カテゴリーアーカイブ:社会の見方

アメリカ人も気兼ねして発言しない

2022年8月23日   岡本全勝

8月12日の日経新聞夕刊、美術史家・秋田麻早子さんの随筆、「すべては繫がっている」から。

・・・アメリカでの大学時代、私は美術史と美術実技の二重専攻で、油絵や版画などの作品を制作する授業をかなり取っていた。実技の授業では、先生が作品について講評する。それに加えて、生徒同士で互いの作品について批評しあう時間も設けられていた。
それまで私はこう思っていた。アメリカ人は自己主張に慣れているので、こういった場面でもはっきり自分の意見を言うのだろう、と・・・

・・・ところが、実技のクラスでのクラスメートの態度は、私の予想を裏切るものだった。油絵のクラスでのことだ。誰に意見を求めても「すごくいいと思う」「好きだな」「色とかすてきだと思う」といった誰でもとっさに思いつく内容を、小声でおずおずと述べるだけ。そしてすぐに全員が押し黙り、教室がシーンとなった。先生もあきれ顔。
私は驚いた。アメリカ人もそうなのか、と。そして安心もした。

確かに、軽く褒めるといった程度のことなら、アメリカ人の学生は日本人よりずっと簡単にやってのけるところはある。また、どうでもいいと思われそうな事を恥ずかしがらずに聞くのも上手だ・・・
・・・しかし、他人の作品についてかなり突っ込んだレベルでどうこう言わなければならない局面になると、途端に気を使い始めるのだ。余計なことを言って空気を悪くしたくない、という磁場が形成されていくのを感じた・・・

旧統一教会、社会との関係

2022年8月22日   岡本全勝

8月10日の朝日新聞オピニオン欄「旧統一教会、社会との関係」、紀藤正樹・弁護士の発言から。

旧統一教会は、1980年代から90年代に大きな社会問題になりました。当時と比べて、教団の活動自体にあまり変化はない。大きく変わったのは社会の視線です。
90年代には、70~80年代に勃興した新興宗教が統一教会以外にも多くあり、社会がカルトを見る目も厳しかった。特に95年のオウム真理教事件の後は、カルト問題の報道が非常に多くなされました。
ところが、2000年代半ば以降、新興宗教についての報道が明らかに減ります。オウム真理教事件が風化し、社会の視線も厳しさを失った。カルトへの厳しい視線や社会的規制が続いていれば、政治家も安易に統一教会とは関われなかったはずです。

法的な規制の問題もあります。1987年、統一教会と関係があり、高額なつぼなどを販売する会社の霊感商法に被害者から提訴が相次ぎ、警察も摘発に動きますが、会社が霊感商法の自粛を宣言してうやむやになってしまった。
2000年代後半には、警察が摘発に乗り出し、09年に統一教会系の企業「新世」の社長らが逮捕され、有罪判決を受けました。しかし、教団本部への家宅捜索までは行かず、統一教会が「コンプライアンス宣言」を出すというあいまいな決着になりました。

メディアの変質もあると思います。7月8日に安倍晋三元首相が殺害された後、容疑者と旧統一教会の関わりについて、新聞やテレビは教団側が記者会見した11日まで報道しませんでした。いくら選挙期間中だといっても、全社横並びで旧統一教会の名前を伏せていたのは異様です。
法的な規制は信教の自由に抵触するといわれますが、カルトすなわち反社会的な宗教団体と、一般の宗教団体を一緒に考えるべきではありません。欧米では、カルトがカルトであるゆえんは、違法行為をすることだと見なされています。脱税、詐欺、脅迫、性加害や児童虐待もある。既存の法律を厳格に適用し、違法行為を摘発していけば、おのずとカルトはなくなっていくはずです。

95年にオウム真理教事件があり、今度は元首相の殺害事件が起きた。30年間にカルトに関わる大事件が二つも起きる異常な事態を招いたのは、国会や政府がオウム真理教事件の総括をきちんとしなかったことが一因だと思います。今からでも遅くないので、カルト問題全般について、原発事故調査委員会のようなものを国会内に設置し、対策を考えるべきです。

死別の悲しみにどう向き合うか

2022年8月20日   岡本全勝

8月4日の朝日新聞生活面連載「喪の旅」、坂口幸弘・悲嘆と死別の研究センター長へのインタビュー「消えない悲しみと向き合いながら」から。

――どうしたら心残りや罪悪感を少なくできますか。
多くの遺族は故人が亡くなる前のことを何度も思い返します。その時、自分の言動や判断を否定的に評価すると、しなかったことやしてしまったことへの罪の意識になる。一方で、これはよかったと肯定的に思えることがあると気持ちが少し楽になります。

つらい闘病生活だったけど最期は苦しまなかった。スタッフがよくしてくれた。家に連れて帰ることができた。好きな物を食べさせられた。自分たちでできる限りお世話した……。そういう肯定的評価ができると、心の救いになります。つまり、亡くなるまでの過程が重要であり、その意味で、グリーフケアは亡くなる前から始まっているとも言えます。病死の場合に限った話ではなく、つらい体験の中での何かしらの「せめてもの救い」が重要だと思います。

死別後に「もっとお世話できたはずだ」と思う人も多い。それを周りが「よくがんばったね」とねぎらうことで、過去への肯定的評価を促すことが大切なんです。

働かないおじさん?

