カテゴリー別アーカイブ: 寄稿や記事

雑誌への寄稿や取り上げられた記事、講演録など

ヤフーの災害弱者支援に出ました。

インターネット会社のヤフーが、防災ダイバーシティという取り組みを始めました。「人の数だけ、備えがある」というのが趣旨です。『Yahoo!防災ダイバーシティプロジェクト

その広報資料に賛同者の欄があって、海堀安喜・内閣府政策統括官(防災担当)と一緒に私も出ています。ビデオもあります。
「内閣官房参与 福島復興再生総局事務局長 岡本全勝 URL:https://youtu.be/NxIHwXcgB8o

田村太郎さんの依頼を受け、引き受けました。
大災害の際に避難所を開設しますが、各人の条件に沿った支援までは行き届きませんでした。障害のある方、高齢者の方、ペットを連れた方、日本語が理解できない方・・。「災害弱者」と認識していましたが、十分な対応はできていません。ヤフーさんのこの試みは、ありがたいです。今後、市町村にも役に立つでしょう。企業が持つ技術を生かした、社会貢献です。

先日、復興庁の執務室で、取材を受けました。なるべくゆっくりと、わかりやすく話すことを心がけたら、ふだんとは別人の話し方になりました(苦笑)。背景は、国会議事堂です。

福島民報新聞、インタビュー

3月1日の福島民報に、私のインタビューが載りました。
発災から8年が経とうとしている中での、原発被災地復興の現状と課題です。
多くの地域で避難指示が解除され、住民と生活が戻りつつあります。
しかし、まだ住民が戻っていない地域、さらに避難指示が解除されていない地域もあります。まだまだ、なさねばならないことも多いです。

質問に答えている写真が、載っています。こんな顔して、話しているのですね。
残念ながら、インターネットでは読むことができないようです。

難しい速記録起こし

しばしば講演を頼まれ、お役に立つならと引き受けています。
主催者の意図や聴衆の関心を考えて、話の内容とレジュメ、配付資料を準備します。これはこれで、大変なのですが。今日の話は、講演のあとです。

講演を、文字で残す場合があります。私の話は、その場で聞いてもらわないと面白くないので、速記録はできれば勘弁してもらっています。しかし、主催者の都合で、文字に起こして配布する場合があります。
何が困るか。話の内容をそのまま活字に起こして、「手を入れてください」と送ってこられるのです。中には、読めるように、手を入れて送ってくださるところもあります。そうでないと、意味が取れないところあります。これは、私が悪いのです。すみません、ええ加減にしゃべって。でも、テンポ良く、聴衆を引き込むことも、私の語りの特徴です。関西漫才ですわ。

しかし、手を入れてもらっていても、話しているときは通じていると思われる内容が、活字にすると通じないか所があります。
例えば「・・・です」です。これが断定なのか疑問なのか、活字ではわからないのです。疑問文の場合は、語尾が上がっているはずです。「です?⤴」
微妙な間合いも、再現できません。
さらに、主語述語が不明瞭な場合や「・・・で、・・・ですが・・・」と文章が長く続いている場合があります。これは、私のしゃべり方が悪い。
ここまでは、言ってみれば「普通の悩み」です。次の場合は、少々難しいです。

私は、しばしば黒板(白板)に、図や絵を描いて説明します。この語りを活字にしても、ちんぷんかんぷんになります。
「ここが・・・なのですよね」と文章になっても、「ここが」は読んでいる人は全くわかりません。
聴衆に質問して、手を挙げてもらうこともあります。人数を見て「たくさんおられますね」と発言した場合は読んでわかるのですが、「この程度ですか」はその場にいた人はわかるけど、文章になると何人かはわからない。
パワーポイントを使って講演する場合は、どうするのでしょうね。語った内容を文章にして、その間にパワーポイントの絵をはさむのでしょうか。

語りと文字とは、伝える、伝わる情報量に大きな差があります。
戯曲と演劇の違いです。同じ戯曲でも、演出家と俳優によって、演劇は変わってきます。舞台演劇やテレビドラマ、映画を文字越ししても、面白くないですわね。
シェークスピアの戯曲は文字で読んでも、面白いです。というか、文字だから残ったのです。読者ごとに、行間を想像で補って、舞台を思い浮かべるのでしょう。あるいは、あらすじだけを追いかけて、それで楽しむとか。

