カテゴリー別アーカイブ: 連載「公共を創る」

連載「公共を創る」執筆状況報告

恒例の、連載「公共を創る 新たな行政の役割」の執筆状況報告です。
続きを書き上げ、右筆たちに手を入れてもらい、編集長に提出しました。第4章1(2)「新しい不安への対応」のうち、孤立についてです。

2006年に内閣官房で再チャレンジ室長を務めて以来、孤立や生きづらい社会に、関心を持っていました。新聞記事やいくつかの関連書に目を通していたのですが。いざ、このような視点で文章にしようとすると、知見が足りません。もちろん、私はこの分野の専門家でなく、行政を語る視点として、孤立を取り上げているのですが。
ひとまず書き上げ、右筆たちに意見をもらいました。たくさん意見をもらいました。一部は、ズタズタにされました。ありがたいことです。

連載「公共を創る」第81回

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第81回「社会の課題の変化―子どもと定住外国人の格差問題」が、発行されました。前回に続き、格差問題を取り上げました。今回は、子どもの貧困と定住外国人です。

非正規労働者の問題とともに、社会に衝撃を与えたのが、子どもの貧困です。子どもの貧困率は14%、7人に一人です。30人学級だと、1学級に4人もいます。子どもにとって、同級生の中で衣類や持ち物で貧しいことは、つらいでしょう。そして、教育を通じて、学歴や就職にも格差が続きます。機会均等ではないのです。
定住外国人と従来の住民との格差も心配です。日本の中に、2つの国民、2つの国ができてしまいます。その子どもたちは、学校に行かず孤立している場合も多いのです。

連載「公共を創る」第80回

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第80回「社会の課題の変化―多くの社会生活問題に共通の背景」が、発行されました。

第71回から「社会の課題の変化」として、成熟社会日本に生まれた新しい不安を取り上げています。それらを、格差と孤立で整理するとわかりやすいです
今回は、格差を取り上げます。「平等な日本」と満足していた私たちを驚かせたのが、格差の拡大です。「一億総中流」と信じていたら、実態は大きく変わっていたのです。
大昔から、そして発展途上時代にも、社会には不平等や格差がありました。しかし現在の格差は、それらとは性格が違います。それは、夢をも奪うものなのです。

連載「公共を創る」第79回

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第79回「社会の課題の変化―成熟社会で模索する生き方」が、発行されました。

第77回から、「人間らしい生き方への被害」について、対策が取られたものを説明しています。今回は、うつ病など心の悩みと過労死についてです。
今回も「出世」して、掲載誌の2ページ目からの掲載です。

人の反応を羅針盤とする不安

4月24日の朝日新聞オピニオン欄「私、傷つきやすい人?」、土井隆義・筑波大学教授の発言から。

・・・「繊細さん」現象は、かつての「コミュ障」に似ています。人をさげすむために使われる言葉だったのが、「私はコミュ障だから」と自分に対しても使うようになった。他人とのコミュニケーションがうまくいかない時、「コミュ障なので許して」と、対人関係上の潤滑油や免罪符として使われるようになりました・・・
・・・こうした現象の裏には、「自分は他人にどう思われているか?」と常に考えざるをえない社会があると思います。1990年代前半まで右肩上がりだった日本のGDPの伸び(経済成長率)は、90年代後半からほぼ頭打ちとなります。この時期を境に日本社会は大きく変わりました。
2000年以降の調査では、「努力しても報われない」と考える人が増え、「生きていれば良いことがある」と考える人が減っています。この傾向は若い人に顕著で、「いい学校、いい会社へ入ればOK」といった人生目標は持ちづらくなりました。歩むべき方向が不透明になったぶん、他人の視線を強く気にするようになったのです。

かつては、たとえば「スポーツの試合で勝つため」「音楽コンクールで優勝するため」などと明確な目標がまずあり、人間関係はその目標を実現する手段でした。しかし価値観が多様化した今、人間関係それ自体が自己目的化しています。自分の内部に羅針盤を持ちにくくなり、他人の反応が羅針盤の役割を担うようになりました。
学校で「自由化」「個性化」が叫ばれるようになったのも同じ時期です。たとえば、以前なら出席番号順などで強制的に分けていたクラスの班分けも、「好きなように作ってよい」となった。自主性という名のもとで、「自己責任」化が起きました。それまでは、気の合わない人とも班を組まざるをえないという「不満」がありましたが、「自分はどの班に入れてもらえるのか?」という「不安」が勝るようになりました・・・

・・・人間関係に心をすり減らさない処方箋の一つは、「自分の居場所」を閉じずに複数作ることだと思います。子どもなら、学校の外に作ることです。異世代の集まるダンスグループでも、地域社会などでお年寄りの話し相手をするのでもいい。一つの人間関係に依存するから、「繊細」にならざるを得ないのです・・・

連載「公共を創る」で、成熟社会になり、自由が不安を連れてきたことを論じています。まさに、ここで述べられていることです。