2022年8月19日   岡本全勝

8月4日の朝日新聞オピニオン欄「50代、働いてない?」。
出世競争から降りた50代の勤め人が、とかく生きにくい世になった。「働かないおじさん」「会社の妖精さん」なんて言葉もある。ずっと懸命に働いてきたのに、どうしてこうなるの?

河合薫・健康社会学者の発言から。
「働かないおじさん」などと言われて50代で落とし穴にはまってしまう人がいるのは、日本社会のかたちが、いまだに昭和の高度成長期のままで動いているからです。
年齢人口構造では日本はすでにピラミッド型ではなく、働く人の6割が40代以上になっています。しかし、この世代の入社時と会社の仕組みはほとんど変わっていません。新卒一括採用、年功序列が続き、年々減らされる管理職の席をめぐって、同期で椅子取りゲームをさせられてきた。
高度成長期、定年は55歳でしたが、その頃の男性の平均寿命は60代でした。定年後は悠々自適の余生というイメージをいまだ引きずりながら、若い人たちにのけ者にされているのが今の50代です。

実は、50代でやる気を失っている人は周りが思うほど多くはありません。この世代を含め、900人以上にインタビューをしてきましたが、まだやるべきことがあると言う人がほとんど。競争心も衰えていない。労働政策研究・研修機構の調査では、50代後半の2割が昇進欲求を持っているという結果が出ています。
それなのに、会社からはセカンドキャリアを見つけろとプレッシャーをかけられる。でも、ずっと会社の肩書で生きてきたので、今更どうしたらいいのか分からない。プランBが無い状態です。リストラ候補にならないためには、群集の中で息を潜めているのが最善策になってしまう。目立たず、害にもならないようにしようという心理が働いてしまうのです。「会社にしがみついている」などと言われていても、当事者には葛藤がある状況でしょう。

とても大きな量を表す言葉

2022年8月18日   岡本全勝

8月5日の朝日新聞科学面に「10の30乗、ルーキー「クエタ」」という記事が載っていました。

・・・スマートフォンのデータ通信量の話題で、よく耳にする「ギガ」。数の桁を表す約束事「SI(国際単位系)接頭語」の一つだ。今年11月、ギガよりはるかに大きい「クエタ」など四つが、新たに加わる見込みとなった。「新規加入」は31年ぶり。「ルーキー」に期待される役割は?

「SI接頭語」は、十進数の桁数(主に3桁ごと)に名前を定めたものだ。「メートル」や「ヘルツ」といった単位の前に使うことで、とても大きな量やごく小さな量を簡潔に表すことができる。
例えば、「1000000000ヘルツ」と書かれていても、一瞬では読みにくい。でも、接頭語を使えば、10の9乗は「ギガ」なので、「1ギガヘルツ」とすっきり表せる。
いま接頭語で表せる最も大きな桁は10の24乗の「ヨタ」、小さな桁は10のマイナス24乗の「ヨクト」だ。そこに10の30乗を表す「クエタ」と27乗を表す「ロナ」、10のマイナス27乗を表す「ロント」とマイナス30乗を表す「クエクト」が加わる見込みとなった。

計60桁を接頭語がカバーするようになる意義を、長さの単位「メートル」で考えてみよう。地球から観測できる宇宙の果てまでの距離(約138億光年)は、10の26乗メートルのスケールで、「約0・1ロナメートル」と言いかえられる。
「プランク長(ちょう)」と呼ばれる現代の物理学で扱える最小の長さは、10のマイナス35乗メートルのスケールで「約0・00001クエクトメートル」と言える。つまり、人類が現時点で認識しうる世界の全スケールを接頭語でスカッと簡潔に表せるようになるのだ・・・
記事には、表がついています。
キロ=10の3乗、メガ=10の6乗、ギガ=10の9乗、テラ=10の12乗、
ペタ=10の15乗、エクサ10の18乗、ゼタ=10の21乗、ヨタ=10の24乗、
ロナ=10の27乗、クエタ=10の30乗
この逆に小さな数字についても、センチ、ミリ、マイクロ、ナノ、ピコ・・・と続きます。

8月14日の日経新聞も取り上げていました。「10の30乗、新呼称は「クエタ」