カテゴリーアーカイブ:社会の見方

都市の人間関係の変化

2010年11月7日   岡本全勝

高澤紀恵著『近世パリに生きる-ソシアビリテと秩序』(2008年、岩波書店)が、興味深かったです。
16世紀から18世紀にかけてのパリが舞台です。ソシアビリテ(人と人との結合関係)に注目し、都市の社団(住民の集まり)が様々な都市機能を担っていたのが、徐々に王権に組み込まれていく過程を描いています。近世パリにおける都市社団は、街区や教区という近隣関係、あるいはギルドという職業集団です。それが、治安、防衛、徴税、ごみ処理などの機能を果たしていました。代表者を選び、自らの負担と奉仕で、処理していたのです。しかし、次第に王が任命する官職と組織に取って代わられます。それら機能の主体でもあった住民は、統治の客体に転化するのです。
都市のソシアビリテという観点からの、都市統治・都市自治論です。政治史では、法令や制度から見た政治と行政が主ですが、それでは実際の姿が見えてきません。一方、権力者の伝記や市井の住民の日記による歴史研究もありますが、それにも限界があります。社会的な機能を果たす人間関係から見ることは、極めて有意義ですが、資料から検証するには大変な困難があります。この本は、それに成功しています。
類書に、結社の世界史シリーズ(山川出版)、第3巻福井憲彦編『アソシアシオンで読み解くフランス史』(2006年)などがあります。こちらは買ったまま、積ん読状態になっています。反省。

自由の国の不安、アメリカのデモクラシー

2010年11月7日   岡本全勝

渡辺靖著『アメリカン・デモクラシーの逆説』(2010年、岩波新書)が、勉強になりました。渡辺教授は、文化人類学者です。社会学から見たアメリカ政治とアメリカ社会論です。自由と自助(自己責任)を信奉する国民、自らの出世や富を求め激しい競争を続ける国民、そして課題を解決するために結社をつくり政治を動かす国民。そのエネルギーが今日のアメリカをつくり、世界の憧れとなってきました。しかし、その一方で、格差、差別、対立も生んできました。自由が行き着いた先の、孤独な個人主義もです。
教授は、ジョセフ・デュミット教授の論文を紹介し、新しい病が増えていることを指摘されます。米国精神医学会による『精神疾患の診断・統計マニュアル』で見ると、1986年に182だった分類は、1994年には294へと細分化され、病が増えているのだそうです。国立健康統計センターの報告(2007年)では、情緒・行動面で問題があると親に見なされた就学年齢の子ども(4~17歳)は、14.5%にもなります。うち3分の1が処方薬の治療を受け、ほぼ同数がカウンセリングなど処方薬以外の治療を受けています。国立精神衛生研究所の報告(2004年)では、18歳以上のアメリカ人の4分の1以上が、精神疾患を患っているとしています。
渡辺教授は、「今日の新自由主義的な文化や制度のもとでは、自らの精神性や身体性という、個人に最も直近なはずの領域でさえ、自らの責任や判断によって統治・所有することが困難になっているという逆説に他ならない」と述べておられます。
自由と豊かさにおいて、日本はアメリカの後を追いかけてきました。日本社会は、このような事象も後追いするのでしょうか。

休みは増えたが労働時間は減っていない

2010年11月3日   岡本全勝

10月25日の日経新聞経済教室は、黒田祥子准教授の「日本人男性の労働時間。一日当たり、一貫して増加」でした。
1987年の労働基準法改正で、週間法定労働時間は、48時間から40時間になりました。90年代初めには、週休二日になりました。労働者の年間休日数 は、1985年の92.2日から、2009年の113.7日と、21日も増加しました。1日8時間とすると、170時間の労働時間削減です。
一方、20歳から49歳の壮年男性社員の平均労働時間は、1980年代末に週52時間近くあったものが、1990年代に48時間に減り、2000年代には 50時間に戻っています。そして、1日当たりの労働時間は、1970年代の8時間から年々増加し、2006年には9.1時間にまで増えています。その分、 睡眠時間が7.9時間から7.2時間へと減っています。1日当たり13時間以上働く人の割合も、2%から8%に増えています。
休日は増えたけれど、その分だけ平日の労働時間が増え、睡眠時間を削っているという姿が見えます。疲労が蓄積されるのです。

