「経済」カテゴリーアーカイブ

経済

浅川財務官の活躍

10月15日の日経新聞に、OECD租税委員会議長の浅川雅嗣氏のインタビューが、かっこよい写真付きで載っていました。本人によれば、「実物通り」とのことです。
浅川君は、財務省の財務官(財務省で国際政策を総括する事務次官級のポスト。黒田日銀総裁も経験者)です。麻生内閣で、一緒に総理秘書官を勤めました。現在は、OECDの租税委員会議長も兼務しています。先日ペルーのリマで開かれたG20で、多国籍企業が税金逃れをしないようなルールを定めました。その立役者です。それについては、この記事を読んでいただくとして。日本国内では、あまり認識されていないようです。
財務省の広報誌『ファイナンス』9月号に、「頭を柔らかくすること-グローバリズムとリージョナリズムとの狭間で」を書いています。体験に裏打ちされた、絶対だと思っていた価値観が、あっという間に変化することを紹介しています。このホームページをご覧の方の多くは、国内派でしょうが、このような世界もあるのだということを勉強してもらいたくて、紹介します。
その文中に、2008年秋のリーマン・ショックの際に、麻生総理がIMFに対し最大1000億ドルの融資を行うことを表明した話が、出てきます。この効果は大きかったのです。残念ながら、その意図と効果を理解できる記者さんが少なかったようです。資料は、例えば「G20での麻生総理資料」。なおその頃の資料は、官邸のホームページで見ることができます。

不正経理

『帳簿の世界史』にも、第13章「大恐慌とリーマン・ショックはなぜ防げなかったのか」として、不正経理を防げなかったこと、そしてそれが会社をつぶしただけでなく、世界経済を危機におとしいれたことが、書いてあります。『バランスシートで読みとく世界経済史』の第9章は、「会計専門職の台頭とスキャンダル」です。どうも、会計には、不正がつきもののようです。
エネルギー会社のエンロンは、帳簿の上では超優良企業でしたが、不正経理がばれて倒産します。それだけでなく、経営者は倒産の前に自社株を売り抜いて、大もうけをします。ご関心ある方は、お読みください。犯罪者と警察の追いかけっこと同じと思えばよいのでしょうが、企業会計、会計監査とは何なのか、疑問になります。まじめにやっておられる関係者の方には、申し訳ないのですが。どこに、問題があるのでしょうか。
さて、エンロンの事例では、電力価格を高値で維持するために、電力会社に発電を停止するように要請したり(それで住民はえらい迷惑を被ります)、森林火災が起きると、高圧線の鉄塔が焼け落ちるのを見ながら、職員が「燃えろ」とはやしたてたそうです。企業利益を優先し、モラルに欠ける行動に出るのです。これは、企業会計とは別の次元の問題です。

複式簿記はどこまで企業を表すか

先に、ジェイコブ・ソール著『帳簿の世界史』(2015年、文藝春秋)を読みました(2015年6月21日)。思い出して、積ん読の山から、ジェーン・グリーソン・ホワイト著『バランスシートで読みとく世界経済史―ヴェニスの商人はいかにして資本主義を発明したのか』(2014年、日経BP社)を発掘して、読みました。
これも、勉強になる本です。もっとも、表題は誤解を与えます。目次を見るとわかるように、複式簿記の発明と普及、それが経済の発展に不可欠だったことが書かれていますが、「世界経済史」までは書かれていません。原著は、「Double Entry – How the merchants of Venice shaped the modern world and how their invention could make or break the planet」という表題です。
ところで、本書でも書かれていますが、複式簿記が企業の財政状況をどこまで表しているのか。その発展系である国民経済計算GDPが、どこまで一国の経済を表しているのか。著者は、環境の価値や健康状態などが含まれていないことを指摘しています。金銭に評価できないものは、記入されないのです。
以下、会計学には素人の疑問です。
会社の場合、いちばんの価値である従業員は、どのように載っているのでしょうか。給与や退職金の引当金は計上されますが、従業員そのものの価値は計上されません(よね)。会社の経営が悪化し、従業員を削減する際には、減らすべき「負債」であり、よい商品を生みだす場合は「資産」でしょうか。
人数が少なくても、「有能な社員」「良質の労働力」と、人数が多くてもそうでない社員とは、金銭評価できないので、帳簿には載らないのでしょうね。従業員は、利益を上げる手段でしかないのでしょうか。もっとも、同じく利益を上げる手段である機械類は、資産として計上されます。また、その会社が持っている「評判」(ブランドとしての力)も、複式簿記では計上されないのでしょうね。 さらに、研究機関、大学、官庁は、企業会計だけでは、その価値は評価できないのでしょうね。
ところで、複式簿記って英語では、Double-entry bookkeeping system って言うんですね。

岩井克人先生の研究の軌跡、3

先生が、ものごとの根源まで遡って考えた例として、貨幣と法人があります。
貨幣がなぜ通用するかについては、商品説(特定の物、例えば金(ゴールド)に対する、人の欲求に支えられているとする考え方)と、法制説(政府の命令によるとする考え方)が有名です。しかし先生によると、あるモノが貨幣として使われるのは、「貨幣として使われているから貨幣である」という「自己循環論法」です。これも、なぜそうなるのか、本をお読みください(p223)。
法人については、単なる企業と法人とは何が違うか。企業は所有者(オーナー社長)が、企業の資産・商品を自由に処分できます。それに対し法人の場合は、株主が会社を所有しますが、会社が会社の資産や商品を所有しています。株主は、会社の資産を所有していませんから、自由には処分できません。これを、先生は「2階建て構造」と呼ばれます(p288)。
「企業は誰のものか」。株主のものか、経営者のものか、従業員のものか。これらの議論が、2階建て構造で明快に説明されます。企業統治の場合は、オーナーと経営者との関係は、委任契約になります。それに対し、法人会社での統治は、会社の経営者は株主との間で委任契約を結んでいるのではなく、会社との間で信任関係にあります。企業の経営者はオーナーの指示に従う必要がありますが、会社の経営者は株主の指示に従うのではなく、会社に対し責任を負うのです(p349)。詳しくは、これも本を読んでください。

岩井克人先生の研究の軌跡、2

先生は、経済学の主流から外れた「不均衡動学」を研究します。極めて単純化すると、新古典派経済理論は、市場で需要と供給が一致するように均衡し、労働市場でも受給が一致するように完全雇用が達成されると考えます。失業や売れ残りの商品、遊休資本が発生するのは、市場が不完全であるからで、市場が自由に働くようにすれば需給は一致すると主張します。しかし、実際の経済は、需給は一致しない場合が多く、不均衡が一般的であるというのが、不均衡動学です。では、それでいて、市場はなぜ安定しているのか。そこが、先生の研究成果です。本を読んでください。
私には、先生の主張の方が、現実的であり、説得力があると思えるます。先生は、市場主義が勢いをふるった時期に、それに反する主張を行い、「没落した」と振り返っておられます。