今日は、経済同友会に呼んでいただき、仙台で講演をしてきました。これまで2年間に政府は何をしたか、現地はどこまで復旧したか、これからの課題は何かなど、2年間の総括をしました。
発災直後の被災者支援から引き続き復興に携わっている者として、経過を整理し評価するのは、私の責務です(ただし、原発事故対応は私の所管外でしたので、別の方にお願いします)。
そのような観点から、レジュメと資料を作り直しました。レジュメの方は、これまでと余り変わっていませんが、資料を作り替えました。これまでにたくさんのデータが蓄積されているのですが、その時々のものなので、2年分を振り返るという視点からは、見にくいです。たくさんのデータを再整理して、簡単にわかるようにする必要があります。職員の協力を得て、作りました。順次、復興庁のホームページでも、公開します(まだ未定稿なので、確認が必要です)。
全体像を見るのは、案外難しいです。どのような視点から見るのか。そのためには、どのようなデータを選ぶか。インフラ復旧、仮設住宅や高台移転の進捗状況だけでは、今回の大災害の復旧は見えてきません。国土の復旧だけでなく、住民の生活の再建という視点が必要なのです。
そして、今回の大災害が日本社会に与えた変化や、復興に当たってどのような社会を作り上げるのか、といった日本社会論の視点などもあります。これは、数字では表すことはできません。合わせて、これまでにない災害に対して、国家行政(官僚)に問われていること(前例通りでは解決しないこと)。自治体、企業、NPO、住民の役割とは、などなど。視点は、たくさんあります。
今日のお話は、焦点を絞りつつも、欲張った内容になりました(いつものことですが)。マスコミにも公開されているので、「やや控えめに」お話ししました。歯切れが悪くなります。かえって疲れますねえ(苦笑)。
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講演
富田林市講演会
今日は大阪府富田林市に、講演に行ってきました。求められたテーマはまちづくりでしたが、「復興から見た町とは何か」という観点で話しました。100人近くの方が、聞いてくださいました。
久しく、地方行政の現場から離れているので、勘を取り戻すのに少し苦労しました。共同通信社に寄稿した『被災地から見える「町とは何か」』を基礎にしましたが、この2年間に経験した実例を盛り込んで、臨場感ある話を試みました。どの程度、成功したでしょうかね。
毎度のことですが、これもしゃべりたい、あれも伝えたいと、話す内容はきりがありません。終わってからも、「あれを話せば良かった」と反省ばかりです。
参加者の皆さんへ(補足)。
今日お話ししたことに関連して、次のページをご覧ください。
お詫びの仕方。
支援物資を運ぶ。無償で協力してくださった企業。調達したもの。支援チームの仕事ぶり(ページの下に写真があります)。
ボランティアとの連携。企業との連携。
少し早めに行って、市内を案内してもらいました。富田林市は、南河内の中心地です。寺内町という古い町並みが、きれいに残っています。これだけの「面」で残っているところは、珍しいでしょう。お勧めです。もちろん、残すためには、大変な努力が必要です。
久しぶりの東海道新幹線でした。富士山がきれいに見えました。後は、集中して資料や本を読むことができました。引き受けた時は、一泊してゆっくりしようかとも考えたのですが、前日15日金曜日は夜まで仕事。明日17日は朝から福島で会議なので、とんぼ返りしました。現在の職場は、時間に余裕がなくていけません。
パネル参加の記録
12月に参加した、ロンドンのエコノミスト紙主催の「ジャパン・サミット2012」の概要が、インターネット「JBPRESS」に載りました。藤沢烈さんに教えてもらいました。
明治大学での講義
今日は、明治大学で講義をしてきました。3年前から約束していたのですが、大震災の仕事に就いて、なかなか時間がとれず、延期を重ねてきました。ようやく、約束を果たすことができました。公共経営学の授業なので、復興から見た公の役割を、お話ししました。夜の授業なのに、たくさんの学生が熱心に聞いてくれました。
The Economist Japan Sammit パネルに登場
今日、ホテルオークラで開かれた、ロンドンのエコノミスト紙主催の「ジャパン・サミット2012」に、パネリストとして出席しました。私の出番は、「大震災からの道のり:未来に向けた道標?」でした。
他のメンバーは、猪瀬直樹(元東京都副知事)、藻谷浩介(日本総研首席研究員)、本間勇輝(東北復興新聞発行人)さん。司会はサイモン・ロング(エコノミスト紙コラムニスト)さんです。聴衆は、半数近くが外国の方とお見受けしました。
50分の短時間、しかも4人ですから、持ち時間はほとんどありません。猪瀬さんの発言を遮ることもできませんし(笑い)。
私が話したこと、話したかったことは、次の通りです。
大災害だったが、インフラも産業も早く復活したこと。津波被害地と原発避難地の方には、大変なご苦労をおかけしていること。日本社会と日本人は、あれだけの大震災にもかかわらず、暴動も起きず略奪もなく、冷静に行動した。日本は、強靱な社会を持っている。高速で走っていた新幹線も、一人もけが人を出さず停止した。この社会と技術をもってすれば、日本は必ず復活し、さらに発展します。