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連載「公共を創る」第190回

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第190回「政府の役割の再定義ー復興庁の「社風」と「これまでにない危機」への心構え」が、発行されました。

大規模災害では政府に対策本部がつくられるのですが、東日本大震災の復興に当たっては、政府に復興庁という特別な役所をつくりました。関東大震災での帝都復興院、戦災での戦災復興院の例がありますが、戦後の自然災害では初めてのことです。役所を一つつくる苦労と、職員が仕事をしやすく成果を出せる「社風」をつくることに意を用いたことを説明しました。私一人でできたものではありません。職員たちがそれを理解して、仕事を進めてくれたからできたのです。

第182回から、幹部官僚の役割と育成を議論しています。与えられた所管範囲を超えた広い視野で国民の幸福のための行政を考えることと、そのような幹部官僚を育成する方法についてです。その一つの材料として、私の体験を紹介しました。
私は自治省に入りましたが、その枠にとどまらず国家官僚としてさまざまな経験をさせてもらいました。1978年に自治省に採用され、2016年に復興庁事務次官を退任するまでに38年間、国家公務員と地方公務員として勤務しました。そのうち、自治省と再編後の総務省で約16年、自治体勤務が約11年、内閣、内閣府、復興庁が約11年です。
後半は、省庁改革本部、内閣府大臣官房審議官、内閣官房内閣審議官、総理秘書官、被災者生活支援本部、復興庁と、内閣の近くで仕事をすることが多く、その後の内閣官房参与・福島復興再生総局事務局長の4年余りを入れると、42年のうち15年とさらに長くなります。
振り返って、官僚生活の前半は「自治官僚」であり、後半は「内閣官僚」だったと自称しています

連載「公共を創る」第189回

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第189回「政府の役割の再定義ー原発事故への対応と復興庁の発足」が、発行されました。
前回から、東日本大震災での経験のうち、原発事故への対応の難しさについてお話ししています。天災では政府は被災者を支援する立場ですが、原発事故にあっては被災者に対し責任を果たす立場になりました。

事故の責任をどのように果たすのか。しばしば「責任を取ること」が求められますが、被災者にとっては「責任を果たすこと」が重要です。関係者が処分を受けるだけではすみません。
政府と官僚に対する国民の信頼を事故によって失いました。それを、どのようにして取り戻すのか。当時考えたことを整理して書いてみました。官僚がこのようなことを振り返ることは、最近は見ません。それも、問題なのでしょう。

連載「公共を創る」第188回

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第188回「政府の役割の再定義ー重ねた被災地訪問と信頼関係の醸成」が、発行されました。前回に引き続き、東日本大震災対応の経験をお話しします。

大きな仕事を進めるために、与党提言を活用し、安倍首相にも動いてもらいました。
私が意を用いたことに、職員に現場を見てもらうことと、被災自治体との信頼関係を作ることがありました。
霞が関の官僚には、現場を見る経験がない、少ない職員もいました。しかし災害復旧、しかも新しい政策を作らなければならないときに、現場を見ずしてよい案を作ることはできません。
復興庁は、当初は被災自治体からよい評価をもらうことができませんでした。その後、評価が上がりました。現場で復旧工事が進んでいないのにもかかわらずです。それは、復興庁職員が現地に出向いて要望を聞き、できることとできないことを整理して、できることから取り組んだからだと思います。

もう一つ難しかったのは、原発事故対応です。
原発事故は、政府が政策の誤りで特定地域に多大な被害を与えた事例なのです。その点では、太平洋戦争での沖縄戦と比較することができるでしょう。被害者である福島県と市町村、その住民が、方針や対応において判断を誤った政府に対して怒りを持つことは当然です。
原発事故被災者の政府に対する怒りには、2つの原因があります。一つは、政府が安全だと言っていた原発が爆発を起こしたこと、政府が十分な安全策をとっていなかったことです。もう一つは、原発事故が起きた後に、正確な情報が伝えられず、住民の避難誘導も十分でなかったことです。
事故後の現地では、原子力被災者支援チームの職員たち、主に経済産業省の職員が、被災者や自治体との対応に当たりました。自治体と住民の間に政府への不信感が強くありました。支援チームの職員たちが事故を起こしたわけではありません。しかし、政府としての責めや省としての批判を一身に背負って現場に入り、頭を下げ、厳しい言葉を浴びながら、要望を聞き、失われた信頼を再建する作業をしたのです。彼らの努力と苦労には頭が下がります。「角野然生著『経営の力と伴走支援』

