3月1日の福島民報に、私のインタビューが載りました。
発災から8年が経とうとしている中での、原発被災地復興の現状と課題です。
多くの地域で避難指示が解除され、住民と生活が戻りつつあります。
しかし、まだ住民が戻っていない地域、さらに避難指示が解除されていない地域もあります。まだまだ、なさねばならないことも多いです。
質問に答えている写真が、載っています。こんな顔して、話しているのですね。
残念ながら、インターネットでは読むことができないようです。
雑誌への寄稿や取り上げられた記事、講演録など
3月1日の福島民報に、私のインタビューが載りました。
発災から8年が経とうとしている中での、原発被災地復興の現状と課題です。
多くの地域で避難指示が解除され、住民と生活が戻りつつあります。
しかし、まだ住民が戻っていない地域、さらに避難指示が解除されていない地域もあります。まだまだ、なさねばならないことも多いです。
質問に答えている写真が、載っています。こんな顔して、話しているのですね。
残念ながら、インターネットでは読むことができないようです。
しばしば講演を頼まれ、お役に立つならと引き受けています。
主催者の意図や聴衆の関心を考えて、話の内容とレジュメ、配付資料を準備します。これはこれで、大変なのですが。今日の話は、講演のあとです。
講演を、文字で残す場合があります。私の話は、その場で聞いてもらわないと面白くないので、速記録はできれば勘弁してもらっています。しかし、主催者の都合で、文字に起こして配布する場合があります。
何が困るか。話の内容をそのまま活字に起こして、「手を入れてください」と送ってこられるのです。中には、読めるように、手を入れて送ってくださるところもあります。そうでないと、意味が取れないところあります。これは、私が悪いのです。すみません、ええ加減にしゃべって。でも、テンポ良く、聴衆を引き込むことも、私の語りの特徴です。関西漫才ですわ。
しかし、手を入れてもらっていても、話しているときは通じていると思われる内容が、活字にすると通じないか所があります。
例えば「・・・です」です。これが断定なのか疑問なのか、活字ではわからないのです。疑問文の場合は、語尾が上がっているはずです。「です?」
微妙な間合いも、再現できません。
さらに、主語述語が不明瞭な場合や「・・・で、・・・ですが・・・」と文章が長く続いている場合があります。これは、私のしゃべり方が悪い。
ここまでは、言ってみれば「普通の悩み」です。次の場合は、少々難しいです。
私は、しばしば黒板(白板)に、図や絵を描いて説明します。この語りを活字にしても、ちんぷんかんぷんになります。
「ここが・・・なのですよね」と文章になっても、「ここが」は読んでいる人は全くわかりません。
聴衆に質問して、手を挙げてもらうこともあります。人数を見て「たくさんおられますね」と発言した場合は読んでわかるのですが、「この程度ですか」はその場にいた人はわかるけど、文章になると何人かはわからない。
パワーポイントを使って講演する場合は、どうするのでしょうね。語った内容を文章にして、その間にパワーポイントの絵をはさむのでしょうか。
語りと文字とは、伝える、伝わる情報量に大きな差があります。
戯曲と演劇の違いです。同じ戯曲でも、演出家と俳優によって、演劇は変わってきます。舞台演劇やテレビドラマ、映画を文字越ししても、面白くないですわね。
シェークスピアの戯曲は文字で読んでも、面白いです。というか、文字だから残ったのです。読者ごとに、行間を想像で補って、舞台を思い浮かべるのでしょう。あるいは、あらすじだけを追いかけて、それで楽しむとか。
7月4日の日経新聞の特集「ゆがむ統治、私の処方箋」に、私の発言「霞が関、政策勝負」が載りました。先週連載された「政と官 ゆがむ統治」の関連記事です。
かつて言われた「官僚主導」から、「政治主導」に変わりました。その際の、政治家と官僚との役割分担に対応し切れていないというのが、私の趣旨です。
官僚が国民から評価されるためには、社会の問題を拾い上げ、それに対する政策を提言し、決まったことを実行することです。
官僚は政策で勝負すべきです。そういう観点で見ると、官僚たちは政策を問うていません。担当する分野の課題と政策を、公の場で発言していないのです。ここでは、各局長が所管分野の課題を対策を公表することを、提言しました。
例えば、各省や各局には、多くの場合に関係する機関誌があります。しかし、そこに、局長や課長の意見は載っていないのです。成立した法律や決まった予算などの解説はありますが。各省が出している白書は、決まってからのものです。また、ある分野での専門家になるために、学会などでも発言すべきでしょう。
