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著作

連載「公共を創る」第205回

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第205回「政府の役割の再定義ー「官邸主導」の問題点」が、発行されました。

第2次安倍晋三内閣は、首相の政治主導が際立ちました。それは「官邸主導」と呼ばれましたが、これまで目指された政治主導とは違っていました。
首相が記者会見や施政方針演説で「唐突に」大きな政策を打ち出すことで、国民への訴求力は高まったと思われます。しかし事前に関係者による討議を経ていないので、その問題点や実現過程について十分な検討がなされていない恐れもあります。そしてその唐突さは、予測が立たないことで、官僚たちを右往左往させたようです。
また、官邸の判断と違う政策を大臣以下の判断では実施できなくなってしまうことから、各省の官僚たちが政策を考えなくなり、「指示待ち」になってしまったともいわれます。

例えば、新型コロナ感染初期の一斉休校も混乱を引き起こしました。
2020年2月に、安倍首相が感染拡大防止のために学校の休校を打ち出しました。この判断は正しかったと思われますが、その唐突さが問題を生じさせました。首相がその方針を表明したのは木曜日の夕方で、休校は翌月曜日からでした。
保育園や学校、学童保育が休みになると、働いているお父さんとお母さんのどちらかが、仕事を休んで面倒を見ることになります。それぞれ、月曜日の仕事の予定が入っていたでしょう。せめて週の前半から、休校の可能性とその理由、実施の際の問題点などを公表しておいてもらえれば、対応策を講じることもできたでしょう。

読売新聞大阪版、防災庁構想

11月25日の読売新聞大阪版減災面「防災庁 切れ目ない支援へ」に、私の発言が載りました。

・・・今後のポイントは新たに担う業務と組織体制だ。元自治官僚で復興庁次官などを務めた岡本全勝氏は、防災庁と現在の復興庁の統合を提案した上で、復興段階の被災地支援を、主要業務の一例として挙げる。「事前の防災・減災対策から発災後の復興に至るまで、切れ目なく対応できるようになるのでは」と指摘する。・・・

コメントライナー寄稿第20回

時事通信社「コメントライナー」への寄稿、第20回「日本を支えた意識の劣化」が11月18日に配信され、19日にはiJAMPにも転載されました。

最近の電車で座っている人たちは、居眠りをしているか、スマホを操作しているかで、全く周囲に関心がないように見えます。足の悪い人が乗ってきても、席を譲ろうとしません。災害時の日本人の助け合いは、世界が称賛しています。他者への思いやりと共助の精神が弱くなると、安心・安全な社会は壊れます。

資源に恵まれない日本が、世界有数の経済成長を遂げたのは、向上心と勤勉のたまものです。この30年間の経済停滞の大きな理由は、この向上心と積極性の低下でしょう。発展途上時代は「努力すれば暮らしは良くなる」という社会の現実と通念が、国民を勤勉へと駆り立てました。しかし成熟社会になると、向上心や挑戦心は低下したようです。

これまでの日本の強みは、このような他者への信頼と向上心であり、関係資本と文化資本いわゆるソーシャルキャピタルでした。
昨今の無関心の広がりは関係資本の劣化であり、新しいことへ の消極性は文化資本の劣化です。このままでは、先祖から引き継いだ強み を、私たちは子どもたちに引き継ぐことができません。そして日本は 弱くなります。

連載「公共を創る」第204回

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第204回「政府の役割の再定義ーうまくいっていない「政治主導」」が、発行されました。
第199回から、政治主導の在り方を議論しています。今回から、これまでの実績を振り返り、改革が意図通りになった点とうまくいっていない点を議論します。まず、「政治家と官僚の役割分担」を説明します。

目指した政治主導は、単純なことでした。政治家は期待される本来の仕事をし、官僚も自らの役割を果たす、ということです。官僚が政策のお膳立てをし、首相と閣僚はそれに乗っかるのではなく、首相や大臣が政策立案を主導する、官僚はそれを補佐し、決められた政策を実行するというものです。政と官の役割分担の明確化、適正化です。
省庁改革が2001年に実行されてから、ほぼ四半世紀が経た ちました。政治主導は実現したでしょうか。まだ道半ばでしょう。その理由は、政府が社会の課題に対して適切な政策を打てていないという現状があり、それは政治家と官僚が十分に務めを果たしていないからだと思われるからです

これまでの運用を振り返ると、その問題は三つに分類するとよいと、私は考えています。一つは、政治家と官僚の役割分担が、うまくいっていないことです。次に、政治家が政治主導を使い切れていないことです。そして3番目は、政治家と官僚の意思疎通がうまくいっていないことです。

2009年に政権についた当時の民主党は、政治主導を徹底するとして「脱・官僚主義」「脱官僚」を掲げました。政策決定は政務三役が行い、官僚は政務三役が行った決定を執行するものとしましたた。しかし、すぐに行き詰まり、民主党政権の失敗の一つと記憶されました。
政務三役が政策の方向を決め、官僚に実施を指示することは、それ自体が間違ったことではありません。しかし、すべての政策を政務三役が理解し、判断することは無理なのです。

連載「公共を創る」第203回

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第203回「政府の役割の再定義ー政治主導は成果を出しているか」が、発行されました。

かつて経済と社会が発展期だった時代には、官僚主導が効果を発揮しました。しかし日本が成熟社会になって、それが行き詰まり、政治主導が求められるようになりました。
1990年代にいろいろな行政改革が試みられ、最後に政治主導が改革の対象となりました。2001年に実施された中央省庁改革です。
中央省庁改革と呼ばれますが、その第一は内閣機能の強化でした。例えば、内閣総理大臣の指導性の強化として内閣総理大臣が閣議で案件を発議できるようにすること、内閣及び内閣総理大臣の補佐・支援体制の強化として内閣官房の体制強化と内閣府の設置などが行われました。
私はその具体化を行った中央省庁等改革推進本部事務局で、行政の減量担当参事官を務めました。

実行された政治改革には、1990年代の前半に行われた小選挙区制の導入など政党と選挙に関する改革(選挙制度改革、政治資金制度改革)と、2000年前後に省庁改革と同時に行われた政治主導への改革がありました。前者についてはすでに30年近くが経ち、省庁改革からは四半世紀が経とうとしています。それぞれに定着し、今となってはそれが当たり前だったように、何の混乱もありません。

しかし、当初考えられたような制度の機能を発揮して目的を達しているかという点では、完全な成功とは言えません。
政党と選挙に関する改革では、二大政党制を目指しました。政権交代はあったのですが、その後、自由民主党は政権に復帰し、非自民勢力は分裂して、二大政党制は定着していません。
政治主導は、総体としては現状ではまだ及第点はもらえないと評価しています。政治家と官僚が役割分担を明確にして成熟社会において良い成果を出すという、政治主導の目的はまだ道半ばで達成されていないと考えるからです。