朝日新聞オピニオン欄「人口減時代の防災・復興」に載りました

5月24日の朝日新聞オピニオン欄「交論 人口減時代の防災・復興」に、私の発言が載りました。朝日新聞が継続的に書いている「8がけ社会」の一つです。廣井悠・東京大学教授と対になっています。

・・・少子高齢化はさらに進み、2040年には働き手の中心となる現役世代が現在から2割減る。さらに制約が増していく「8がけ社会」において、地震や津波などの大災害にどう向き合えばいいのか。人口減少下の被災について考えを深めてきた2人に、防災と復興のあり方を聞く。

――東日本大震災の被災地に通って「ミスター復興」と呼ばれた経験から、過疎地の復興の難しさをどう考えますか。
「被災者に要望を聞けば『元通りにして欲しい』との声が出る。その思いに、政治家や役人が『できません』とはなかなか言えません。東日本大震災では、行政が率先して原状復旧を掲げ、災害公営住宅の建設や大規模な土地整備をしたのに、住民が減ってしまった地域が生まれています」

――なぜ、住民が思い描いた復興にならなかったのですか。
「人口減少下の地方で起きた災害だからです。日本の人口は2008年から減少に転じ、過疎と少子高齢化が進みました。被災すると都市部に移る人が増え、人口流出は加速する。集落を元に戻しても震災前の光景は戻らないのです」
・・・

――人手や財源の確保が今後ますます厳しくなる国や自治体に、どこまで対応できるでしょうか。
「個人が『移らない』という選択をしても、集落として考えた時に持続性が乏しくなる恐れがあるのは東日本大震災の事例が示しています。そして、今後は社会を支える働き手が減り、生活に欠かせないサービスの維持がますます困難になる。答えは簡単には見つからないと思いますが、能登半島の人たちには、ぜひ東北の現在地を見てもらい、新しいまちをどうするか、考えてもらいたいのです」・・・

4月20日の朝日新聞デジタルに載った「成否分けた復興「東北の現在地を見て」ミスター復興が伝えたいこと」の要約版です。

連載「公共を創る」第187回

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第187回「政府の役割の再定義ー震災復興、政治主導の在り方と官僚の仕事」が、発行されました。前回に引き続き、東日本大震災対応の経験をお話しします。大震災対応については、本に書いたり、この連載でも冒頭に書いたのですが、今回は特に私が事務方の責任者として、幹部官僚として何を考えたかを書きました。

被災者支援の次は、公共インフラの復旧と公共サービスの再開を急ぎました。町が流され、その場所は危険なので、高台移転などこれまでにない大きな計画と大工事を行いました。これはこれで大変だったのですが、各省が頑張ってくれました。
ところが、その工事が進むにつれ、それだけでは町のにぎわいが戻らないことが分かってきたのです。生業と産業が再建されないと人は暮らしていけず、活気と人のつながりが戻らないと人は孤立するのです。そこで、災害復旧の哲学を「国土の復旧」から「生活の再建」へと転換しました。

もう一つ実務の責任者として考えなければならないことがありました。政治との関係、政治主導との関係です。
民主党政権は官僚を排除した政治主導を唱えていました。しかし、政治家には政治家の、官僚には官僚の役割があります。そして、被災者支援や災害復旧について経験と知識を持っているのは官僚です。私は「官僚の力量を示そう」と同僚や部下に話しました。大臣や官房副長官も、私たちに任せてくださいました。
自民党が政権に復帰してからは、大島理森・自民党復興加速化本部長(後に衆議院議長)の指導の下、与党提言をまとめていただき、それを総理が受け取り、政府が実行する仕組みを作りました。政治指導、政府与党が一体となって政策と事業を進めるよい形だったと自負しています。