カテゴリーアーカイブ:社会の見方

佐伯啓思先生「日本の方向を決めるのは」2

2024年1月14日   岡本全勝

「佐伯啓思先生「日本の方向を決めるのは」1」の続きです。

・・・さて、この「神」の代わりになるもの、それは、日本の場合、概して海の向こうからくる「高度な普遍文明」であった。時にふれ、また陰に陽に、日本は、海外の普遍文明を必要とした。古く言えば卑弥呼の時代、倭の五王の時代から推古天皇の遣隋使、さらには奈良、平安時代の遣唐使へと続く。かくて、中国という「海外の高度な文明」を取り入れた人々が日本の支配層をなし、中国の権威を背景に、日本社会の秩序と方向を与えてきたのである。
その際、日本という周辺国が高度な普遍文明に対抗するには、普遍文明に学びつつも、それを「日本化」する必要があった。だから、古代日本は、中国から多様な文物だけではなく、仏教や律令制度などを取り入れたが、決して中国皇帝に臣従したわけではない・・・

・・・明治時代とは、いうまでもなく日本近代化の時代であり、近代化の手本は西洋であった。中国に代わって、西洋こそが高度な普遍文明となってたち現れ、あらゆる分野で、日本は、実に勤勉に西洋を学び「日本化」することで近代へと船出した。日本にとって、「西洋」は価値の源泉となる。明治の天皇制国家とは、日本の「現人神」を西洋の「立憲君主」に見立てるといういささか無謀な構想によって成立したものであった。

では、天皇主権国家が解体した戦後はどうであろうか。日本という国家の基本的な秩序を与え、その方向を示したのは「アメリカ」であった。現人神である「天皇」に代わって民主主義の「アメリカ」が疑似主権者になった。「アメリカ」こそが高度な普遍文明の象徴であり、日本はもっぱらこの普遍文明に学び、それを「日本化」することで、日本のあるべき方向を決定できた。

それでは、今日、われわれは、何を価値の基準にしているのであろうか。冷戦以降、世界はいわゆるグローバリズムの時代となり、われわれは「グローバルな世界」をとりあえずの価値基準にした。「アメリカ」が「グローバルな世界」へと変形されたといってもよい。それこそが普遍文明であり、日本はその周辺国家なのである・・・
・・・しかし、「グローバルな世界文明」はいくらまつり上げられても、誰もそれを実感として捉えることはできない。確かに、今日、われわれは世界中の情報にさらされ、日々の生活品は世界中のサプライチェーンによってもたらされている。だが、われわれの日常の経験のもたらす実感は、決して「グローバルな世界文明」と直結したものではない。
端的にいえば、庶民大衆は「グローバルな世界」なるものを担ぎ上げてはいるものの、「天皇」や「民主主義」と同様、誰もそれを信じてはいないのである。おまけにその「グローバルな世界文明」は、いまやあちこちにほころびを見せ、機能不全に陥っている。

おそらく、日本の歴史上、これほど、国をまとめ、国の進むべき方向を指し示す価値基準が見えなくなった時代は稀であろう。
「海外の高度な普遍文明」を指標とし、それを学び「日本化」することで国の秩序と価値を維持してきた日本のやり方がほとんど意味を失ってしまった。大きく言えば、それこそが、今日の日本にあって、政治家は方向感覚を失い、官僚は影響力を失い、知識人やジャーナリズムは確かな言葉を失った理由であろう。
だが考えてみれば、それはまた日本の長い歴史を貫いてきた「海外の先進文明に追いつく」という不安な心理的前提からの解放をも意味しているだろう。「中国」も「西洋」も「アメリカ」も、そして「グローバルな世界」ももはや価値基準とはならないのである。「追いつくべき先」などどこにもない。そうであれば、今日こそ改めて、われわれはわれわれの手で、自前の日本の将来像を描くほかなかろう・・・

最後の段落は、なるほどと思います。課題は、これまで「輸入」をもっぱらとしてきた知識人や指導者たちが、そのような訓練を受けていないこと。誰が、どのような方法で、実現するかです。私も連載「公共を創る」で、これまでの問題と今後の課題までは書いているのですが、今後の筋道を書けていません。

佐伯啓思先生「日本の方向を決めるのは」1

2024年1月13日   岡本全勝

12月16日の朝日新聞オピニオン欄に、佐伯啓思先生の「日本の方向を決めるのは」が載っていました。内容の重い記事なので、原文を読んでいただくとして、私が気になった点を紹介します。

