今日15日は、午前中に、人事院の初任行政研修で100人の新規採用総合職を相手に、「公務員のあり方」を、お話ししました。約500人の新採職員を5班に分けて、研修をしています。その一つのコースを相手に、お話しするのです。これまでの次官の講話は、印刷物になり、インターネットでも読むことができます。
引き受けてから、復興庁の若手数人にに、「あんたが研修を受けた際に、誰にどんな話聞いたの? 何が印象に残っている?」と聞きましたが、ほとんどの職員が覚えていません。まあ、そんなものでしょうね。公務員の心構えは重要ですが、研修の講話だけで身につくものではないでしょう。まだ仕事に慣れていない職員に話をするのは、難しいですね。そこで、先輩の説教臭い話ではなく、私の37年の公務員人生で得た教訓を2つ3つ、そして今やっている復興の仕事をお話ししました。特に後者は、未曾有の災害に、行政はどのように応えているかです。1時間の講話、30分の質疑応答では、十分に話せないので、資料をたくさん配って、後で読んでもらうことにしました。「私の個人ホームページも読んでください」と宣伝しておきました。
で、追補です。リンクを張っておきます。
「明るい課長講座」は、こちら。「明るい係長講座」は、こちら。「仕事の仕方」は、こちら。「お詫びの仕方」は、こちら。
行政の役割の変化「福祉提供国家」から「安心保障国家」への転換は、こちら。
しかし、それにつけても、若い職員が毎朝新聞を読んでいないことには、驚きました。かつて大学に教えに行っていたときもびっくりしましたが、今日挙手を求めたら、採用された若手官僚の多くが読んでいないのです。「記事を読むというより、まずどのようなニュースが取り上げられているか、特に1面に来ているか、それを見なさい」「社会で、いま何が問題になっているのか、官僚ならそれに関心を持ちなさい」と、指導しておきました。
「講演」カテゴリーアーカイブ
講演
22日放課後の勉強会に参加された方へ
私の話に出てきた拙稿は、次の通り。
(1)1990年代の行政改革が単にスリム化だけではないことは、「行政改革の現在位置~その進化と課題」年報『公共政策学』第5号(2011年3月、北海道大学公共政策大学院)。図表はp39に載っています。
(2)社会の変化とリスクの変化、行政の対応については、連載「社会のリスクの変化と行政の役割」月刊『地方財務』(ぎょうせい)2010年10月号から2011年4月号。
同友会シンポジウム
今日は、経済同友会の「シンポジウム」に出席するため、盛岡に行ってきました。全国の代表幹事さんら250人が、集まってくださいました。同友会は、毎年この時期にこのような催しをし、現地視察もしてくださっています。また、これまで多くの支援をしてくださっています。
基調セッションは「今後の復興に向けた官民の役割・連携について」でした。私が基調報告をして、討論をしました。昨日、官邸で「4年間の実績と課題」を報告したので、それを使うとともに、住宅工事が進むと、次の課題は産業・生業とコミュニティ再建であること、そして産業・生業の復興には産業界の支援が必要なことを訴えてきました。水産加工業を例に、補助金による施設設備の復旧補助だけでは、売り上げが戻らないこと。そして、売り上げを伸ばすためには、これまでの行政の手法では限界があることをお話しし、新しい支援手法=人やノウハウの支援が必要であることを訴えました(3月8日の記事「復興支援、新しいかたち」参照)。 与えられた時間が短かったので、いくつも資料を配って持って帰ってもらいました。
NHKがそれを取り上げてくれました「同友会 被災企業が民間人材活用できる仕組み作りを」。(参考「企業マッチング結いの場」「被災地への人材応援の仕組み」)。私は、支援を求める企業と支援してくださる企業のマッチングには、情報を持っている金融機関の役割が大きいとも申し上げたのですが。
時宜を得たテーマと参加者で、私にとっては、課題を説明するとともに協力をお願いするよい機会でした。岡野常務の命により、もう一つ分科会にも出席しました。「人使いが荒い」ですが(苦笑)、よい機会を与えてもらったことに感謝しなければなりません。盛岡は、今年一番の積雪でした。
イラク行政官への講義
昨日3月6日、JICAの依頼で、イラク政府の行政官に、東日本大震災での経験を講義しました。
去年6月にあのISILが侵攻して以来、イラク国内での避難民が250万人に上るそうです。今回、国内避難民担当の行政官12人(中央政府、地方政府職員)を日本に招き、震災復興現場の視察や意見交換をします。そのトップバッターとして、私が大震災での経験をお話ししました。
アラブの人に話をするのは、初めてです。イラクでは、地震はあるとのことですが、砂漠の民に津波が理解されるか不安でした。また、津波や原発事故からの避難と、戦闘による難民では、条件が大きく違います。こちらはプレハブ仮設住宅ですが、向こうではテント住まいです。さらに、アラビア語に通訳してもらうので、「伝導率」はかなり低くなると想定しました。
そこで、資料は2部構成。第1部は写真と図表集です。津波と被害、体育館への避難、仮設住宅での暮らし、公営住宅建設や高台移転など。各ページに簡単な解説をつけて、それを事前にアラビア語に翻訳しておいてもらいました。第2部は、日本語と数字によるまとめ。これも、事前に翻訳しておいてもらいました。行政官の視察ですから、写真だけでは報告書は書けないと思い、サービスしました。また、肝心なことは文書にしておかないと、通じないし、覚えて帰ってもらえませんからね。
通訳が入るのですが、英語と違い、私の話のどこまでが翻訳されているのか、それすらわかりません。なるべく文章を短く切って、写真や図を指さしながら、話しました。記念に、アラビア語訳した私の資料をもらってきましたが、????です。もちろん、彼らにとっての日本語も、同じですわね。アラビア語が、右から書くのがよくわかりました。ところが、文中に出てくる数字(アラビア数字)は、左から書くのです。
質疑応答は熱が入り、2時間のところ、延長して2時間半かかりました。「各地に避難した住民をどのように把握したか」「行政サービスをどのように提供しているか」など、これは絶対聞かれると思って話したのですが、さらに詳しく聞かれました。
「仮設住宅での一人暮らしが問題だ。特に中年男性が引きこもる」と話したら、笑いながら「そのような発言は、差別にならないのか」と指摘されました。「いや、これは日本社会全体の問題なんだ」と、理解を求めました。「イラクではどうか」と逆質問したかったのですが、時間がなかったので。
「犯罪は多発しなかったのか」については、「日本では暴動や略奪が起きなかった。世界でも珍しい。逆に助け合いの精神が広がった」と自慢して答えました。通訳が「ほんと、コンビニにみんな並んで待つのですから。びっくりしました」と言ったので、「あんたの経験を踏まえて、話してくれ」とお願いしました。
2時間半の講義で疲れ、職場に帰ってきたら、たくさんの仕事が待ち受けていて、昨日はへとへとだったのです。
復興の現状を講演
今日は、国際研修交流協会の国際セミナーで講演をしに、裏磐梯まで行ってきました。昨年(2013年8月24日)に引き続き、2回目です。復興がどこまで進んでいるか、今抱えている課題は何かを、お話ししてきました。磐梯山の麓は、稲穂がみのり、蕎麦の花がきれいでした。