カテゴリーアーカイブ:社会の見方

「イスラーム世界とは何か」

2025年7月13日   岡本全勝

羽田正著『〈イスラーム世界〉とは何か 「新しい世界史」を描く』(2021年、講談社学術文庫)を読みました。単行本が出たときに読みたいと思いましたが、そのままになり、文庫本になっても手をつけず。知人が読んでいるとのことで、読みました。
宣伝文には、次のように書かれています。
・・・ジャーナリズムで、また学問の世界でも普通に使われる用語、「イスラーム世界」とは何のことで、一体どこのことを指しているのだろうか? ムスリムが多い地域のことだろうか、それとも、支配者がムスリムである国々、あるいはイスラーム法が社会を律している地域のことだろうか。ただ単に、アラビア半島やシリア、パレスチナなどの「中東地域」のことを指しているのだろうか? 
本書は、高校世界史にも出てくるこの「イスラーム世界」という単語の歴史的背景を検証し、この用語を無批判に用いて世界史を描くことの問題性を明らかにしていく。
前近代のムスリムによる「イスラーム世界」の認識、19世紀のヨーロッパで「イスラーム世界」という概念が生み出されてきた過程、さらに日本における「イスラーム世界」という捉え方の誕生と、それが現代日本人の世界観に及ぼした影響などを明らかにする中で、著者は、「イスラーム世界」という概念は一種のイデオロギーであって地理的空間としては存在せず、この語は歴史学の用語として「使用すべきではない」という・・・

なるほど。「イスラーム世界」という言葉、概念は、近代ヨーロッパが作ったものなのですね。私は子どもの頃「中近東」や「極東」(こちらは最近聞かなくなりました)という言葉を聞いて、「なんでだろう」と疑問に思いました。ヨーロッパから見て、近いか遠いかだったのです。
しかし、「では、イスラーム世界に変わる言葉、概念は何か」と考えると、この本はそこまでは書いていません。
・・・地球環境と人類史的視点から「新しい世界史」を構想し叙述する方法の模索が始まる・・・と書かれているのですが、そこで止まっています。

歴史も地理も、それ自体は連続した事実に、何らかの視点から区切りを入れる作業です。視点によって、いくつもの区切り方があるでしょう。その一つは、住民の暮らし、生活文化です。その点では、イスラームは、有力な切り口だと思います。
これまでの歴史学は、政治権力によって区切ることが多かったです。日本史でも、奈良、平安、鎌倉、室町、安土桃山と。でも、この切り口では、日本列島人の暮らしの変化は見えません。私は、昭和後期・昭和末が、「戦後の終わり」「長い明治の終わり」「長い弥生時代の終わり」と説明しています。

佐伯啓思さんが見る戦後80年 「ごっこの世界」は終わらない

2025年7月12日   岡本全勝

6月27日の朝日新聞、「佐伯啓思さんが見る戦後80年 「ごっこの世界」は終わらない」から。断片的に紹介しますが、意味が取りにくいので、原文をお読みください。

・・・この8月15日で戦後80年を迎える。それにしても、いつまで「戦後○○年」といい続けるのだろうかとも思うが、理由は簡単で、いまだにあの大戦の意味づけが確定できないからであろう。
戦争の意味づけができなければ、戦後という時代を見る確かな尺度も存在しない。戦争の意味づけとは、いいかえれば歴史観であるが、それなりの歴史観がなければ、「戦後」の歴史解釈もまた不確定なままであろう。
にもかかわらず、戦後の日本は、冷戦下での米国への追従によって、世界史の中でもまれに見る平和と経済発展を遂げた。戦後の最大の課題である、生存の確保と生活の安定、つまり平和の維持、およびその延長上にある経済的な豊かさはほぼ達成した。そのためには「過労死」などという言葉が英語になるほど、日本人はよく働いた。自民党政権が言い続けてきた「平和と繁栄」はおおよそ実現したといってよい。
だがそれで何かをなしとげたという自信や確信があるかといえば、どうも心もとない・・・

・・・少し象徴的にいえば、私は、ある意味で、1970年に「戦後」はひとまずの区切りをもっていたと思う。現在、大阪・関西万博が開催中であるが、70年には、日本で初の万国博が大阪で開催された。それは日本の戦後復興の完成であり、高度成長の頂点であった。同時に、この時代は、思想的には左翼全盛期であり、左翼学生運動の最終幕であり、また、かねて、沖縄返還がなければ戦後は終わらない、と宣言していた佐藤栄作首相のもとで返還が実現した時代である・・・
・・・それを江藤は「ごっこの世界」と呼んだ。たとえば、左翼系の学生運動はせいぜい「革命ごっこ」であり、自民党の唱える自主防衛もまた「自主独立ごっこ」でしかない。三島由紀夫の「楯(たて)の会」も「軍隊ごっこ」である。
そこには、厳しい現実に直面した身を切るような経験がない。皆が「ごっこ」に参加させられている。そしてその理由は、防衛にせよ、経済にせよ、戦後日本の基本構造は、あくまで米国によって作り出され、また支えられてきたからである。