・・・山本七平(1921~91)といえば、イザヤ・ベンダサン名義で発表された「日本人とユダヤ人」や「『空気』の研究」などで知られた評論家である。戦時中の過酷な軍隊経験をもつ山本にとって、あの無謀な戦争に日本を駆り立てたものは何だったのか。その問いが評論活動の原点であった。
もっとも、戦争体験を自らの思想の基軸に据えたといえば、丸山真男らのいわゆる進歩派知識人の名前が思いうかぶ。彼らは、日本の戦争原因を、天皇制国家という日本社会の後進性に求め、それゆえ、欧米を手本とした民主的な市民社会の建設に戦後日本の希望を託した。これに対して、山本は、天皇主権を排して、戦後の民主的な社会になっても問題は何も解決しない、という。
この両者の違いをもたらしたものは何か。実は、山本にとって真の問題は、ただ戦争体験というだけではなく、戦前と戦後で果たして何かが変わったのか、という点にあった。端的にいえば、戦前には「天皇陛下万歳、鬼畜米英」を叫んでいた日本人が、1945年8月15日を境に「マッカーサー万歳、民主主義万歳」へと豹変したのはなぜか、ということである。

日本の庶民大衆は、戦前にあって、実は「天皇陛下万歳」も「鬼畜米英」も本心から信じていたわけではない。ただ、「天皇陛下」が絶対的存在としてまつり上げられ、それを批判することができなくなってしまった。
とすれば、戦後はどうか。今度は「民主主義」が絶対化された。そして戦後民主主義を批判することができなくなった。占領中には「マッカーサー」が絶対化された。
マッカーサーや戦後民主主義や個人の自由などをまとめれば「アメリカ」ということになろう。戦前は「天皇」があらゆる価値の源泉であったのに対して、戦後の価値基準は「アメリカ」に変わったわけである。しかし、その構造は何ひとつ変わらない。まつり上げるものは変わったが、人々は慣習や常識に従って日々の生活を繰り返しているだけである。
にもかかわらず、「天皇」や「民主主義」や「アメリカ」がひとたび絶対化されてしまうと、それを批判できないような「空気」ができてしまう。そして、そこにできあがる「空気」、つまりある種の情緒的な雰囲気が人々を支配するのである。
しかも面白いことに、ほとんどの者は、「天皇とは何か」「民主主義とは何か」「アメリカとは何か」など、まともに考えたこともないにもかかわらず、あたかも自明の真理ででもあるかのように、それを担ぎ出すのである。皆で「空気」を作り出し、その「空気」に従うのである。担ぎ出すものは、時代によって違い、状況によって変わる。しかし、何かを担ぎ出すことで社会はまとまる・・・
この項続く

松本順さんの地域交通再生

2024年1月12日   岡本全勝

12月19日の読売新聞、松本順・みちのりHDグループCEOの「バスもデジタル化 地域交通再生」から。詳しくは記事をお読みください。
松本さんには、内閣府時代、復興庁時代にお世話になりました。

・・・みちのりホールディングス(HD)は、東日本各地のバス会社などの経営再建を手がけてきた。地域公共交通の「再生請負人」、松本順グループCEO(最高経営責任者)に聞いた。

バス会社は自治体から受け取った補助金を特別利益に計上するのが一般的な会計処理でした。しかし、そうすると本業のもうけを示す営業利益は赤字で、特別利益に補助金が入ってやっと黒字という会社になり、金融機関や市場から信用されにくいのです。
考えてみれば、地域住民の足を維持するための補助金は、公共交通事業委託料ともみることができます。そこで再生を担当したバス会社では補助金を売上高に計上することとしました。
公共交通を維持して補助金をいただくことは恥ずかしいことではありません。事業の委託料として受領して、堂々と路線を維持していこうと。社員の意識改革にもつながりました。
機構はバス会社3社の再生支援をし、このうち九州と関東の2社の事業再生を主担当でやりました。機構のチームの仲間や大企業から火中に飛び込んで来てくれた新たな常駐の経営者、そして現場の社員たちの頑張りに支えられて、交通インフラであり、観光とも深くつながるバス会社の事業再生に一定の成果を上げることができました。社会に必要とされる事業の経営はやりよう次第で立て直せることに確信を持ちました。

