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著作

朝日新聞オピニオン欄に載りました

今朝2月21日の朝日新聞オピニオン欄「複合災害、防災庁の役割は」に、私の発言「一元的窓口と司令塔機能、重要」が載りました。中林一樹教授と並んでです。
・・・能登半島地震の被災地は、復旧の途上で豪雨災害に見舞われた。複合化・激甚化する災害に対して、石破茂首相は防災庁を2026年度中に設置する方針を示し、議論が本格化している。今後起こりうる災害に備えるため、国や自治体に求められるものとは・・・

かなり詳しく取り上げてもらいましたので、記事をお読みください。私の主張の主な点は、次のようなものです。
・防災庁は内閣府防災部局の充実と復興支援を(政府に復興を支援する組織がない)
・防災庁は窓口の一本化と司令塔機能を(実働部隊はそれぞれに任せる)
・官邸に置く「本部」より「館」を構える長所がある(復興庁の経験)
・生え抜き養成は非効率、各省庁の専門家を生かせ(出戻り組の活用を)
・能登地震が人口減時代の復興の試金石(過疎地では元の街に戻すことは不可能)

朝日新聞ウェッブ版では、より詳しく述べています。「「ミスター復興」の反省と防災庁への注文 選択と集中で生活の再建を」(2月20日配信)
・・・石破政権肝いりの「防災庁」新設へ向け、検討が本格化している。複合化・激甚化する災害に平時から備え、緊急対応と復興支援の要となる新組織には、どのような体制が求められるのか。東日本大震災の復興に長年携わり「ミスター復興」の異名を持つ岡本全勝・元復興事務次官に、課題を聞いた・・・

例えば次のような文章。
「現在の内閣府防災と復興庁、そして東京電力福島第一原発事故の被災者支援部門を統合し、各統括官の下で役割を分担するのが、組織統制上もよいと思います」

連載「公共を創る」第213回

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第213回「政府の役割の再定義ー政策の大転換と重要課題への対応」が、発行されました。政治主導が十分に機能していない事例として、国民に負担を問うことなく巨額の支出を続け、財政が極端に悪化していることを説明しています。

米国の格付け会社によると、1990年代に最上位だった日本国債の格付けは、現在上から5番目で、先進7カ国の中ではイタリアに次いで低いのです。多くの欧州諸国や韓国を下回っています。国債の格付けは、国による元利返済の確実性、信用力を評価したものです。市場は、日本国政府の信用度を落としています。
とはいえ、政治家が真実を隠して、国民を「だましている」わけではありません。政府も報道機関も、国家財政の状態を正確に説明しています。政治家だけに財政の極端な悪化の責任を負わせるのは、公平ではないかもしれません。それを許しているのは国民です。「国民はみずからの程度に応じた政治しかもちえない」という有名な言葉もあります。

スウェーデンの、2014年の世論調査結果を紹介しました。信頼度が高い役所は、1消費者庁、2地理院、3国税庁です。国税庁が、首位のふたつの役所に1ポイント差で続いています。一つの理由は、税は政府にとられるものではなく、納税という投資の見返りにサービスを受益するという考え方が浸透していることのようです。
長い歴史を考えれば、国民は次のような段階を経るとも言えます。専制国家では「被治者」(臣民)です。民主主義が導入されても、自らが「統治者」(市民)であるという意識が根付くには時間がかかり、それまでは政府は「彼ら」という意識である期間が続きます。あるいは主権は持っていても、被治者でなく統治者でもない、国という仕組みの「利用者」(顧客)であり、できればあまり関与はせずに上手に利用したい、という期間もあるのでしょう。

本稿では、「政治家が政治主導を使い切れていないこと」として、「複数の政策間の評価と優先順位付け」「国民に負担を問うことを取り上げました。次に、「政策の大転換」や「この国の向かう先を指し示すこと」を取り上げます。その事例として、外交・安全保障、経済、社会の不安の三つについて簡単に述べました。

連載「公共を創る」第212回

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第212回「政府の役割の再定義ー財政規律と「この国のかたち」」が、発行されました。

第208回から、官僚にはできない政治家の役割として、国民に負担を問うことを取り上げています。
新型コロナ対策など一時的な危機への対応も歳出の一因となりましたが、それ以上に問題なのは、1991年のバブル経済の崩壊を起点にして30年以上、財政赤字が常態化していることです。各内閣も各党も、財政健全化を主張しています。しかし、増税などによる財政構造の根本的改革に触れることはなく、赤字削減の具体的計画は示されません。具体的に何を廃止し、どれくらい削減するかを説明できる、あるいはしようとする政治家はいません。

