カテゴリーアーカイブ:行政

成果がでなかった経済成長戦略

2026年10月21日   岡本全勝

10月9日の日経新聞オピニオン欄、門間一夫・みずほ総合研究所エグゼクティブエコノミストの「「経済成長」は適切な政策目標か」から。指摘のとおりです。内閣府(経済財政部門)や経済財政諮問会議でも、取り上げてほしいです。未来を語る必要がありますが、過去の実績を踏まえない議論は「空論」「希望」に終わる可能性があります。

・・・高市早苗政権は17の戦略分野を中心に官民一体で国内投資を進める。内閣府の「中長期の経済財政に関する試算」によれば、日本経済の潜在成長率は何もしなければ0.4〜0.5%にとどまるが、高市政権の成長戦略で1.7〜1.8%まで高まるという。
過去の実績はよくない。今世紀初頭の小泉純一郎政権以来、政府は累次の成長戦略に取り組んできた。そのつど潜在成長率は2%前後まで高まるとされたが、結果は逆だ。成長戦略の策定・実行が繰り返された四半世紀の間に、潜在成長率は1%程度から0.5%程度へ半分になった。
この間の成長戦略は強力な政治のリーダーシップのもとで、官民ベストの英知を結集して策定・実行されてきたはずだ。それでも成長率が、かすりもしないレベルで目標未達に終わった現実は、厳粛に受け止めなければならない。

規制緩和、イノベーション(革新)の促進、金融市場・労働市場の改革、人材の育成、財政のワイズスペンディング(賢い支出)などを語ることはたやすい。しかし、成熟段階に達した日本のような国で、「野心的な潜在成長率」を政策目標としたとき、その目標に対応する実行可能な政策手段を定量的にひもづけるのは困難をきわめる。
手段が明確でないのに高めの目標を掲げるなら、それは精神論にほかならない。高みを目指す精神論はあってもよいのかもしれないが、弊害があるなら別である。
経済成長とそのための手段のひもづけが難しいということは、ある政策を「成長には無関係」と証明し、排除するのも難しいということだ。その結果、少しでも成長に関係しそうなメニューなら幅広く正当化され、戦略はおのずと総花的なものになる。

しかし財政状況は厳しく、人的資源の制約も強まっている。「成長」の旗が立つなら何でも予算をつけるゆとりはすでに失われている。国民にとって真の課題は何なのか、その中で民間だけでは解決できず、国の強力な関与が必要な課題は何か。成長という言葉を使わずに厳しく問うべきではないか。
例えば、経済・エネルギー安全保障の強化は、成長に資するかどうか以前に、民間だけでは対応できない死活的な課題なのだから、国民に負担を求めてでも推進すべきであろう。老朽インフラの改善や災害への備えも、国民の暮らしを守るために不可欠な課題であり、それが経済成長につながるかどうかは二次的な論点である。
経済格差が問題なら是正を急ぐべきであり、成長してからその果実を分配するという発想では、問題は永遠に先送りされる。女性活躍も外国人材の登用も、労働力の確保という狭い視点ではなく、多様性や活力のある社会が望ましい、という価値観を推進力にすべきである。

経済成長は高いに越したことはないが、目指して実現できるものではないことも過去25年で証明された。むしろ「成長戦略の一環」という発想が課題の優先順位をあいまいにし、真に必要な取り組みや資金投入が、かえって中途半端になることが懸念される・・・

国の役割を規定している地方自治法

2026年10月12日   岡本全勝

地方自治法は地方自治に関する基本法です。ところが国の役割も規定しているのです。

地方自治法は、最初に次の2条を置いています。
第1条 この法律は、地方自治の本旨に基いて、地方公共団体の区分並びに地方公共団体の組織及び運営に関する事項の大綱を定め、併せて国と地方公共団体との間の基本的関係を確立することにより、地方公共団体における民主的にして能率的な行政の確保を図るとともに、地方公共団体の健全な発達を保障することを目的とする。

第1条の2 地方公共団体は、住民の福祉の増進を図ることを基本として、地域における行政を自主的かつ総合的に実施する役割を広く担うものとする。
② 国は、前項の規定の趣旨を達成するため、国においては国際社会における国家としての存立にかかわる事務、全国的に統一して定めることが望ましい国民の諸活動若しくは地方自治に関する基本的な準則に関する事務又は全国的な規模で若しくは全国的な視点に立つて行わなければならない施策及び事業の実施その他の国が本来果たすべき役割を重点的に担い、住民に身近な行政はできる限り地方公共団体にゆだねることを基本として、地方公共団体との間で適切に役割を分担するとともに、地方公共団体に関する制度の策定及び施策の実施に当たつて、地方公共団体の自主性及び自立性が十分に発揮されるようにしなければならない。

