「社会の見方」カテゴリーアーカイブ

灯りを描くには周りの暗さを描く

東京大学出版会の宣伝誌『UP』に、画家の山口晃さんが「すずしろ日記」を連載しておられます。
5月号(第241回)は、新緑の鮮やかさが目に入り、さらに感覚器官の興奮を引き起こすことと、セザンヌがそれを絵の中に作り上げたことを書いておられます。そこに、次のような文章があります。
・・・ローソクの灯りを描こうと思ったら、逆算して灯り以外の暗さを描くしかないのだが、セザンヌのした事はそれに似ている・・・

あるものごとを分析する際に、そのものごとの内部を深く分析するだけでは理解できず、それが社会でどのような位置を占め、どのような影響を与えたかを分析する必要があることを思い出しました。「内包と外延、ものの分析

日本を待つ「転落の50年」

4月19日の日経新聞に、小竹洋之コメンテーターの「日本を待つ「転落の50年」」が載っていました。
・・・トランプ米大統領が連射する高関税砲は、貿易立国・日本の存立基盤を揺るがしかねない。石破茂首相が「国難」と呼ぶのも、決して大げさではあるまい・・・だが政府・与党の安易な対応は目に余る。自動車をはじめとする基幹産業が高関税にさらされ、成長の源泉が侵食されそうな時に、今夏の参院選をにらんだバラマキに精を出す始末である。
それで当座をしのげても、国民の食いぶちを安定的に稼ぎ出せるわけではない。経済対策の的を真の弱者に絞り、むしろ成長戦略に多くの国費を投じるべきだ・・・

・・・振り返れば、日本の経済はまさに国難続きだった。深刻なデフレや少子高齢化などが重なって、バブル崩壊後の「失われた30年」と評される今の苦境がある。
豊かさの指標といわれる人口1人当たりの国内総生産(GDP)で見ると、1990年代以降の日本は、過去300年余りで3度目の深刻な凋落を経験した――。経済産業研究所の深尾京司理事長(一橋大学特命教授)は、自著「世界経済史から見た日本の成長と停滞――1868-2018」にこう記す。
覇権国とのギャップが著しく拡大するのは江戸時代の末期、第2次大戦の前後に続く現象だ。「過去2回は鎖国や戦争の影響で技術の格差が広がった。今回は資本蓄積の遅れや労働の質の低下も目立つ」と深尾氏は話していた。
その日本で賃金と物価の上昇に好循環の兆しが現れ、長期停滞の出口を探り始めたタイミングでの高関税である。経済と市場の安定に万全を期すのは当然だが、痛み止めに終始していては、いつまでもトンネルを抜けられない。

そして今度は「転落の50年」の扉が開く。日本経済研究センターが3月にまとめた長期経済予測を見てほしい。トランプ関税の影響などを織り込まない標準シナリオで、実質GDPの世界ランキング(83カ国・地域)を試算すると、日本は24年の4位から、75年には11位に後退するという。
1人当たりの実質GDPでは29位から45位に順位を下げ、中位グループに埋没する結果となる。「人工知能(AI)の普及や移民の拡大、雇用制度の見直しなどに取り組み、とりわけ労働力人口1人当たりの生産性を引き上げる努力が欠かせない」と岩田一政理事長(元日銀副総裁)は訴える。

米タフツ大学のマイケル・ベックリー准教授は18年の論文で、経済・軍事両面の国力を測る簡便な指標として「GDPと1人当たりGDPとの積」に注目した。人口大国の実力を過大評価しがちなGDPよりも、一国が抱える正味の資源をいかに効率的に対外活用できるかを的確に示すという。
静岡県立大学の西恭之特任准教授も、これを支持する。日経センターの長期予測を基に、実質GDPと1人当たり実質GDPとの積を試算すると、日本は24年の5位から、50年には8位、75年には14位に後退するそうだ。
いずれも首位は米国で、中国、ドイツ、英国が続く。2位以下を大きく引き離す米国を100とした場合、日本は6.2から3.6、2.6に低下する。「労働力人口の比率を維持し、1人当たり・1時間当たりのGDPを極力増やしたい」と西氏は語る・・・
この項続く