「官僚は匿名性で仕事をすべき」という考え方もありますが、私は違うと思います。誰がやっても同じ、ではありません。また、誰がやったか分からないようでは、責任の所在が不明です。
官僚たちにとって、出世することも重大な関心事でしょうが、そのためには政策を提言しそれを実行することで、評価してもらうべきです。
公務員一般には、業績評価が行われています。期首に自己申告し、期末に評価を受けるのです。その政策提言を通じた高級官僚向け手法、しかも公開のものと考えてください。
5月23日の毎日新聞「論点 国家公務員の不祥事」にも、官僚論を述べました。趣旨は、変わっていません。いまの官僚たちの「混迷」は、構造的なものであること。それを改善するには、政策で示す必要があることです。
文中にある、麻生内閣の政策体系は、総理官邸のホームページに載っています。「麻生内閣の主な政策体系 私の目指す日本」の図。
日経新聞夕刊コラム連載が、終了しました。全部で25回でした。
お読みいただいた方々に、お礼申し上げます。読まれた感想は、どうだったでしょうか。
(元)官僚という立場ゆえ、何かと制約はあります。でも、私は楽しく書かせてもらいました。行政の話ばかりでは、面白くないですよね。これまで考えていたこと、経験したことの中から、紙面にふさわしい主題を選びました。話題はたくさんあって、選ぶのに苦労しました。知人から「××については、書かないのか」という催促もありました。
「けっこう、好きなこと書いているじゃないですか」「官僚として、ギリギリのところを書いていますね」といった感想も寄せられました。ある人からは「新聞、それも一面に嫁さんの名前を書いて、ヨイショするとは」と、あきれられました(苦笑)。
25回は、次のように分類できます。
大震災関係 1、2、3、10回
官僚経験 4、5、6、8、9、14、15、22、23回
行政論 11、16、17、18、19回
私生活 7、12、13、20、21、24、25回
喜多・日経新聞会長から「途中で息切れしないように」との助言をもらっていたので、連載を始める前に、粗々の全体構想を考えました。
大震災の厳しい話、やや専門的な官僚論、高円寺のカエルと、固いものから柔らかいものまで混ざっていましたが、計算の上なのです。
話は具体的になるように、必ず私の経験を書き込んだので、「自慢話」ようになったものもあります。全回を通しての主題を、「官僚の生態学」「官僚が考えていること」としたので、どうしてもそのようになります。御理解ください。
締めきりに追われるのは、精神衛生上良くないので、原稿は十分な余裕を持って提出しました。
苦労といえば、決められた字数に納めることでした。でも、字数制限なしで長々と書くより、わかりやすい切れ味のよい文章になったと思います。
厳しい指摘と適切な助言をくださった編集者のSさんと、鋭い指摘をしてくださった校閲の方に、あらためてお礼を申し上げます。
新聞のコラムの連載は、かつて書いたことがあります。鹿児島県財政課長の時、地元の南日本新聞夕刊に、3か月間、10回書きました。 昭和63年、33歳の時です。若かったですね。もう30年も前のことです。このときも、親しい新聞記者さんに意見を聞き、加筆して活字にしてもらいました。
終わってしまうと、あっという間でした。また、このようなコラムを書く機会があれば、うれしいですね。
半年間、お付き合いいただき、ありがとうございました
日経新聞夕刊コラム第25回(最終回)、「人間修養道場」が載りました。
世間知らずというか、甘やかされたというか。若いときは「たいがいのことは、自分の思い通りになる」と思っていました。母親も近所のおばさんたちも、先生たちも、みんな大事にしてくれました。で、キョーコさんとの新婚生活は、ショックでした。
その後、家庭と職場の両方で経験を積んで、褒めること、頭を下げることを覚えました。なぜ、もっと早く気づかなかったのでしょう。反省。
「職場は人間修養道場だ」と、教えてくださった先輩に感謝します。
私が経験で得た知識は、『明るい公務員講座』と『明るい公務員講座 仕事の達人編』に書きました。皆さん、経験して学ぶことなのですよね。でも、そんな簡単なことは、それが基本なのですが、本には書かれていません。
25回の連載を、どのような形で締めようかと考え、この話を最後に持ってきました。キョーコさんは、合計3回登場しました。この項続く。