貸し出し機能の衰えた銀行

2010年10月31日   岡本全勝

31日の日経新聞「検証、ニッポンこの20年。長期停滞から何を学ぶか」は、「衰えた金融機能。破綻懸念遠のき、革新怠る」でした。
1990年代、巨額の不良債権処理のためと金融ビッグバンに備え、大手金融機関の淘汰と再編が続きました。これで一部の銀行と証券会社を除き、金融機関は 破綻を免れたのですが、記事では、その後、金融機関の資金仲介機能は低下したと指摘しています。
すなわち、1999年には、国内銀行の預金と貸出金がともに490兆円前後で均衡していたのが、5年後には預金が6%増えたのに、貸出金は17%も減って います。そして、国債保有額が44兆円から102兆円に膨らんでいます。民間企業に回るべきお金が、国や地方団体の赤字を支える方に回ったのです。
・・巨大化や公的資金の注入で破綻の懸念が遠のき、預金が銀行に集まりやすくなった。その半面、お金を将来性のある企業に貸し出す技量を銀行が磨くことは なかった。資産運用など直接金融にかかわる部門を思い切って拡充するなどの改革も不十分だった・・と記事は述べています。

川北稔、イギリス近代史講義

2010年10月30日   岡本全勝

川北稔著『イギリス近代史講義』(2010年、講談社現代新書)が、面白かったです。イギリスが最初に産業革命に成功し、そして衰退した歴史を、社会史と世界システム論から論じておられます。そのために、世界に先駆けたロンドンの都市化から書き始めます。産業革命・工業化は、供給側の事情だけでなく、それ以上に需要側の要素が大きかったことを、指摘されます。新書版で、読みやすいです。
かつてこのホームページで、アンドリュー・ローゼン著「現代イギリス社会史、1950-2000」(2005年6月邦訳、岩波書店)を紹介しました(2005年8月20日の記事)。これも、川北先生の翻訳でした。学校で習う歴史は、政治史と「出来事史」が中心です。しかし、社会と歴史を動かしているのは、政治家ではないと思います。国民の暮らし、生産と消費、労働と生活、人間関係がずっと大きな要素だと思うのですが。それらの条件と変化の上に、企業家や政治家の判断の余地があるのでしょう。政治史や出来事史は年表に書きやすいのですが、社会の変化は書きにくいのです。

フランスの歴史学者フェルナン・ブローデルは、歴史を3つの時間に分けて考えることを提唱しました。一つ目は、ゆっくりと変化する人間を取り囲む環境と人間との関係の歴史。これは、構造的な長い時間です。二つ目は、社会史という、変動局面の中くらいの時間。3つめは、出来事の歴史という、短い時間です。拙著『新地方自治入門』でも紹介しました。
日本の歴史特に庶民の歴史を大きく分けると、皆さんはどのように分けますか。私は、3つに区切るとするなら、縄文時代、弥生時代とその後、そして高度経済成長期以降に分けるのが、わかりやすいと考えています。第1期は狩猟と採集経済の時代。第2期は稲作の時代(1950年頃まで、多くの日本人は農業で生きていました)。第3期は工業の時代です。この生産と生活の仕組みが、日本人の個人、家庭、社会の暮らしを規定したと考えるからです。
戦後の経済成長は、農村から都市へ、農作業からサラリーマンへ、村での暮らしから会社勤めへと、大きく私たちの暮らしを変えました。平安時代の農民が明治時代の田舎の村にタイムスリップしても、暮らしていけると思います。村の中で稲作ですから。しかし、平成時代の都市に来たら、とても困ると思います。明治維新も戦後改革も、日本のかたちを大きく変えました。しかし、地方の庶民の暮らしは、それよりも経済成長で変わったと考えるからです。