「社会の見方」カテゴリーアーカイブ

人手不足で、好循環になるか

5月22日の朝日新聞に「人手不足で「好循環」? 物価上昇へ日銀強気、生活には「不便増す」」が載っていました。

・・・人手不足の度合いが強まっている。企業は働き手を確保するために賃上げし、原資として商品やサービス価格の引き上げに動いている。日本銀行は、この流れが進めば賃金と物価がともに上がる「好循環」につながるとみるが、現場からは悲鳴も上がる。人手不足は何をもたらすのか・・・
・・・物価高と人手不足が進む中、賃上げの流れが続いている。労働組合の中央組織・連合によると、春闘の平均賃上げ率は2年連続で5%を超えた。課題である地方や中小企業への波及についても、日銀は4月時点で「幅広い業種・規模で、人材確保の観点から高水準の賃上げが期待できる情勢にある」とした。

上げの広がりが商品・サービスへの価格転嫁(値上げ)につながり、それがまた次の賃上げに――。物価上昇率2%を目指す日銀は、こんな「好循環」を思い描く・・・
・・・日銀が「強気」に出る一因が人手不足だ。人口が減り続ける日本で、構造的な人手不足が一変するとは考えにくい。それが賃上げと物価上昇を下支えするとの見方だ。今月1日に公表したリポートでは、トランプ関税でいったん景気は減速するとした。その上で「人手不足感が強まるもとで名目賃金は再度伸び率を高め、個人消費は緩やかに増加していく」と見通した。

一方で、人手不足は様々な現場に重くのしかかる。
大阪市の三和建設は昨年末、首都圏で物流倉庫を建てる注文を断った。現場監督や設計士らが足りないからだ。森本尚孝(ひさのり)社長は「供給が限られる中で、(単価の高い)勝ち筋の受注を選んでいる」と話す。
ホテル業界では、訪日外国人客が増える一方で、人手不足で客室を全て稼働できない例も出ている。東京や大阪などのホテルに投資する不動産ファンドの幹部は「コロナ禍以降、稼働率を1割落とし、客室の単価を上げることが当たり前になった」と語る・・・
・・・ニッセイ基礎研究所の上野剛志氏は、人手不足でホテルやタクシーの供給が減って予約が取りにくくなるなど、「生活の不便さが増している」と指摘する。賃金が物価を上回るには、「企業が生産性を向上させ、高い賃上げを実現することが重要だ」と話す。

ある日銀関係者は、人手不足を契機にした賃金上昇について、経済を成長軌道に乗せる「起点になる」と位置づける。
日銀の内田真一副総裁は3月の講演で「現状程度の(低い)成長率で激しい人手不足が起こり、物価や賃金が上がってきているということは、わが国の経済の実力がそれよりも低いことを意味する」と分析。成長率を高めるために企業が事業規模の集約などを進め、経済の実力そのものを高める必要があるとの考えを示した・・・

財務省前デモ

5月20日の朝日新聞オピニオン欄「財務省デモの渦で」、伊藤昌亮・成蹊大学教授の「減税叫ぶ、今苦しい人見て」から。

・・・財務省前で起きているものは、近年の日本でほぼ例のなかった「経済デモ」です。参加者は貧困層というより、自営業者や中小企業従業員など、普通に仕事をしながら生活不安を抱える人々で、支持政党はバラバラ。既存の政治デモの文脈では捉えきれない、苦境にある中間層の不満のマグマが噴出した運動として、重視する必要があります。

彼らの主な訴えは減税。再分配の縮小や歳出削減、構造改革を求めるネオリベラリズム(新自由主義)的主張に見えますが、片や積極財政も強く訴えています。「外国人に税金を使うな」という福祉排外主義の主張も。これはむしろ「大きな政府」型イデオロギーです。つまり社会保障を充実して「自分たちを守って」と望んでいるわけで、「自力で稼いで生きろ」という自己責任社会を支持するネオリベとは正反対です。このことは、堀江貴文氏や西村博之氏がデモを批判している点からも明らかです・・・

