カテゴリーアーカイブ:社会の見方

現在日本の保守、終わった進歩幻想

2022年8月12日   岡本全勝

7月28日の日経新聞「シン・保守の時代・下」、吉田徹・同志社大学教授の「終わり迎えた進歩幻想」から。

先進国では1970年代から階級意識が薄れていき、政治の対立軸が富の分配から個人の生き方に関する意識の相違へと変化した。90年代にはそれまでの左派がリベラルと称するようになり、自己決定権の重視が掲げられるようになった。
一方、今の日本で「保守」と呼ばれる人たちが守ろうとしているのは「失われた平和な20世紀」だと私は考える。
20世紀後半は人類史の中でも特殊な時代だった。第2次世界大戦後、国境が引き直され、先進国では豊かな中間層が多数派になった。しかし、石油危機を経てリーマン・ショックがとどめとなり、豊かな時代は幕を下ろす。少子高齢化に転じ、国境を越えた人の移動で同質的な社会も失われた。先進国の多くで「子供世代は自分たちほど豊かにならないだろう」という意見が多数派になった。進歩幻想が終わりを迎えたのだ。だからトランプ政治は喪失された「偉大なアメリカ」に訴えかけたのだった。
没落と喪失の恐怖は現代日本の保守的な態度にもつながっているように思う。五輪や万博、令和版所得倍増計画。ノスタルジーを持ち出して未来を投射しようとしている。「保守すべきものがない保守」といえよう。
幻想にとらわれているのは、日本国憲法が前提とした世界が崩壊しているにもかかわらず、護憲に固執する古いリベラルの側も同じだ。保守、リベラルともに内実が失われているからこそ、有権者は政治と生活が結びついていないように感じるのだろう。現状が変わらなければ、将来には悲観的にならざるを得ない。

半面、若年層の間で強まっているのは現状の権威を認め、従うことを良しとする権威主義化の傾向だ。松谷が「右傾化なき保守化」と呼ぶこの現象は、若者の反権威主義化が進む他の先進諸国の例とは対照的だ。
背景にあるのはメンバーシップ型の労働市場の存在だろう。日本では正社員と非正規社員の間に大きな溝があり、失敗すれば再チャレンジは認められない。安倍政権が支持されたのも就職率が良かったからだ。競争社会を生き抜くために強い立場の人間に従うことは、彼らにとって合理的な生存戦略ともいえる。

日本の若年層はデモやストライキといった政治参加の経験割合が低い。要因の一つは自己肯定感の低さにある。ゆえに、日本は先進国の中でも20代の自殺率が高い。自己肯定感が低いと、大多数の意見や共同体のあり方を否定しきれない。失敗や試行錯誤を許してこなかったツケともいえる。

日本社会は勝ち負けを判断する尺度の種類が少ない。人生にはいろいろな尺度があってしかるべきで、それが多様性の本来の意味だったはずだ。社会のモデルを再考し、自分が受けた恩恵を後世に再投資していく循環を作っていく必要がある。

宗教団体、居場所のない人の受け皿

2022年8月12日   岡本全勝

7月31日の朝日新聞「元首相銃撃 いま問われるもの」、島薗進・東大名誉教授へのインタビュー「旧統一教会 政治と依存し合う」から。

――政治と宗教の関係をどう捉えればいいのですか。
日本国憲法に定められた政教分離とは、国家と宗教が結びついた戦前の国家神道の反省に立ち、思想・信条、信教の自由を守るための制度であり、宗教の政治的機能を排除するものではない。例えば、政治に格差是正を求めたり、環境破壊の是正を求めたりする宗教団体もある。公共空間における宗教の役割を重視する、そういう政治への関与はポジティブに捉えてもいいと考える。
だが、多くの被害者を生む宗教団体に政治家がメッセージを送ること、さらには支援することが、宗教団体の維持や勢力拡大につながるのは由々しい問題だ。特定組織の利益、ひいては市民に被害を及ぼす団体の利益のために政治が使われることになる。

――問題がある宗教団体に人々はなぜ入るのですか。
フランスはカトリック教会、北欧はルーテル教会、英国は国教会など伝統的な主流宗教が確固とした勢力を持つが、日本にはそれがなく新宗教が大きな勢力を持つ。
日本では、70年代くらいから「孤立しやすい個人」という傾向が強まり、若者が生きていく意味の空虚さに悩まされた。こうした「よるべない個人」が布教の格好の標的になった。
そのころから、社会との接点が薄くなりがちな、こうした人たちを対象に、勢力をのばす宗教団体が増えた。旧統一教会やオウム真理教がその代表だ。
現代社会でも、私利の追求を肯定する資本主義的競争を、社会全面に及ぼす新自由主義が広がっている。強い者勝ちの肯定、能力主義一辺倒と受け止められる。その結果、いつしか個人が孤立し、社会との接点を持てずに居場所がないと感じがちな社会になった。そこをある種の宗教団体につけ込まれると、一遍に深入りするという構造がある。

