日経新聞1面「復興の哲学を変える必要があった」

3月9日の日経新聞1面「日本は変われたか 大震災10年① 地域再生、ばらまきの限界」に私の発言が載りました。見出しが「復興の哲学を変える必要があった 岡本全勝・元復興庁事務次官」です。

・・・東日本大震災の発生から10年がたとうとしている。地震と津波に加え、原子力発電所事故まで起きたあのとき、日本は再生に向けて動き出したはずだった。しかし、多くの課題を前に立ちすくんだ。日本は変われたのだろうか。
東日本大震災は経済成長が鈍化し、人口が減少し始めるなかで起きた最初の大災害だった。被災地の復興を縮む時代にどうあわせるか。あふれるインフラをみていると、人口減への解を見つける機を逸したように思えてならない・・・

・・・復興庁事務次官や福島復興再生総局の事務局長を務めた岡本全勝氏に聞いてみた。地元がもてあますほどのインフラは必要でしたか。「『壊れたら、直ちに元に戻す』という長年の経験でインフラ復旧に乗り出した。ただ人口減少下で元に戻すことを急いだら、結果的に過大なものができてしまう。そこは哲学を変える必要があった」
政府が哲学を変えきれなかったことでどうなったか。津波で壊れた漁港、水浸しの農地の復旧は急ピッチで進んだ。がれきを片付けた街でかさ上げの造成工事が進み、海岸にはより高い防潮堤が築かれた。公共投資は被災地の再生を後押ししたが、前面に出たのは、全国一律の規格で地方に補助金を配り、地域の実情と関係なく開発するばらまき行政の姿だった・・・

・・・住まいや暮らしの再建も急いだが、同じペースでは進まず、その間も被災地の人口は減った。合意形成が難しい面はあるにせよ、速やかに暮らしやすい環境を整えてほしいとする被災者のニーズとはズレが生じた。
「次の大災害では費用対効果や優先順位を考えた復興計画が必要になる」。岡本氏はこう話す。東日本大震災でも目立ったばらまき行政を改められるだろうか。
政府は「国土の均衡ある発展」を掲げ、1962年から5次にわたる全国総合開発計画(全総)で重化学工業の地域分散、新幹線や高速道路の整備を推進した。全国どこでも利便性の高い暮らしが可能になった。それは成功体験として政府に刻み込まれた。21世紀に入り、全総は国土形成計画に衣替えする。全国一律のハード整備をやめ、広域連携やコンパクトシティー形成などに軸足を置いた。低成長と人口減を前提にばらまき行政からの転換を図ったはずだった・・・