・・・デモでは、自国通貨建て政府債務の不履行は生じないと説くMMT(現代貨幣理論)も叫ばれています。反論は可能ですが、今現在が苦しい人にとって、将来の財政破綻の可能性を諭されても響かないでしょう。
「財務省解体」というスローガンに対しても、批判する側は「実は財務省に権力などない」とか「解体しても歳出入をつかさどる別の機関ができるだけ」などと論証しようとします。でもそんなことは、デモ参加者のリアリティーにとって何の関係もない。彼らだって、本気で財務省が消えればよいと思っているわけじゃない。「財務省」はあくまでシンボル。メディアも含めてキャッチフレーズに過剰反応しすぎです。
デモでの主張には荒唐無稽な陰謀論や矛盾が含まれています。でもシンボリックな言葉だけ見て「アホらしい主張」「トンデモ」と頭ごなしに切り捨ててしまっては、この現象の背後にあるものを見誤ることになります。問題は、私たち社会の側が彼らのリアリティーにどう対峙するかです。表面的な減税論合戦に終わらず、訴えの根底にあるものをすくい取れるかどうか……・・・

より良い死を

5月18日の読売新聞「あすへの考」は、猪熊律子・編集委員の「多死社会 「最期の質」高めたい」でした。いずれ誰もが直面する問題です。詳しくは記事をお読みください。

・・・高齢化の進展で2040年の年間死亡者数は160万人超と、かつて経験したことのない多死社会の到来が見込まれている。たとえ意識を失っても、判断・認知能力が衰えても、尊厳ある最期、苦痛のない最期を迎える準備を私たちはできているのだろうか。より良い死への過程を意味するQOD(Quality of Death/Dying、直訳は死の質)を高める医療のあり方を考える・・・

・・・こんなはずではなかった――。 その代表例が、人工呼吸器装着の選択を急に迫られ、つけた後も回復が見込めないケースだろう。
つけても望んだ治療効果が得られなければ、患者は管や、管を抜かないための抑制帯などにつながれ、苦しい思いをする。一方、一度つけたら外せないからと人工呼吸器をつけなければ、救命の可能性を奪う危険性がある。「つける・つけない」の二者択一に患者、家族も医療者も悩む中、今、注目されているのがTLT(Time‐Limited Trial)と呼ばれる期限付きの治療の方法だ。
まずは治療を始め、患者が望む状態まで回復することが困難だと明らかになった段階で治療を終了し、緩和ケアに移行する。米国で普及しており、日本でも実践する病院が現れ始めた。東京ベイ・浦安市川医療センター(千葉県浦安市)はその代表格だ。
気管切開や人工栄養で不本意な最期を遂げた患者らがいた教訓から、患者の意思決定を最優先に据え、延命治療をやめることができるマニュアルを16年に作成した。参考にしたのが、厚生労働省が07年に出した指針だ。医師が人工呼吸器を外し、患者が亡くなった事件が起きたのを機に、終末期医療への考え方を国が示した。積極的安楽死は対象外とした上で延命治療の終了も事実上認めた。ただし指針は法律ではないため、医師が殺人罪などで訴えられる可能性が少しでもある限り、治療の終了に慎重な医療機関も少なくない・・・

・・・QODの観点からTLTとともに注目されるのが「緩和ケア」だ。
帝京大医学部の伊藤香准教授は約20年前、米国で救急・集中治療に携わった際、ICU(集中治療室)に緩和ケア医が現れて驚いた経験を持つ。早い段階からの緩和ケアの介入は患者の望みをかなえやすくし、QODを高めることにもつながる。反対に、死と常に隣り合わせの救急・集中治療現場で鎮痛、鎮静など症状緩和の医療がなければ患者は苦痛の中に放り出され、治療の終了も難しくなる。
「日本で緩和ケアというと、がん末期の患者さん対象のイメージが強いが、本来、緩和ケアはどの患者も選択できるべきだ。高齢化が進み、必ずしも積極的な治療を望む人ばかりでない日本の現状を思うと、緩和ケアも含めた治療の提案が重要性を増す」と伊藤さんは言う。日本救急医学会などは終末期医療の新しい指針の公表を夏に予定する。指針の策定委員長も務める伊藤さんは「緩和ケアやTLTの有用性を盛り込む方向で検討が進んでいる」と語る・・・

・・・では、個々のQODを高めるためにはどんなことが必要か。
緩和ケアは診療科横断的に捉え、診療報酬を柔軟に見直すとともに、対応できる人材を育てていくことが必要だ。患者に寄り添う医療の実現や、病院でなく在宅で亡くなる人も増える中、困った時に気軽に相談できる地域の医療体制の構築が欠かせない。
一方、患者の側も「お任せ医療」から脱却し、死の過程を学び、自らの希望を周囲と共有する努力が求められる。日本尊厳死協会が運営するウェブサイト「小さな灯台プロジェクト」には、遺族から寄せられた会員の最期の様子が掲載されている。長く門外不出だったが「一足先に医療の厳しい選択を迫られた人たちの体験談は、これから逝く人にとって『灯台』の役割を果たせるはず」と21年から公開した。人工呼吸器に関する解説サイトもあり、参考になる・・・

