カテゴリー別アーカイブ: 寄稿や記事

雑誌への寄稿や取り上げられた記事、講演録など

日経新聞夕刊コラム第20回

日経新聞夕刊コラム第20回「高円寺のカエル」が載りました。今回は、話題をガラッと変えて、ご近所ものです。

いや~、家の前をカルガモ親子が歩いているのを見た時は、びっくりしました。「ダーウィンが来た」なら楽しんでいられますが、ここは東京の住宅地です。
お向かいの生物博士ご夫婦がおられたら、直ちに保護をお願いしたのですが。運悪く、ご不在でした。お庭には、たくさんの小鳥が来ます。えさもやっておられます。後でお話しすると「うちには、猫がいるからねえ・・・」と。
コラムには書きませんでしたが、すでに電柱の上にはカラスがいて、狙っていました。雛が2羽だったということは、それだけしかふ化しなかったのか、すでに襲われたのか。

カエルは、このホームページにしばしば登場します。例えば去年の7月
これも、12年前に初めて見た時は、びっくりしました。夜の暗闇の中でうごめいているということもあって。悲しいかな、しばしば車にひかれた状態で見ます。

高円寺近辺は、昭和の初めまで、畑だったそうです。人間の都合で開発しておきながら、自然が残って欲しいとは、身勝手ですね。

毎日新聞「論点 国家公務員の不祥事」2

毎日新聞「論点 国家公務員の不祥事」の続きです。

何人もの人から、反応がありました。
・きれいに分類してあって、わかりやすかったです。
・「坂の上の雲」ははつらつとして明るいですが、「坂の下の影」はうつむき加減で暗いですね。
・現場を見ろというのは、その通りだと思います。それは公務員だけでなく、新聞記者もです。
・もっと、厳しく後輩たちを叱ってください。

官僚が信頼を取り戻すには、「政策で勝負」し、国民や政治家から評価してもらうしかありません。政策には、「政策立案」と「施策実施」があります。その政策立案です。
具体的方法の一つとして、各局長は「所管行政について、5年後、10年後の課題と展望、そしてその実現方法を論文に書く」ことを義務づけてはどうでしょうか。
少し古くなりましたが、藤井直樹・国土交通省自動車局長(当時)が、季刊『運輸政策研究』2016年10月号に寄稿した「自動車を巡る課題―コンプライアンスと技術革新」を紹介したことがあります(自動車行政の課題、藤井自動車局長)。

官僚制の構造改革については、かつて雑誌に連載したことがあります。連載「行政構造改革-日本の行政と官僚の未来」(月刊『地方財務』2007年9月号から2008年10月号)。総理秘書官になったことで、中断しました。いずれ、私の官僚生活の集大成として、まとめたいと思っています。いつになることやら・・・。

毎日新聞「論点 国家公務員の不祥事」に、意見が載りました。

5月23日の毎日新聞「論点 国家公務員の不祥事」に、私の発言「現場の声 政策に生かせ」が載りました。先日、上野編集委員の取材を受けました。
相次ぐ中央官庁での不祥事は、残念なことです。しかし、それらの中には、原因や様相が異なるものが含まれています。
ここでは、3つに分類しました。一つは官僚機構の構造的問題、もう一つは官僚たちの仕事の仕方の問題、そして最後は個人の立ち居振る舞いです。記事では、第2、第3、第1の順に書かれています。

「公務員の中にも、変な奴がいる」と言ってしまえば、それまでですが。完全になくせないとしても、幹部の破廉恥行為や、公務で重大な失敗を起こしては、国民の信頼を損ねます。これは、くり返し正確な仕事、清潔な振る舞いを注意喚起しなければなりません。

他方で、第一の構造的問題は、構造的に取り組まなければなりません。すなわち、「官僚は政策で勝負する」ように、切り替えなければなりません。
一つは、ここに書いたように、欧米にお手本がない以上、自分たちで考えることです。
もう一つは、出世も大事ですが、それとともに政策が重要であることです。官僚の役割は政策ですから。
すると幹部公務員、特に局長級は評価の基準を、打ち出した政策とするべきです。補助金を配ること、大過なく過ごすこと、政治家に気に入られることは、高級官僚の評価基準ではないでしょう。この項続く

日経新聞夕刊コラム第19回

日経新聞夕刊コラム第19回「NPOの活躍」が載りました。日本の行政論の第4回目で、民間との協働の第2回目です。前回第18回で、行政と企業との協働について書きました。今回は、行政とNPOとの関係です。

コラムに書いたように、私はNPOは行政と別世界の人たちと思っていました。大震災の当初、支援活動の申し出があった際に、この人たち・組織がどのようなものなのか、どのように付き合って良いものか、わかりませんでした。
この人たち、特に市民運動家と呼ばれる人たちは、「意識が高く、行政とは別路線を行く人たち」とも思っていました。
そこで「私たち役所に使われてもいいのか。NPOが行政の下請けになると批判されるのではないか」と聞いたのです。即座に、「違います。我々の方が、やりたいことのために、岡本さんを使うんです」と言われて、目から鱗が落ちるというか、私の考えが間違っていたことに気がつきました。

個人ボランティアもありがたいのですが、より継続的、専門的な支援は、組織ボランティアであるNPOが有効なのです。この違いを、理解して欲しいです。また、NPOは無償で働いていると思っている人も多いです。

NPOを世間に認知してもらう際に必要なのが、継続的な活動と、もう一つは呼称です。名前の頭に「非」とつくところからして、スマートではないですよね。何か良い名前はないでしょうか。

日経新聞夕刊コラム第18回

日経新聞夕刊コラム第18回「自治体と企業」が載りました。日本の行政論の第3回目です。
県庁では、企業連携の窓口を作るところが増えてきました。「福島県庁の場合」。また企業も、社会貢献の中で、地域での貢献を広げています。「三井住友海上火災保険の資料」。もちろん、連携協定を結ぶことが目的ではなく、具体の事業を実行することが重要です。
国にあっては、古くなりましたが、「官庁での官民連携」()を調べたことがあります。

官共私の三元論は、拙著『復興が日本を変える』で述べました。慶應義塾大学での公共政策論でも論じています。公共は、行政だけがつくるものではありません。また、企業やNPOは企業の委託先や下請けだけではありません。

道路は行政が作ります。税金でです。その上を走るバスは、多くの場合、民間です。料金で運営します。しかし、バスがなければ、車を持たない人や運転しない人、高齢者や学生は意味がありません。道路建設には多額の税金を投入しながら、バスや鉄道にはわずかしか公費が出されません。
提供者側の論理、これまでの行政の仕組みでは、こうなっています。移動する生活者から考えると、違ったものが見えてきます。

供給側の論理で考えるか、利用者・生活者の立場で考えるか。モノやサービスが十分でなく、それらをそろえる際には、供給側の論理が有効でした。しかし、一通りのモノとサービスがそろった段階では、利用者・生活者の立場で考えるべきです。
その一つの例は、この連載の第16回「未来との対話」で提案しました。