米国は、日米安保体制によって日本の安全を維持するとともに、日本を冷戦下で共産主義に対する前線基地とみなした。また、日本の経済復興を支えると同時に、日本を米国の重要な市場ともみなした。つまり、戦後日本の「平和と繁栄」は米国の支えなしにはあり得ず、それはまた、日本が米国の国際的な戦略に編入されることを意味していた。
端的にいえば、戦後日本の「平和と繁栄」は、米国の「力」への追従と無関係ではない。その意味では、もっぱら「平和」を唱えた左翼護憲派も、他方で「繁栄」を主張した自民党的保守派も同じことである。両者による戦後日本の対立軸も、結局、米国の軍事力と世界戦略のもとでの「対立ごっこ」であった。
こういう世界では、本当の政治的課題は存在しない。なぜなら、真に重要な政治課題とは、自らの意思と手で「日本という国家」を造形するものであり、それこそが「公的なもの」だからである。しかし、「ごっこの世界」には真の「公的なもの」は存在しない。
江藤のいい方を借りれば、公的なものとは、自分たちの共通の価値の自覚にあり、それは、自らの生を共同体の運命として引き受けることである。だから「公的なもの」の方向指示器を米国に委ねれば、日本の政治から「公的なもの」という感覚が失われるのも当然であろう。その結果、日本の政治にあっては、もろもろの「わたくしごと」が政治空間を占拠した。

これが70年に江藤が述べたことである。ところで、彼は、論考の後半で、戦後日本の「ごっこの世界」はいまや終わりつつあるという。「ごっこの世界」とは、リアルな現実に直面しない一種の楽園であるが、この楽園の出し物はもう終わりを迎えつつある・・・

白亜紀の海、イカだらけ

2025年7月11日   岡本全勝

7月7日の朝日新聞夕刊が「白亜紀の海、イカだらけ」を伝えていました。
・・・恐竜がいた白亜紀時代、海の中はイカだらけだった――。こんな研究成果を、北海道大学などの研究チームが科学誌サイエンスに発表した。アンモナイトのように硬くて残りやすい殻を持たず、これまで見つけることが難しかったイカの化石を、特殊な装置を開発することで、約1億年前の岩石の中から大量に発見することに成功した。

イカはアンモナイトが恐竜とともに約6600万年前に絶滅した後、殻を持たずに泳ぐ能力を向上させ、多様に進化したと考えられてきた。
北海道大学の池上森(しん)研究員や伊庭靖弘准教授らは、イカの化石も岩石の中に隠れて残っていると考えた。注目したのが、イカのあごにあたるくちばしだ。「からすとんび」とも呼ばれる。
ただ、イカのくちばしは、もろくて壊れやすく、岩石に化石が含まれていたとしても、取り出すのが難しい。チームは北海道の各地で見つかった約1億~7千万年前の海でできたこぶし大の岩石35個を、全自動装置で少しずつ削りながら写真をたくさん撮影。それを積み重ねてフルカラーの3次元画像データを作り、データを分析した。

調査の結果、長さが平均3・87ミリのイカの下あごのくちばしが263個見つかった。形などの特徴からイカの新種39種を含む40種に分類できることがわかった。大きさは現在のイカとだいたい同じで、15~20センチと推定された。
岩石からは、特徴が異なるアンモナイトやタコが持つくちばしの化石も見つかったが、イカのくちばしが最も多く、アンモナイトが絶滅する前から、イカが栄えていたことがわかった。伊庭さんは「白亜紀の海は、従来の定説に反してイカだらけだったことが明らかになりました」と話している・・・

ナメクジなども化石が残らないでしょうから、いつ頃からどのくらいいたのかは、よくわからないのでしょうね。

戦争の証言と戦争の実像

2025年7月9日   岡本全勝

6月27日の読売新聞夕刊、井上寿一・学習院大学教授の「昭和史の「なぜ」考えて学んで」から。詳しくは記事をお読みください。

「記憶が風化 戦争抑止力が弱くならないか × 悲惨な記憶継承だけで戦争回避 楽観にすぎる」
戦前・戦中の日本政治外交史を研究する政治学者、井上寿一さん(68)は「昭和を知ると〈いま〉がわかる」と語る。その昭和の戦争体験を語る生存者が少なくなっている。戦争への道に進んだ歴史からどう学んだらよいのだろうか。