ネット時代に教養は成り立つか

4月5日の朝日新聞オピニオン欄「「教養」はどこへ」、大澤聡さんの「知の対話へ、いまこそ読書」から。

・・・本を読むことで教養を形成するという価値観は、近代だからこそ成り立っていたのかもしれません。
インターネットによってあらゆるものが可視化された現代では、世界は無限に広がっていて、全てを把握するなんて無理だと事前にわかってしまっています。
しかし手に入る情報が限られていた時代には、必読リストを読破すれば世界の全てがわかるはずと思い込めました。冊数が限られ、頑張ればゴールまで行けそうな気がするからこそ挑む気になれたのでしょうね。
本には目次があります。1章、2章と番号を振って情報に序列を付け、スタートからゴールまで一直線に構築された体系性があります。前へ前へ、より高く、と駆り立てるその構造は、人格を高めたい、賢くなりたいという「教養主義」の上昇欲に合致していました。

一方、目次のないネットの世界はすべてがバラバラで、序列も体系もあいまいです。情報が無限にあってゴールが見えないため目指そうともしなくなります。
そもそも、誰もが共有すべき知識や価値観があるという考え方は、権威を崩してみんな対等だとみなす20世紀後半からのポストモダンの時代に、力を失いました。多様性が重視される時代を背景に「この本は読んで当たり前」という同調圧力は働きにくくなり、教養は雑学や趣味のようなものに変わってきています。

気になるのは、多様化の中でむしろ権威主義化が進んでいることです。専門の島宇宙それぞれに小さな王様がいて、よその島から口を出すなという雰囲気がある。これでは全体の見取り図は描けません。教養主義が内包する「他者を知りたい」という知的欲求は手放すべきではないでしょう。
いま必要なのは島と島をつなぐ対話的教養です。自分の島の知を元手に、他の島の知への推測を働かせ、共通点を探る。そんな「比喩」や「要約」の力を磨くことが大切になります・・・

ビッグマックに見る労働生産性

このページでもしばしば言及する「ビッグマック指数」。
2025年1月時点では、日本のビッグマック価格は480円。アメリカのビッグマック価格は5.79ドルで、円にすると894円です(2025年1月時点の1ドル=154.35円で換算)。ユーロ圏では919円です。

日本の経済力の弱さを指摘して、「生産性を上げないといけない」と主張されます。でも、マクドナルドの店内で働いている店員に、これ以上生産性を上げろとは言えないでしょう。彼ら彼女らは、作業手順書に従って、諸外国の店員と同じように仕事をしているでしょう。
原材料費の小麦粉、肉、タマネギ、トマトの価格が、日本の方が安いとは思えません。小麦も肉も輸入しているので、原価もほぼ同じ、場合によっては日本の方が高いと推測されます。

同じような原材料を使って、同じように働いて、日本は安い。おかしいですよね。
円ドル相場に、大きな原因があるようです。1ドル100円になれば、アメリカの5.79ドルは579円です。日本の480円に、ぐっと近づきます。
この点からは、円高になることを期待しましょう。

福井ひとし氏の公文書徘徊2

『アジア時報』5月号に、福井ひとし氏の「連載 一片の冰心、玉壺にありや?――公文書界隈を徘徊する」の第2回「大日本帝国最後の日―枢密院の後ろ姿」が載りました。
今回は、枢密院についてです。枢密院は、戦前に存在した役所です。新憲法の施行とともに廃止されました。建物は皇居内に残っていて、皇宮警察本部庁舎として使われています。大手門から入り、三の丸尚蔵館の南側にあるのですが、近づくことはできません。

今回の徘徊は、枢密院の文書がすべて公文書館に残されているので、それを使った枢密院の仕事ぶりです。それとともに、枢密院を廃止する手続き、さらに勤めていた職員の退職手当まで調べています。
今から80年前のことです。戦前は遠くなりにけり・・・。「第1回