第1条の2は、2000年に施行された地方分権一括法で、国と地方の役割分担の基本として定められました。長文でなかなか読みにくい文章ですが、国と地方公共団体の役割分担が書かれていることはわかります。
第2項には「国においては国際社会における国家としての存立にかかわる事務・・・その他の国が本来果たすべき役割を重点的に担い」と書かれています。地方自治法に、国の役割が書かれているのです。もちろん、国と地方の役割を並列して書いているわけではありません。主語は国になっていて、末尾は「地方公共団体の自主性及び自立性が十分に発揮されるようにしなければならない」と国に義務を課す形になっています。

第1条では、「国と地方公共団体との間の基本的関係を確立することにより」とあり、国と地方の役割分担を定めようとすると、国の役割を書かざるを得ません。
本来なら憲法に規定すべきことでしょう。しかし、日本国憲法は改正がされず、法律で対応しています。憲法第92条は「地方公共団体の組織及び運営に関する事項は、地方自治の本旨に基いて、法律でこれを定める」と定めているので、このように法律で定めることもおかしくはないのですが。反対に、国の役割を基本的・包括的に定めた法律はないのでしょうね。

新生児、3.3%が外国籍

2026年10月9日   岡本全勝

9月26日の日経新聞に「増える外国人新生児、群馬は13人に1人 学外の日本語教育広がる」が載っていました。

・・・日本の新生児に占める外国人の割合が増えている。2025年に生まれた子供のうち3.3%が外国籍だった。国籍や生育環境が多様化し教育現場では対応に追われている。子育てや親へのサポートなどの支援が求められている。
総務省のデータを基に、外国人住民の出生者数を総出生者数で割って算出した。25年の総出生数69万3302人のうち、2万2835人が外国人だった。都道府県別で外国人比率が一番高いのは群馬県の7.5%で、約13人に1人が外国人だった。愛知県が5.3%、千葉県が5.2%と続いた。

群馬や愛知に集まる製造業は外国人を前向きに取り込んできた。自治体やNPOは言語や文化を早くから外国人に学ばせている・・・
・・・この背景には、母国語と住む国の言葉がどちらも十分に発達しない「ダブルリミテッド」という状態がある。外国語話者の親が良かれと思い片言の日本語で子供に接することで起きやすく、一つの言語の積み重ねがなく思考力が育たない。
京都教育大学の浜田麻里教授は「特に日本で生まれた子供は支援の網をすり抜けてしまうことが多い。表面的には日本語能力に問題がないように見えるため問題が深刻化しやすい」と指摘する。

増えたのはベトナムやネパール国籍などだ。自治体は異なる言語や文化圏への対応を迫られている。
群馬県伊勢崎市では3歳以下の乳幼児健診で通訳を派遣している。25年度からはベトナム語を追加して計3カ国語に対応し、1年で計70回の利用があった。多言語翻訳サービスの活用も進め、子供の成長発達の状況や保護者の心配事を伝えられるよう努める。
指導者を育てるのが滋賀県だ。日本語指導や学習支援に関わる人を集め講座を毎年開く。8月には、県内の小学校で日本語教室を担当する教師が授業の仕方などを紹介した。参加者が日ごろの実践や悩みを共有して、対策を考えている。先行地域の取り組みは全国には重要となる。
浜田教授は「今後外国人がさらに増える中で、日本語教育さえすればいいという考えではいずれ限界が来る。(国籍などに関係なく共に学ぶ)インクルーシブな教育の必要性についても考えていくべきだ」と話す・・・

連載「平成の地方制度改正をひもとく」

2026年10月6日   岡本全勝

月刊『地方自治』9月号に、山﨑重孝・元自治行政局長、元内閣府次官の「「平成の地方制度改正をひもとく」を終えて」が載りました。「平成の地方制度改正をひもとく」は、月刊『地方自治』に連載されていた座談会です。山﨑君が座長になり、自治行政局の幹部が、平成時代に行われた地方自治法など地方制度改正を振り返るものです。合計42回、3年半にわたる長期連載になりました。

