連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第212回「政府の役割の再定義ー財政規律と「この国のかたち」」が、発行されました。
第208回から、官僚にはできない政治家の役割として、国民に負担を問うことを取り上げています。
新型コロナ対策など一時的な危機への対応も歳出の一因となりましたが、それ以上に問題なのは、1991年のバブル経済の崩壊を起点にして30年以上、財政赤字が常態化していることです。各内閣も各党も、財政健全化を主張しています。しかし、増税などによる財政構造の根本的改革に触れることはなく、赤字削減の具体的計画は示されません。具体的に何を廃止し、どれくらい削減するかを説明できる、あるいはしようとする政治家はいません。
この点、財務省は一貫して財政健全化を訴えてきました。例えば、矢野康治財務次官(当時)は、月刊「文芸春秋」2021年11月号に「財務次官、モノ申す 『このままでは国家財政は破綻する』」を寄稿しました。現職の事務次官が、雑誌にこのような文章を発表することは異例です。それは、国家財政を預かる財務省の事務次官として、とんでもない財政悪化を招いたことへの反省とともに、官僚の意見が政治に届かないことへの疑問の提示とも読めます。この発言に対し、政治家はどのように答えるのか、聞きたいです。
国民に「増税に賛成ですか、反対ですか」と問えば、多くの人は「反対です」と答えるでしょう。しかし、大衆に「迎合する」ことが政治家の役割ではありません。将来のために、苦い話をすることも、政治家の役割でしょう。
私がこのように政治家の役割や道徳的な問題を議論するのは、そこから「この国のかたち」が崩れていくのではないかと考えるからです。
歴史上、繁栄していた国家が衰退するのは、外交や対外戦争に負けることよりも、産業の衰退、それを招いた国民の生活向上への意識の衰退、統治の劣化に伴う国内での政情不安といったことが原因となっているのではないでしょうか。
国家は外部の敵ではなく内部から、それも国民の心の中から崩壊するのでしょう。