この点、財務省は一貫して財政健全化を訴えてきました。例えば、矢野康治財務次官(当時)は、月刊「文芸春秋」2021年11月号に「財務次官、モノ申す 『このままでは国家財政は破綻する』」を寄稿しました。現職の事務次官が、雑誌にこのような文章を発表することは異例です。それは、国家財政を預かる財務省の事務次官として、とんでもない財政悪化を招いたことへの反省とともに、官僚の意見が政治に届かないことへの疑問の提示とも読めます。この発言に対し、政治家はどのように答えるのか、聞きたいです。

国民に「増税に賛成ですか、反対ですか」と問えば、多くの人は「反対です」と答えるでしょう。しかし、大衆に「迎合する」ことが政治家の役割ではありません。将来のために、苦い話をすることも、政治家の役割でしょう。

私がこのように政治家の役割や道徳的な問題を議論するのは、そこから「この国のかたち」が崩れていくのではないかと考えるからです。
歴史上、繁栄していた国家が衰退するのは、外交や対外戦争に負けることよりも、産業の衰退、それを招いた国民の生活向上への意識の衰退、統治の劣化に伴う国内での政情不安といったことが原因となっているのではないでしょうか。
国家は外部の敵ではなく内部から、それも国民の心の中から崩壊するのでしょう。

コメントライナー寄稿第21回

時事通信社「コメントライナー」への寄稿、第21回「現代日本特殊論」が1月30日に配信され、2月4日にはiJAMPにも転載されました。

私が大学生だった1970年代に、日本文化論が流行りました。私も、わくわくしながら読みました。中根千枝著「縦社会の人間関係」、土居健郎著「甘えの構造」、イザヤ・ベンダサン(山本七平さんとのことです)著「日本人とユダヤ人」、ポール・ボネ(仮名で、日本人らしい)著「不思議の国ニッポン」。もっといろいろありました。京都大学人文研の日本文化論や文化人類学も。角田忠信著「日本人の脳: 脳の働きと東西の文化」も入れておきましょう。
これらは、明治以来続く日本文化特殊論ですが、その後に、日本経済・日本型経営特殊論が流行りました。どちらも、日本は世界の中で優れているのだと、うれしくなりました。

ところが、平成時代になって、本屋から日本人論が消えてしまいました。日本人は変わっていないの。それは、日本特殊論は、日本が西欧に追いつく際の心の支えとして読まれていたからではないでしょうか。
「西欧に追いつけ」と努力する際に、「和魂洋才」を信じたかったのです。ところが、西欧に追いついたことで、日本特殊論を掲げる必要がなくなりました。他方でアジア各国が経済成長に成功し、西欧化の成功は日本独自のものではなくなりました。ここに日本特殊論は終わってしましました。

近年は、違った日本特殊論があるように思えます。
日本人の勉強熱心、長時間労働は大きく変わっていません。しかし、経済は一流から三流に転落しました。日本はやはり特殊な国です。ところが現代の日本特殊論は、本屋に並びません。新しい特殊論は元気が出ないからでしょう。

日本人論が日本人向けの消費財であり、時代によって変化してきたことは、指摘されています。青木保著「日本文化論の変容」(1990年、中央公論社)、船曳建夫著「「日本人論」再考」(2003年、NHK出版)。
しかしこれらは、日本人論が流行した時代を取り上げていて、その後に廃れたことは書かれていません。そこを指摘したかったのです。

月刊誌『ウェッジ』2月号に載りました。

月刊誌『ウェッジ』2月号「特集 災害大国を生きる 積み残された日本の宿題」に、私の発言が少しですが載りました。第8部の「人口減少時代の復興に必要な「地方自治」の要諦」49ページです。どのような脈絡か、前後の文章は『ウェッジ』をご覧ください。

・・・我々は、能登の震災から何を学び、これから起きうる災害にどう向き合うべきなのか。
「震災対応とは毎回、次々と前例のない課題が浮かびあがり、‶国家の強さ〟が試されるものです」
こう語るのは、東日本大震災の復興にあたった元復興庁事務次官の岡本全勝氏だ。同氏は今回の能登の震災をどう見ているのか。
「東日本大震災も地方を襲った災害でしたが、大規模な津波が襲ったことや、沿岸部に集落がまとまっていたことなど、特殊な事情も多かった。本格的な人口減少時代に過疎地域で起こった災害という点では、今回の能登の震災が日本の多くの過疎地域にとっての前例となるはずです。孤立集落をどうするかといった議論は、将来発生が懸念されている東南海・南海トラフ地震の時にも必ず直面するでしょう」と指摘する・・・

本号では、34ページにわたって、災害対応の課題を特集しています。阪神・淡路大震災、東日本大震災の経験を経て、日本の災害対応、特に被災者支援は改善されてきました。しかし、能登半島地震を見ると、まだまだ課題はあります。
編集者によると、「論稿だけでなく、十把一絡げにはできない現地の声もできるだけ多く掲載した」とのことです。
「ウェッジ」は、毎号、充実した企画と内容を載せてくれますね。