学者やマスコミの責任もあると思う。旧統一教会が多くの被害者を生み出してきたことを十分に啓蒙し、報道してきたか。政治的に強い側を味方につけている団体については、害悪があっても伝えにくいと社会から見られても仕方がない。

大谷翔平選手、104年ぶりの快挙

2022年8月10日   岡本全勝

アメリカ大リーグ野球で、大谷翔平選手が、投手として2桁勝利、打者として2桁本塁打を達成しました。ベーブ・ルース以来、104年ぶりのことだそうです。すごいです。うれしいことです。

8月6日の日経新聞、安田秀一さんの「日本人が持つ可能性 なぜ大谷が生まれたのか」に次のような文章があります。

「なぜ日本からiPhoneが生まれなかったのか?」日本の昨今の経済の低迷を語る上で、象徴的に語られる言葉です。縦割り社会、官僚的体質、顧客目線より上司目線、などなどその原因は様々ですが、いまだに解決できていないからこそ、なかなか経済は発達しません。
では、「なぜ日本から大谷翔平が生まれたのか?」という視点でモノゴトを見てみるのはどうでしょう?!
勤勉さや真面目さが取りえの日本人が、器の大きなリーダーのもとに正しく最新の情報に触れて、懸命な努力を続ける。弱みが強みに変わり、大谷選手のような存在が各界から次々と生まれるのではないか?!
常識にとらわれない。上下関係をつくらない。世界の最新情報を手に入れる。若者の真の意見を聞く。
政財界のリーダーの方々には、「大谷翔平を見ろ! 日本の大空にキラキラ輝いているじゃないか!」という言葉をささげたいと思います。

この文章の前には、次のようなことが書かれています。

前回のこのコラムで僕は、「後進的と思われる日本のスポーツの現場からその競技をリードするような若者が現れているのはなぜだろう」と問題提起しました。いろいろ考えてみましたが、こんな仮説を考えています。
「日本人の特性とされる勤勉さ、真面目さにその理由があるのでは?!」
礼儀正しく真摯に野球に取り組む大谷選手の人柄からは、日本人の特性や美意識を強く感じます。我々日本人は自己中心的な考え方や感情的なふるまいを好みません。新型コロナウイルスの感染対策でも、欧米では法律で規制しましたが、日本はマスク着用を「お願い」するだけで、みんなが従いました。僕は、これまで日本のスポーツが追いつけなかったフィジカルで肩を並べたとき、こうした日本人らしい真面目さが優位に働いてくるのでは?と考えています。

ただ、そうした特性は自己主張や個性を嫌う同調圧力にもつながり、社会の進化を妨げる側面があることも否定できません。このコラムで僕はその弊害を何度も指摘してきました。つまり、もろ刃の剣なのです。一つ間違えれば我々の弱点となるこの特徴を、有効な武器として働かせるにはどうしたらいいのか?!
僕は、一にも二にも「情報」だと思っています。情報が入りづらかった島国の日本ですが、今はインターネットやスマホでいつでもどこでも世界の最新情報が手に入れられます。あふれるほど情報化が進んだ現代ではありますが、大谷翔平選手や佐々木朗希投手、あるいはボクシングの井上尚弥選手ら今までの常識を覆すような選手たちが、キラキラ輝くスポーツ界の北極星になるはずです。つまり、世界で活躍するトップアスリートたちが、正しい情報を見定める絶対的な基準になっていくと思っています。

スポーツ界を見ていると、情報統制型のリーダーは成果を上げられない時代になったことがよく分かります。既存の価値観にとらわれず、みんなで常に新しい情報をアップデートし、みんなで共有して試行していく。帝京大学ラグビー部の岩出雅之前監督がその筆頭ですが、そんな器の大きなリーダーがスポーツ界では結果を出しています。

報道機関の「保身」?

2022年8月10日   岡本全勝

7月28日の朝日新聞論壇時評、林香里・東京大学大学院教授の「元首相銃撃事件 知られぬ事象、拾う報道こそ」から。

「安倍元首相 撃たれ死亡」
これは、7月9日の朝日、読売、毎日、産経、日経(以上東京版)の朝刊1面見出しだ。5紙とも、一字一句同じだった。
各紙はさらに翌週、宗教法人「世界平和統一家庭連合(旧統一教会)」が記者会見をし、容疑者の母親が会員だと認めた11日まで、揃って「特定の宗教団体」と呼び、その名を明示しなかった。事件後、「特定の宗教団体」で検索し、最初に教団名がヒットしたのは「現代ビジネス」や「Smart FLASH」など、出版系サイトだった。
画一化された見出しの付け方や、すでに周辺取材で明らかになっていたであろう団体名を報じない態度。ネット時代には、こうした態度こそ、陰謀論や誤情報を呼び込むことになりかねない。デジタル時代に期待される情報のスピードと、新聞社が培ってきた「紙の伝統」とがどんどん乖離してしまっていると感じる。重大事件では知り得た情報は確認状況も含めて随時出すことを原則とし、市民を信頼して判断を委ねるなど、発信のしかたを見直さないと乖離は埋まらないだろう。

