カテゴリー別アーカイブ: 著作と講演

雪の秋田へ

今日は、秋田まで講演に行ってきました。県議会と市町村議員さんたち有志の勉強会です。今日も辛口の話をしましたが、「このほうが、よくわかって良かった」と喜んでいただけました。
今の職場は平日に行くことは無理なので、土曜の朝にしてもらいました。「前日に行って、温泉に入って、雪を見ながら・・・」と思っていましたが、金曜日は仕事が長引いて。新幹線「こまち」に乗ったのが東京駅20時、秋田に着いたのが24時。残念ながら、真っ暗でした。帰りの新幹線の車窓は、一面の雪景色でした。

まだ懲りない生活

今日は、宮崎県田野町まで講演会に行ってきました。聴衆は、宮崎県の県会議員・市町村長・市町村議員・職員の人たちです。土曜日にもかかわらず、500人を超える聴衆が集まってくださいました。辛口の自説を述べたのにもかかわらず、みなさんの「反応」が良く(うなずいたり、笑ったりしてくださって。一方、居眠りする人もなく)、時間をオーバーして、2時間もしゃべりました。
「もはや、これまでのような行政サービスの拡大はないこと」「増税しない限り、交付税は減ること」を理解していただいたと思います。(と書いたら、「みんなが理解したわけではありません」と、参加者の方からメールが来ました。うーん、まだ話が下手だということですね。)
休日をつぶして、飛行機に乗って日帰りで、2時間しゃべるのは、正直、疲れます(歳をとったということですかね)。今回は、三宅副知事の依頼を断れず・・。でも、500人もの人に熱心に聞いていただけると、やりがいがあります。田野町の町長さん、講演のなかで、何度も引き合いに出して、申し訳ありません。きれいな農村でした。お詫びの意味を込めて、リンクを張っておきます。

近畿自治体学会フォーラム(大和郡山市)

今日は、大和郡山市に行ってきました。市川喜崇同志社大学教授の基調講演のあと、上田清大和郡山市長、関義清明日香村長とのパネルディスカッションでした。

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寒い中、100人を超える参加者が、近畿各地から集まってくださいました。休みの日に私費で参加するのは、本物ですよね。ありがたいことです。実は、上田市長は高校の先輩、関村長は私の生まれた町内という「身内」でした。

朝日新聞一面

この講演会での発言が、12月4日の朝日新聞第1面に載りました。
「破綻の聖域 地方交付税」という表題で、
「『地方交付税制度は破綻状態に近く、今のままでは制度として維持できない。官僚だけでは処理できなくなっている』総務省の岡本全勝・交付税課長が地方自治体職員ら約140人を前に、制度の窮状を明らかにした。東京・新宿で11月11日に開かれた地方自治講演会。交付税の責任者が吐露した本音に、参加者は驚いた。」という書き出しです。
続きは、三位一体改革

新地方自治入門 補足2

まちをつくっていない市役所p179について
季刊『国際文化研修』2003年秋号(全国市町村国際文化研修所)に劇作家の平田オリザさんが「対話の時代に向けて」の中で、次のようなことを書いておられます。全く同感です。少し長くなりますが、一部を紹介します。(2003年12月3日)
「・・・ここ数年で日本の都市の風景が画一化してきました。バイパス沿いに大きなショッピングセンターができて、中心市街地の商店街はどんどん寂れていくという現象が、どの自治体でも起こっています。・・しかし、私たちは利便性を追求するあまり、失ってきたものがあるのではないでしょうか。
いちばん失ったものは、商店街、旧市街地が持っていたコミュニティスペースとしてのノウハウです。商店街が寂れていくと、まずお風呂屋さんがなくなり、そして散髪屋さんがなくなります。これは、・・かつてはまさにコミュニティスペースだった場所です。ここに集まってくる人たちが、ある種社会の安全弁になり、また若者の教育係にもなって、コミュニティが保たれていたわけですが、今はそういうコミュニティスペースがどんどん減ってしまっています。あるいは、原っぱでは子どもたちの学年を超えた交流が保障されていましたが、そういうスペースも減っています。
たとえば渋谷は30年ほど前には小さな街でしたが、この30年間で東急と西武という二つの資本によって拡大され、今や若者の街になっています。センター街ではチーマーと呼ばれる不良少年たちが地べたに座り込み、怖いので大人たちは近づかなくなりました。要するに、スラム化が始まっているのです。
・・・渋谷という街は資本の論理だけで街を拡張し、ヨーロッパの街なら必ずあるような噴水のある広場や公園などをつくってきませんでした。唯一渋谷にある宮下公園も、ホームレスのたまり場になっていて若者が寄りつくような場所ではありません。
・・・この象徴的な例は、おととし東村山で起きた、中学生がホームレスを殺害したという事件です。彼らは図書館で出会っています、冬の寒い時期で、おそらく居場所のない中学生もホームレスも図書館に行ったのです。そこで中学生が騒ぎ、それをたしなめたホームレスが逆恨みを受けて殺されてしまいました。これは明らかに中学生が悪いのですが、その背景には弱者の居場所をつくってこなかった日本の都市政策の無策があるのだろうと思います。
・・・私たちは人工的な出会いの広場をつくっていくべきだと思います。美術館や音楽ホールなどの公共文化施設は、本来そういう出会いの場になるべき空間なのです。逆に言うと、もしそれが出会いの場になれば、非常に大きな役割を共同体の中で果たせるでしょう。
・・・ただ、かつてのように地域に住んでいるという理由だけで町内会に入り、春はお祭り、夏は盆踊り、秋はおみこし、冬はもちつきと全部の行事に参加することは、特に若者は息苦しくてできません。
そこで、これからの自治体の責務は、文化施設をつくって、そこにさまざまなメニューを用意し、そこにいろいろな人々が参加し、何らかの形で緩やかにつながっていくネットワークを築くことです。これは大変なように見えますが、いったん街がスラム化すれば、その治安を回復するためには大変な税金を使わなくてはいけなくなります。
しかし、このことはまだ日本の市民社会のなかでは必ずしもコンセンサスを得ていることではありません。そして、日本の行政は、今まで基本的にはタックスペイヤーに対するサービスの提供に徹してきて、明日の住民、社会的弱者に対しては福祉行政という形でしか対応してきませんでした。その人たちにどうにかして社会参加をしてもらい、社会を活性化する積極的な役割を果たしてもらおうという考え方は、まだ日本の地方行政では主流にはなっていません。」
以上が平田さんの主張です。