カテゴリーアーカイブ:著作

連載「公共を創る」第259回

2026年5月21日   岡本全勝

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第259回「これまでの議論ー成熟期における日本の変化」が発行されました。前回から「平成の変化」を見ています。一番の特徴は、経済の停滞です。成長を続けていた経済が、マイナス成長になりました。

歴史を振り返ると、一国の産業の発展は、繊維や日用品といった軽工業から出発し、鉄鋼、電気製品、自動車、化学といった重工業に進みます。日本もこの過程をたどりました。後発国がこの過程を進むと、先進国は賃金の差で競争力を失い、軽工業から撤退していきます。そして、国内での産業構造の転換が進みます。日本はこの産業化で成功を収め、電気製品や自動車では当時の世界一になりました。ところが世界では、次なる産業への転換が始まっていました。情報通信技術(IT)産業や情報技術を利用した金融業の高度化です。日本は、この分野での企画と競争に負けました。
日本は、1990年代半ば以降、経済成長が止まりました。しかし、他の先進諸国は、緩やかながら成長を続けています。直近では一人当たり国内総生産(GDP)は、米国8万6千㌦、英国5万3千㌦に対し、日本は3万2千㌦です。そしてアジアでは、シンガポール9万1千㌦、韓国3万6千㌦、台湾3万4千㌦です。

なぜ、日本だけが停滞したのか。そこには次のような要因が考えられます。
一つは、産業転換に遅れたこと。それは、追い付き型産業の成功の裏面でもあります。
もう一つは、産業界と政府が「縮小路線」を続けたからです。企業は、バブル経済の三つの過剰(雇用、設備、債務)を処理した後も、設備投資など事業拡大に消極的な姿勢を続けました。業績が良くなっても、内部留保を増やすことにことに熱心で、人件費の増額や新たな投資には使いませんでした。国も地方自治体も、新自由主義的改革として「小さな政府」「行政改革」の名の下、職員数削減、給与の据え置きを続けました。株主も国民も、それを選んだということです。その結果、30年にわたって、国民の所得は増えなかったのです。
昭和後期を表す言葉が「拡大」「成長」とするなら、平成時代を表す言葉は「縮小」「萎縮」ではないでしょうか。

産業構造の変化は、地方の経済を直撃しました。それまで地方の経済を支えていた要素のうち、三つのものがなくなりました。工場の地方分散、公共事業、米の買い支えです。

日本経済と社会が、成長期から成熟期に入りました。平成の初め頃に、それを表す小話がありました。「昭和の成長を主役として引っ張ってきたが、平成時代になって、権威を落とした三つの業種を上げよ……答えは、百貨店と銀行と官僚」というのです。
経済成長期に、百貨店は憧れである消費の展示場や情報の提供者として、銀行は産業拡大の資金配分の司令塔として、そして官僚は経済社会発展の設計者として、それぞれ主役であり象徴だったのです。しかし、経済発展に成功することによって、その役割を終えていったのです。

ある編集者の卒業

2026年5月16日   岡本全勝

木村文男さんの退職記念文集ができました。良書普及会、第一法規出版の編集者でした。編集者が退職するに際して、記念文集が発行されることは珍しいでしょう。寄稿しているのは、自治省・総務省の関係者、東大をはじめとする行政法研究者たちです。私も名を連ねています。
木村さんは長きにわたり、「自治研究」と「自治実務セミナー」の編集を担当されました。良書普及会が営業を閉じるときに、この2つの専門誌を続けるために、多くの人の声に押され、第一法規に雑誌ごと移られました。

私も、この二つの専門誌にはお世話になりました。寄稿した多くの方が、若いときに原稿を書き、勉強になったと書いています。官僚にしろ学者にしろ、実名で原稿を載せてくれる雑誌は多くはありません。初めて活字になると、緊張し、うれしかったものです。特に「自治研究」は水準と格式が高いです。「木村さんに厳しく指導された」との思いでも載っています。私の原稿はほぼ無傷で載せてもらえました。

お世話になった人たちによる寄稿のほか、関係者による座談会も載っています。その一つが、総務省自治行政局(元・現)幹部によるもので、「自治実務セミナー」に載った論考を元に、地方制度改革が振り返られています。解説本には書けないことやその時々の社会政治状況との関連が考察されています。これは意義があります。

木村さんのご健勝と、この二つの専門誌がこれからも長く続くことを期待しています。

連載「公共を創る」第258回

2026年5月14日   岡本全勝

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第258回「これまでの議論ー戦後経済の成長と停滞」が発行されました。これまでの議論のおさらいを続けています。前回から、「昭和の変化」を見ています。その第一は、驚異的な経済成長でした。そして、なりわいの中心が、農業から工業や商業に移りました。

その具体的な現れを、富山県の場合と私の実体験で説明しました。しかし、それだけでは測ることができない「意識の変化」もあります。それは、豊かさの実感です。そしてそこには、豊かになりつつあるという体験と、さらに豊かになるという夢と、そしてそれが実現するであろうという期待がありました。豊かになったという実感とともに、働けばあすはきょうよりもっと豊かになるという思いがありました。社会と暮らしは進歩するという信念があったのです。それは個人の意識であり、社会の通念であり、時代の精神と言うべきものでした。