目に見えない宗教、静かに浸透

5月14日の朝日新聞夕刊「いま「宗教」は」「「目に見えない宗教」、静かに浸透 東大教授・堀江宗正さんに聞く」から。
・・・多くの人が「無宗教」を自認し、宗教を社会の周縁に置いてきた――。それが日本社会の姿だと東京大学教授の堀江宗正さん(宗教学)は指摘する。一方で、オウム真理教による一連の事件以後、既存の宗教は存在感を低下させ、代わって「目に見えない宗教」が静かに社会に浸透しているという。話を聞いた・・・

・・・そもそも「宗教」は、西洋のreligionを訳す形で明治期に使われるようになった新しい概念です。普通の日本人には馴染(なじ)みがありません。そのため、生活に密着している「神道行事/葬式仏教/民間信仰」は、教団をもった「宗教」から区別されるのが普通です。宗教学的には、神・仏・霊などを前提とするので「宗教」とされます。しかし、多くの人は、初詣や冠婚葬祭に関わっていても、自分たちは「無宗教」だと考えます。
一方、明治憲法は「安寧秩序を妨げ」ない限りで信教の自由を認めました。現行の宗教法人法は、教義・儀式・信者が明確な団体を宗教法人とします。今日では、多くの人が「宗教」と言えば教団宗教であり、安寧や秩序を妨げる危険なものだとイメージします・・・それに対して、先にあげた「非宗教」(宗教とされないけれど宗教学的には「無宗教」ではないもの)は、大事なものとして実践されています。

オウム以降は、教団宗教と無関係に、心霊、癒やし、パワースポット、占い、瞑想、魔術への関心を持つ人が増えてゆきます。宗教学者は、これらの動向をスピリチュアリティ(霊性)と総称しました。教団に着目するだけでは見落としてしまう「見えない宗教」でした。その多くは、民間信仰だけでなく神道や仏教の一部の実践とつながっています。
2000年代には、スピリチュアル・カウンセラーと称する江原啓之氏のテレビ番組が人気を博します。オーラや前世や守護霊などを信じる「スピリチュアル・ブーム」も起きました。
その背景には、孤立や個人化が進展し、「イエ」への帰属意識が希薄になるという変化があります。それは教団を嫌い、家族と距離を取ることとつながります。この時期には先祖供養を重視する教団の信者が減少します。それに対して、自分の苦しみの原因はイエの「先祖」より個人の「前世」にあるという輪廻(りんね)観がスピリチュアリティでは目立ちます・・・

・・・いつの時代にも、人は信じる拠(よ)り所を欲しがります。日本近代史は「信じたのに裏切られた」ことの連続かもしれません。信じる心と疑う心が同居するような心のあり方を、私たちは学ばなければならないのかもしれません・・・

福井ひとし氏の公文書徘徊3

『アジア時報』6月号に、福井ひとし氏の「連載 一片の冰心、玉壺にありや?―公文書界隈を徘徊する」の第3回「官僚たちの「メルヘン」」が載りました。ウェッブで読むことができます。
今回は、城山三郎著『官僚たちの夏』(1975年、新潮社)の主人公、風越信吾のモデルとされる、佐橋滋・通産事務次官を、残された公文書からたどってみるという企画です。私もこの小説を読んで、官僚に憧れました。

へえと思うことが、いくつも書かれています。経済産業省が、旧会計検査院の建物に間借りしていた、経産省の場所には防衛庁があった。閣議に、課長が出席したことがあるらしい。通産省の決裁文書は、はんこや署名が下から上へ職位が上がっていくのではなく、上から下へ下がっていったこと。

佐橋さんの名前を高めた、小説にも取り上げられた(と記憶しています)、特定産業振興臨時措置法(特振法)の決裁文書も残っています。ところが、閣議決定文書の法案に紙が貼られて、修正されているのです。その経緯を、この記事では推測しています。ちなみに、この法案は成立せず、風越(佐橋)さんは「破れた」のです。小説は通産官僚の活躍ぶりを書いているのですが、結論は負けでした。
興味ある方は、お読みください。「福井ひとし氏の公文書徘徊2