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経済

円の実力

今日1月22日の朝日新聞経済面に、「円の実力横ばい。2010年、資源国が上昇トップ3」という記事が出ていました。NHKニュースなどで毎日伝えられるのは、円とドルの為替レート(ドルに対する円の価値)がほとんどです。この半年間は、円がドルに対し急速に値上がりし、経済への影響が議論されています。
しかし、日本が取引をしているのは、アメリカだけではなく、世界中の国々と取引をしています。そこで、アメリカ・ドル以外の通貨との為替レートを含め、貿易額を勘案して加重平均するのが、「実効為替レート」です。さらに、通貨の実力は物価変動にも左右されるので、それを調整したのが「実質実効レート」です。詳しくは、記事や解説書を読んでください。
国際決済銀行(BIS)が発表した数値では、2010年の円の実質実効レートは、前年に比べ0.9%の上昇でしかありません。ドルに対しては7%、ユーロに対しては12%値上がりしたのですが、他の国の通貨に対しては値下がりしたのです。例えば、オーストラリア・ドルに対しては9%値下がりしています。
多くの海外取引が、ドル立てて契約されているので、円ドル相場は大きな影響を持っていますが、日本経済・円の実力となると、この実質実効レートが意味を持ちます。
昨年値上がりしたのが、南アフリカ(ランド)、ブラジル(レアル)、オーストラリア(ドル)などで、これらは15~14%も上昇しています。中国(人民元)が-0.6%、アメリカ(ドル)が-4.4%、ユーロが-8%です。
ちなみに、記事によると、2005年を100として円の実質実効レートは、2010年は101.2で、ほぼ横ばいです。強くも弱くもなっていないと言うことですね。長期的な変化は、日本銀行のホームページ(統計データのページ、主要指標グラフの為替)でも見ることができます。日銀のグラフを見ると、ドルに対する円の実力と、世界全体に対する円の実力の違いが良くわかります。毎日のニュースだけでは、わからないものですね。
NHKの定時のニュースの最後で、円ドル為替相場や日経平均、ニューヨーク株式市場が伝えられるようになったのは、いつごろからでしょうか。私が子供の時は、定時のニュース放送では伝えられませんでした。日本が国際化したことの、一つの表れでしょう。昨年、NHKに問い合わせたのですが、「記録が残っていないので、わかりません」との答えでした。

産業別従事者数の推移

1月10日の日経新聞経済面「三度目の軌跡、データで見る」に、わかりやすいグラフが出ていました。1950年代から現在までの、産業別従事者数の推移です。
農林業が、1,500万人から260万人に大きく低下しました。製造業は、700万人から増加し、1964年に農林業を抜きました。1992年には 1,569万人とピークに達し、その後減少し、約3分の2の1,000万人程度にまで減っています。建設業は200万人から、経済成長とともに増加しまし たが、最も多かったのはバブル崩壊後の公共事業拡大期です。1997年に685万人に達しましたが、その後は公共事業の削減もあり、500万人程度に減っ ています。
卸・小売業、飲食店は、700万人程度から増加し、1996年に1,463万人と製造業を抜きました。その後、少し減っています。医療・福祉は600万人で、建設業を抜きました。
このように言葉で書くとわかりにくいですが、記事に出ているグラフはわかりやすいです。日本経済や産業の移り変わりが、一目瞭然です。

休みは増えたが労働時間は減っていない

10月25日の日経新聞経済教室は、黒田祥子准教授の「日本人男性の労働時間。一日当たり、一貫して増加」でした。
1987年の労働基準法改正で、週間法定労働時間は、48時間から40時間になりました。90年代初めには、週休二日になりました。労働者の年間休日数 は、1985年の92.2日から、2009年の113.7日と、21日も増加しました。1日8時間とすると、170時間の労働時間削減です。
一方、20歳から49歳の壮年男性社員の平均労働時間は、1980年代末に週52時間近くあったものが、1990年代に48時間に減り、2000年代には 50時間に戻っています。そして、1日当たりの労働時間は、1970年代の8時間から年々増加し、2006年には9.1時間にまで増えています。その分、 睡眠時間が7.9時間から7.2時間へと減っています。1日当たり13時間以上働く人の割合も、2%から8%に増えています。
休日は増えたけれど、その分だけ平日の労働時間が増え、睡眠時間を削っているという姿が見えます。疲労が蓄積されるのです。

貸し出し機能の衰えた銀行

31日の日経新聞「検証、ニッポンこの20年。長期停滞から何を学ぶか」は、「衰えた金融機能。破綻懸念遠のき、革新怠る」でした。
1990年代、巨額の不良債権処理のためと金融ビッグバンに備え、大手金融機関の淘汰と再編が続きました。これで一部の銀行と証券会社を除き、金融機関は 破綻を免れたのですが、記事では、その後、金融機関の資金仲介機能は低下したと指摘しています。
すなわち、1999年には、国内銀行の預金と貸出金がともに490兆円前後で均衡していたのが、5年後には預金が6%増えたのに、貸出金は17%も減って います。そして、国債保有額が44兆円から102兆円に膨らんでいます。民間企業に回るべきお金が、国や地方団体の赤字を支える方に回ったのです。
・・巨大化や公的資金の注入で破綻の懸念が遠のき、預金が銀行に集まりやすくなった。その半面、お金を将来性のある企業に貸し出す技量を銀行が磨くことは なかった。資産運用など直接金融にかかわる部門を思い切って拡充するなどの改革も不十分だった・・と記事は述べています。

国際経済・金融の協調枠組み作り

23 日に、韓国で開かれていた、20か国・地域(G20)財務相・中央銀行総裁会議が終わりました。アメリカのガイトナー財務長官が、各国の経常収支比率を一 定水準に保つ数値目標の導入を提案しましたが、参考ということに落ち着いたようです。一方で、準備通貨(アメリカ、EU、日本です)を持つ国は、責任ある 経済政策をとり、為替相場の安定を保つ必要があると合意されました。経済成長や通貨の安定のために、国際協調の枠組みが進みつつあります。
24日の日経新聞は、1970年代のG5からの歴史を、簡単な表とともに解説していました。1985年にプラザ合意(アメリカ、ニューヨークのプラザホテ ルでの会議)がされ、円が大幅に値上がりしました。この時は、G5(アメリカ、日本、ドイツ、フランス、イギリス)です。
その後、イタリアとカナダを加え、G7になりました。1987年のブラックマンデー(ニューヨーク株式市場の暴落)、1997年のアジア通貨危機、 2008年のリーマン・ショックと、経済が政治を揺さぶりました。そして、中国やブラジルなど新興国が台頭し、G20という枠組みになりました。
一方で、国連はこのような分野では、存在感がありません。政治は主権国家体制でありながら、経済金融はその国境を越えて動くという現代において、どのように国際協調の枠組みが進むのか。人類の知恵が試されているのでしょう。