指標を変える議論が過去にあった点などを踏まえ、認めなかった。
宇賀裁判官は反対意見で、「最低限度の生活の需要を満たすことができない状態を(原告らは)強いられた」として精神的損害を賠償すべきだと指摘した・・・

日本の行政の国際化

砂原庸介教授「行政学の国際化」」の続きです。それに触発されて、次のようなことを考えました。

連載している「公共を創る」は、昭和末から令和までの間に、官僚が高い評価から落ちる過程を、一官僚の目から考えているものです。一言で言うと、「追いつき形の行政が大成功だった。ところが、目的を達成して、次の目標を見つけていない」ということです。
そこでは、歴史的(時間の経過、社会の変化)に説明していますが、国際的な視点は十分には書けていません。私にそれだけの知見がないからです。
先進国は、お手本がない状態で、社会の課題を解決してきました。日本の行政は、その「態度」や「仕組み」を輸入しなかったのです。そして、先進国と「同じ土俵」に乗りませんでした。

それは、日本の行政学にも当てはまるでしょう。先進国の行政や行政理論を輸入したのですが、国際的な行政学(学界)には参加しなかったようです。輸入が主な仕事だったので、輸出をしませんでした。昨年秋に、日本の行政を英語で紹介する『Public Administration in Japan 』が発刊されましたが、1983年以来のことだそうです。
また、輸入に偏ったことで、日本の行政と行政機構の批判的分析もおろそかになったようです。砂原教授の「ブラック霞ヶ関」問題も、行政学者による取り上げは少ないようです。

国際協力機構(JICA)の依頼で、発展途上国政府幹部に日本の発展を話す機会が増えてきました。「なんで私が?」と思いましたが、適当な学者も、官僚も、書物もありません。ここでも指摘できるのは、日本の行政は先進国を見ていて、後発国を見ていなかったのです。日本の発展を教えることで、もっと後発国に貢献できたと思うのですが。
「日本の行政と官僚は世界一」なんてことを自慢していて、官僚も学者も「夜郎自大」に陥っていたのですね。