――記憶が風化し、戦争への抑止力が弱くならないか、心配です。
井上 悲惨な戦争の記憶を継承しさえすれば戦争を回避できるかといえば、それは楽観にすぎます。
歴史上初めての総力戦となった第1次大戦を終え、ヨーロッパの人びとは「二度と戦争は嫌だ」と思った。それなのに、戦争の記憶が生々しかった20年後、もう一回大戦争をやったじゃないですか。

――確かにそうですね。
井上 第2次大戦の直接のきっかけは、ナチス・ドイツのポーランド侵攻(1939年)です。あの時、「戦争はいけない」「ヒトラーに降伏しよう」と侵略されたポーランドの人々に言えたでしょうか。それでは侵略に加担することになります。
戦争の全体像は多面的で複雑です。照明の当て方によって、戦争像は異なります。戦争は被害の過酷さだけでは語りきれません。

――確かに日本人の戦死者は44年以降の戦争後期に集中し、45年3月の東京大空襲からは民間人の犠牲者が急増する。敗色が濃くなっても「一撃講和」にこだわったことが一因とされています。
井上 どこかで一度、戦果を上げ、有利な条件で終戦交渉に臨もうとする考えが「一撃講和」論です。ところが「一撃」の機会は訪れず、その結果、全国各地に空襲が広がり、沖縄戦では民間人も多く犠牲になり、8月には広島・長崎に原爆が投下されました。

――一撃のために戦場に散った特攻隊員も数多い。そして、終戦の遅れはソ連軍の侵攻も招き、大きな被害が出ました。
井上 いたずらに戦争を続けた原因の一つは、戦争目的が不明確だったことです。そもそも37年7月7日に起きた偶発的な軍事衝突は、4日後に現地で停戦協定が結ばれたのに、気が付いたら全面戦争に拡大していました。陸軍の仮想敵国はソ連、海軍の仮想敵国はアメリカなのに、なぜ中国と戦争するのか? その理由もあいまいで、戦争目的は変遷しました。
最初は「暴支膺懲(ぼうしようちょう)」。荒れ狂う支那(中国)を懲らしめるためでした。それが途中からは「東亜新秩序の建設」となり、米英との戦争が始まると「大東亜共栄圏の建設」「アジアの解放」と言い出す。

多い日本の使い捨てプラスチック

2025年7月8日   岡本全勝

6月26日の朝日新聞夕刊、アレックス・ゴドイ、チリ・デサロージョ大学サステイナビリティー研究センター所長の「お弁当にもトレカにも、日本の使い捨てプラ」から。

・・・南米チリの環境専門家で、プラスチック汚染や気候変動などの会議に出席してきたアレックス・ゴドイさんが今年2月、家族で日本を初めて訪れ、休暇を満喫しました。ただ、驚いたのは、日常生活であまりにも多くの使い捨てプラスチックが使われていること・・・

・・・チリや欧米と比べて、日々の生活の至る所で使い捨てプラスチックが使われていることに大きなショックを受けました。
旅行中、電車内で食べるためにマグロ丼のお弁当を駅のそばで買いました。本物の木箱のように見えるすばらしい容器に入っていましたが、幾層にもわたる使い捨てプラスチックを組み合わせた容器でした。保冷剤に、おしぼり、割り箸の袋、小分けのしょうゆなど、他にも使い捨てプラスチックが多く使われていました。

それだけではありません。
スーパーマーケットでは、バナナやリンゴなどの果物が、個別にプラスチックトレーに載せられた上でさらにラップでくるんで包装され、コンビニではクッキー1枚、おにぎり1個の単位で個別にプラスチック包装されて販売されています。特に、しょうゆやマヨネーズ、サラダドレッシングなどがとっても小さなプラスチックの袋に入れられていて、毎食ごとに多用されています。
アニメグッズのお店に行くと、キーホルダーやトレカのような小さなモノまでプラスチックで幾重にも包装され、それらは、小袋にいれられ、店名やブランドが書いてあるショッピングバッグに入れられて手渡されます。
見せ方と衛生管理という意味でとても感心しつつも、使い捨てプラスチックの使用量があまりにも多すぎると思いました。日本のすばらしい企画力を、よりサステイナブルな代替策に振り向けてはどうでしょうか・・・

・・・日本は特異な立場にあります。
1人あたり年間30キロ以上を使い、国内で年間900万トン以上を生産する、世界有数のプラスチック消費国です。
この数値は、単に工業力を反映した結果ではありません。すでに述べたように、日本の「包装文化」に深く根付いた消費行動を反映しています。日本において、包装は単なる付属物ではなく、製品体験の不可欠な一部であり、洗練された美的感覚から厳格な衛生基準に至るまで、効率・尊重・視覚的調和という文化的価値を体現しています。この文化は、コンビニエンスストアの普及、丁寧に包まれた贈答品、個包装製品の構造的な好みによってさらに強化されている。私はそう、滞在中に確信しました・・・