日経新聞、私の発言「霞が関 政策勝負」

7月4日の日経新聞の特集「ゆがむ統治、私の処方箋」に、私の発言「霞が関、政策勝負」が載りました。先週連載された「政と官 ゆがむ統治」の関連記事です。

かつて言われた「官僚主導」から、「政治主導」に変わりました。その際の、政治家と官僚との役割分担に対応し切れていないというのが、私の趣旨です。
官僚が国民から評価されるためには、社会の問題を拾い上げ、それに対する政策を提言し、決まったことを実行することです。

官僚は政策で勝負すべきです。そういう観点で見ると、官僚たちは政策を問うていません。担当する分野の課題と政策を、公の場で発言していないのです。ここでは、各局長が所管分野の課題を対策を公表することを、提言しました。
例えば、各省や各局には、多くの場合に関係する機関誌があります。しかし、そこに、局長や課長の意見は載っていないのです。成立した法律や決まった予算などの解説はありますが。各省が出している白書は、決まってからのものです。また、ある分野での専門家になるために、学会などでも発言すべきでしょう。

「官僚は匿名性で仕事をすべき」という考え方もありますが、私は違うと思います。誰がやっても同じ、ではありません。また、誰がやったか分からないようでは、責任の所在が不明です。
官僚たちにとって、出世することも重大な関心事でしょうが、そのためには政策を提言しそれを実行することで、評価してもらうべきです。
公務員一般には、業績評価が行われています。期首に自己申告し、期末に評価を受けるのです。その政策提言を通じた高級官僚向け手法、しかも公開のものと考えてください。

5月23日の毎日新聞「論点 国家公務員の不祥事」にも、官僚論を述べました。趣旨は、変わっていません。いまの官僚たちの「混迷」は、構造的なものであること。それを改善するには、政策で示す必要があることです。

文中にある、麻生内閣の政策体系は、総理官邸のホームページに載っています。「麻生内閣の主な政策体系 私の目指す日本」の図。

日経新聞夕刊コラム終了

日経新聞夕刊コラム連載が、終了しました。全部で25回でした。
お読みいただいた方々に、お礼申し上げます。読まれた感想は、どうだったでしょうか。

(元)官僚という立場ゆえ、何かと制約はあります。でも、私は楽しく書かせてもらいました。行政の話ばかりでは、面白くないですよね。これまで考えていたこと、経験したことの中から、紙面にふさわしい主題を選びました。話題はたくさんあって、選ぶのに苦労しました。知人から「××については、書かないのか」という催促もありました。
「けっこう、好きなこと書いているじゃないですか」「官僚として、ギリギリのところを書いていますね」といった感想も寄せられました。ある人からは「新聞、それも一面に嫁さんの名前を書いて、ヨイショするとは」と、あきれられました(苦笑)。

25回は、次のように分類できます。
大震災関係 1、2、3、10回
官僚経験 4、5、6、8、9、14、15、22、23回
行政論 11、16、17、18、19回
私生活 7、12、13、20、21、24、25回

喜多・日経新聞会長から「途中で息切れしないように」との助言をもらっていたので、連載を始める前に、粗々の全体構想を考えました。
大震災の厳しい話、やや専門的な官僚論、高円寺のカエルと、固いものから柔らかいものまで混ざっていましたが、計算の上なのです。
話は具体的になるように、必ず私の経験を書き込んだので、「自慢話」ようになったものもあります。全回を通しての主題を、「官僚の生態学」「官僚が考えていること」としたので、どうしてもそのようになります。御理解ください。

締めきりに追われるのは、精神衛生上良くないので、原稿は十分な余裕を持って提出しました。
苦労といえば、決められた字数に納めることでした。でも、字数制限なしで長々と書くより、わかりやすい切れ味のよい文章になったと思います。
厳しい指摘と適切な助言をくださった編集者のSさんと、鋭い指摘をしてくださった校閲の方に、あらためてお礼を申し上げます。

新聞のコラムの連載は、かつて書いたことがあります。鹿児島県財政課長の時、地元の南日本新聞夕刊に、3か月間、10回書きました。 昭和63年、33歳の時です。若かったですね。もう30年も前のことです。このときも、親しい新聞記者さんに意見を聞き、加筆して活字にしてもらいました。

終わってしまうと、あっという間でした。また、このようなコラムを書く機会があれば、うれしいですね。
半年間、お付き合いいただき、ありがとうございました