法改正を担当した官僚がそのいきさつを書いて残すことは、これまでもありました。この連載の特筆すべき所は、1度の法改正を扱うのではなく、平成3年から29年までの約30年間(準備期間を入れるともっと長くなります)を振り返っていることです。
地方自治制度は、自治体の有り様を規定するだけでなく、国家統治の一部をなしています。基本法中の基本法です。他方で、住民や地域に関することなので、社会の変化を強く受けます。
各回の法改正を追うだけではその位置づけは理解できず、このような通時的な分析が重要なのです。なぜそのような改正が必要になったのか、何を意図して改正したか。日本社会の変化と、この国のかたちをどのように作るか。その重要性を理解していただけると思います。

私が若い頃は、自治法の改正はなく、あっても根幹ではありませんでした。「不磨の大典」と呼ばれてもいました。時代の変化に適応させるためには、解釈で補っていたのです。ところが、平成の間に14回の改正を行ったとのことです。かつては地方制度調査会が答申を出しても法改正につながらなかったのが、実現するようになったのです。

あまりの大部なものなので、通読は難しいでしょうが、第38回から第42回までで総括がなされています。
そこでは、かつての団体委任事務と機関委任事務の区別の困難さ、戦後改革によってできた地方自治制度が戦前の仕組みを引きずっていたこと、分権改革の効果、マイナンバー制度導入の影響なども言及されています。

「希望格差社会」の20年、その2

2026年9月27日   岡本全勝

「「希望格差社会」の20年」の続きです。希望がなくなり、現状に満足し(あきらめ)、仮想(ヴァーチャル)の世界に逃げ込む。悲しい世界になったのでしょうか。さらにそれが進むのでしょうか。抜粋ですので、詳しくは原文をお読みください。

―「希望格差社会」の副題は「『負け組』の絶望感が日本を引き裂く」でした。希望を失った人たちの不満が深刻な分断を生み出すのでは、と。しかし、今の日本には懸念されたほどの分断は生じていませんね。
「それどころかNHK放送文化研究所の意識調査によれば、衣食住、生きがい、地域の生活環境、人間関係のいずれにも満足している人は、88年の36%から18年には55%へ増えました。特に若年・中年層で高い」

―なぜこのような現象が。
「多くの若者が、現実世界での希望そのものを回避・放棄しているからだと私は見ています。いまの日本が『一度落ちたら二度とはい上がれない社会』であることを、彼らは見抜いています。いずれ豊かになれるという希望が実現不能なら、最初から高い望みを持たず、競争から降りてしまったほうが傷つかない。冷酷な社会に対する合理的な生存戦略とも言えます」
「ただ、日本における格差の固定化と満足度の高まりという矛盾の秘密は、別のところにもあると思っています」

―と言いますと?
「人々が、バーチャルな世界で満足を得る方法を見いだすようになったことです」
「社会全体が少しずつ貧しくなるなか、覆せない格差や不平等を受け入れ、リアルな世界での希望を諦め、バーチャルな世界に自足してプチ幸せに浸る。リスクを取って社会改革を求めれば、今の生活水準すら維持できなくなるかもしれない。それなら現状の停滞に身を任せ、静かに沈んでゆきたい――これこそ現在の日本の姿です」

―それが「幸福に衰退する」の意味ですか。
「鎖国下にあり自足経済だった江戸期とは異なり、現代日本は食料もエネルギーも海外に依存しています。国力が落ち円安がさらに進めば、バーチャル文化がどれほど豊かでも、リアルな生活基盤を維持できません」

―私たちは、皆で一緒にゆでガエルになる未来を受け入れるしかないのでしょうか。
「処方箋は明白です。昭和の亡霊である日本的雇用慣行と性別役割分業型家族を見直すことです。一度非正規になった人、育児や介護で退職した人が、再び安定した仕事へ移れるようにする。社会保障も個人単位に改める。つまり、家族や企業という依存先がなくても生きられる社会を設計し直すのです」
「今の日本社会が持続可能でないのは、家族のあり方が持続可能ではないから。出生数が減ったのは、女性が働くようになったからではない。働きながら安心して子どもを育てられる環境をつくらなかったからです」

「希望とは、成功が保証されることではない。一度の失敗で人生を『詰む』ことなく、やり直せると感じられることです。どの道を選んでも、致命的な貧困や孤立に陥らない社会であれば、人は諦念から脱してリスクを取ることができます」
「このまま緩慢に衰退する道を選ぶのかは、これからの世代が決めることです。ただ、リアルな世界でも希望を取り戻すためには、何度でもやり直せる社会に変えていかねばならない。その可能性まで諦める必要は決してない。これが、定年退職間近の私の、学者としての『遺言』です」