機構時代はバス会社を個社単位で再生支援しましたが、持ち株会社であるみちのりHD設立後は一つに集約し、横串を通して最適な経営手法を共有し、個社と全体の組織能力の向上を図ってきました。その効果で短期間のうちに各社の採算は改善し、社員の待遇も向上させることができるようになりました。
地方の中小、中堅企業では、社員が正当に評価、処遇されていない場合があります。みちのりグループでは能力や成果に基づく人事評価制度を導入し、フェアな評価を徹底してきました。そうすると、社員の目の色が変わります。幹部職にも自分たちの仕事は従来の仕組みを守ることではなく、よりよい仕組みに変えることだと。そういう意識の持ち方を促してきました・・・

5人に1人が「ひとり死」

2024年1月10日   岡本全勝

NHKニュースウェブには「「絶対に“無縁仏”にしてはいけない」その時、友人たちは…」(2023年12月21日)が載っています。
12月25日の日経新聞「1億人の未来図」に「5人に1人が「ひとり死」後顧の憂い、なくせる社会に」が載っていました。新しい社会の課題です。

・・・未婚率が上昇し、2050年には30万人を超す人が生涯結婚しないまま亡くなる見通しだ。ほぼ5人に1人が「ひとり死」を迎えることになる。後顧の憂いをなくそうと、血縁によらない埋葬や、第三者に遺品処理を委ねるケースが増える。誰しも同じ状況に置かれる可能性はあり、社会が向き合う必要がある・・・
・・・みずほリサーチ&テクノロジーズの試算では、未婚で亡くなる65歳以上の人は50年で約32万人となる。20年に比べ4.1倍に増える。高齢者の総死亡数に占める割合は18.1%と3倍弱の水準となる。
背景には未婚率の上昇がある。国立社会保障・人口問題研究所によると、50歳時点での男女の未婚率は1990年で4〜5%台。20年には男性で28.3%、女性で17.8%に高まった。経済力や子育てへの不安、女性の社会進出、生活の利便性向上など様々な要因から「結婚して当然」の意識が薄れた。
5人に1人が「ひとり死」に至れば、社会や慣習への影響は小さくない。
身寄りなく暮らす人の異変をどう察知するか。孤立は認知症や孤独死のリスクを高める。
同研究所の22年の調査では、一人暮らしの高齢男性の15%は2週間内の会話が1回以下にとどまった。女性の3倍、高齢夫婦世帯の5倍。みずほリサーチ&テクノロジーズの藤森克彦主席研究員は「男性は地域との接触が少ない」とみる・・・

技術革新、集団の同質性と多様性

2024年1月9日   岡本全勝

「日経ビジネス」2023年12月8日の「シリコンバレーはなぜ技術クラスターとして成功したのか」が興味深かったです。詳しくは、原文を読んでいただくとして。

米国のIT技術集積地といえば、西海岸のシリコンバレーが浮かびますが、戦後間もないころは東海岸マサチューセッツ州の128号線沿い地域の方がイノベーションでは注目されていました。なぜシリコンバレーはテクノロジークラスターとして成長したのに、東海岸は衰退したのか。その比較が表になって載っています。

東海岸の特徴は、各企業内部が強い絆で結ばれていることです。また、規模が大きい企業が多く、組織構造はヒエラルキーで官僚的なので、情報の流れは垂直になります。企業内では情報交換がありますが、企業間の情報交換は少ないのです。企業内では忠誠心が重んじられ、企業間の人の移動は少なく、労働市場の流動性は低い。服装も背広・フォーマルといった厳しいドレスコードが保たれています。

これに対し西海岸の特徴は、企業間の壁が薄くて開放的なネットワークであることです。企業内は強い絆で結ばれているが、企業間は弱い絆で結ばれていて、企業の壁を乗り越えて水平な情報交換ができます。シリコンバレーは起業家が新しいベンチャーを立ち上げやすい環境で、スタートアップ企業の生態系(エコシステム)として知られています。老舗企業もありますが、大企業を象徴するヒエラルキーや官僚主義を極端に嫌うカルチャーでもあります。服装はカジュアルで背広は敬遠されます。企業間の情報交換も盛んなことから、企業間の人の移動も激しく、労働市場の流動性は高いのです。

同質性の強みと弱みは、第二次世界大戦での日本軍とアメリカ軍との違いでも指摘されています。「社会学者が斬る「失敗の本質」日本はなぜ戦争に負けたのか」(日経ビジネス12月15日)