経済成長がもたらしたことの中でも一番素晴らしいことに、平等があります。身分制度を廃止しても、また農地解放をしても、生まれによって職業や貧富の差が固定されていては、経済的平等は達成されません。経済成長による商工業の発展と農業からの職業転換、そして高学歴化は、生まれによる経済的格差を壊しました。生まれではなく、本人の能力と努力とで出世でき、豊かになれるようになりました。親の職業にも縛られない人生を、自分で選び取ることができるようになったのです。

連載では次に、「平成の変化」を見ました。うまくいった昭和の変化に対し、平成時代がうまくいかなかったことが焦点です。
1991年、平成時代に入って3年目に。バブル経済が崩壊しました。バブル経済の崩壊で、経済成長がマイナスになり、さらにその後、長い経済停滞の時代に入ります。平成時代を昭和後期と対比する場合、一番の特徴は経済の停滞です。今振り返ると、それは景気変動の一環ではなく、構造的な問題だったのです。

コメントライナー寄稿第28回

2026年5月13日   岡本全勝

時事通信社「コメントライナー」への寄稿、第28回「少子化対策、産業界の責任」が5月12日に配信されました。

人口減少が進み、少子化対策は国家の大きな課題です。子どもの数が減った要因の一つは、結婚しない若者が増えたからです。意識調査では、若い人の結婚願望は昔と大きく変わらず、「結婚したいけどできない」という人も多いようです。長期不況で非正規労働者が増え、その人たちは将来の生活にも不安があり、結婚に踏み出せないのでしょう。「リストラ」「小さな政府」という主張の下、人件費を削ってきたツケが回ってきたともいえます。若い人の給与を引き上げ、身分を安定させること、そのためにも日本経済の再生が少子化対策の肝でもあるのです。

もう一つの要因は、今の日本が子育てに優しい社会ではないことです。
長時間勤務を減らすことはもちろん、子育て中の両親には柔軟な勤務時間を認める必要があるでしょう。また通勤地獄では、子どもを会社の近くの保育園に連れて行くことは困難です。住宅と勤務地が離れた長距離通勤は、共働きの子育て家庭を想定していません。子育ては専業主婦である妻に任され、父親には朝早く出勤し夜遅く帰宅することが許されていたからできたのです。

2025年10月に、経済界を中心に「未来を選択する会議」が設立されました。設立趣意には、「私たち一人ひとりが希望する『生き方』『くらし方』『働き方』を実現し、豊かに安心してくらすことができる日本社会をどうつくっていくかが大きな課題となっています。未来を選択する会議は、いま、そしてこれからを生きる世代がいきいきとくらせる日本社会の実現をめざしています」とあります。
ようやく物価、給与、株価が上昇し始め、長期不況が終わりそうです。かつて、日本の企業経営は世界一と評価されました。もう一度、世界に誇れるような職場と社会をつくってほしいものです。

連載「公共を創る」第257回

2026年5月7日   岡本全勝

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第257回「これまでの議論ー日本社会の戦後の変化」が発行されました。これまでの議論のおさらい、戦後の日本の変化を続けています。

この80年間の変化、特に前半40年間の「昭和の変化」は、誠に驚異的なものでした。いずれの時代にも社会は変化しまが、この間の変化は、その大きさにおいて例外的なものでした。
日本列島に住んだ人たちの暮らしを超長期で見て、最も簡単に区分するなら、狩猟時代、稲作時代、産業化時代の三つに分けるのが分かりやすいでしょう。縄文時代と、弥生時代からほんの少し前まで、そして現代です。
終戦直後まで、日本人の約半数が農業に従事し、大半の人が農村に暮らしていました。その観点で見ると、「長い弥生時代」は、つい最近まで続いていたのです。戦後の経済成長期は、日本人のなりわいが農業から工業や商業に変わり、住む場所が村から町になった時代です。3千年も続いた長い弥生時代が終わるという、社会構造が変わる大変化の時代だったのです。それも地域によって差はありますが、半世紀で、いえ四半世紀で変わったのです。

昭和後期の経済成長は、なりわいを変えただけでなく、世界から驚異的と評価される素晴らしいもので、日本の経済力は世界最高水準に達しました。国全体だけでなく国民も豊かになり、便利で快適な生活が実現しました。併せて、清潔で健康的で安全で自由な社会も、手に入れました。行政は産業振興に成功し、公共サービスも世界最高水準のものを整備しました。過疎と過密という問題はありましたが、全国どこでも同じ水準の行政サービスを享受できるようになりました。「一億総中流」という言葉が定着し、平等な社会を実現したとも思われました。

ところが、そのような成果の享受は、長くは続きませんでした。「平成の変化」がやってきます。バブル経済が崩壊し、日本は長い経済停滞に入りました。当時は、一時的な景気変動であり、経済が正常化するための過程と考えられていたのですが、そうではありませんでした。長期停滞は経済面だけでなく、社会にも暗い影響を与えました。人減らしは、正規従業員と非正規従業員という格差をつくりました。

昭和の終わりは、「長い明治時代」の終わりでもありました。明治以来、日本は国を挙げて、西欧先進国に追い付くことに努力してきました。これが、100年以上にわたって「この国のかたち」の基本になったのです。ところが、昭和後期に西欧先進国に追い付いたことで、「長い明治時代」は終わったのです。それは目標の達成であるとともに、目標の喪失でもありました。産業界にとっても、行政にとっても同じでした。そして、新たな目標を設定できず、長期停滞に入りました。「失われた30年」は、次なる目標を設定できずに漂流する、日本の苦しみでもあるのです。

引き続き、連載第3章では、まず「昭和の変化」を詳しく説明しました。