こんな状況なら、私たちには新聞や地上波テレビは必要ない。大手メディアはもはや過去の遺物だ。そんな声も聞こえてきそうだ。が、それは間違いだろう。
新聞やテレビなど旧来型マスメディアには、まだまだ、私たちが何を考えるべきか、思考枠組みを提供する議題設定力がある。さらに、新聞やテレビという「老舗」が取り上げれば、その話題には社会的価値があるという権威付与の機能もある。知られぬ事象や届かない声を拾うことは、大手メディアにこそ求められるのだ。

事前分配で機会の平等重視

2022年8月8日   岡本全勝

7月27日の日経新聞経済教室「新しい資本主義の視点」、スティーブン・ヴォーゲル、カリフォルニア大学バークレー校教授の「事前分配で機会の平等重視」から。

・・・日本型資本主義を改革し成長と平等の両方の実現を目指すという首相の考えは正しい。だが問題はいかに実現するかだ。政府が不平等に根本から取り組むつもりなら、再分配よりも「事前分配」を優先すべきだ。
両者の違いを少し説明しよう。再分配は、市場での利益配分を所与のものとして受け入れたうえで、事後的に社会福祉支出や累進課税などの政策手段により不平等の緩和を図る。これに対し事前分配は、経済活動から利益を得る人にまず、公共投資や市場改革を通じて影響を与えようとする・・・
・・・事前分配政策と再分配政策は実行面では境界が曖昧になりがちだが、日本の評価では両者を区別することが望ましい。日本が戦後期の大半を通じて成長と平等の両方を実現できたのは、事前分配戦略が奏功した結果だと考えられるからだ。
日本は福祉国家戦略ではなく、企業慣行、労使関係、社会規範など事前分配に当たる要因を通じて、おおむね平等な所得分布を実現した。不平等拡大と低成長に直面している今こそ、日本は改めて事前分配という解決策を優先させるべきだ。
事前分配と再分配の区別は、機会の平等と結果の平等を巡る永遠の議論を巻き起こしている。事前分配が目指すのは機会の不平等をなくすことであり、不平等になってから埋め合わせることではない。人々の能力向上を図り、労働者と起業家に市場競争力を持たせるような事前分配であるべきだ。事前分配が目指すのは市場メカニズムを排除することではなく、市場をよりよく機能させることだ。
リバタリアン(自由至上主義者)は、政府は市場の自由な働きに介入すべきではないと反論するだろう。だが現実には自由市場などというものは存在しない。どんな市場も政府の規則や企業の商慣習、社会規範の中に根付いているうえ、現実の市場には雇用主対労働者、生産者対消費者などの力関係が反映されている。だから市場のルールの作成や修正と言っても、まっさらな市場になじみのない介入をするわけではない。
むしろ市場の適切な機能にはルールが不可欠だ。例えば労働者の賃金が労働の対価として少なすぎたり、消費者が高すぎる値段を払わされたりしていたら、不公正を正すために市場のルールを変えるべきだろう。
再分配に反対するわけではないが、最初に分配を正すことが大前提だ。機会の不平等を後で埋め合わせるよりも、まずは機会の不平等の排除を試みるべきだ。公平で平等な市場社会を十分に実現できなかった場合に、再分配で補えばよい。

成長と平等の両方を実現した戦後日本の成功は、事前分配の視点から再解釈できる。政府は経済成長とヒト・モノの移動を支える輸送・通信インフラに投資し、成長と平等の維持に欠かせない質の高い普通教育と医療を提供した。大企業はステークホルダー(利害関係者)型統治により、労働者と会社の一体化を図り、正社員には雇用保障と正当な福利厚生を提供した。
戦後期の日本のシステムはいくつか深刻な構造的不平等を抱えていた。大企業と中小企業、都会と地方、男性と女性の格差などだ。それでも日本は成長と平等の両方を実現できた。
日本が誇ってきた強みの一部は1990年代から損なわれてきた。教育制度は以前ほど平等ではなくなった。雇用制度は、非正規労働者の比率が高まり、より不安定で不平等になった。
事前分配の視点に立つと改革の優先課題を決定づける枠組みが見えてくる。事前分配政策で優先すべきは教育、職業訓練、研究開発などへの公共投資やスタートアップへの財政支援だ。幼児教育、出産休暇・父親の育児休暇・介護休暇などを含めた家族政策も優先すべきだ。これらの政策は子供への支援であるとともに親のスキル開発と就業支援でもある点で、事前分配と再分配の性格を併せ持つ・・・