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経済

公務員が海外流出する国

8月3日の日経新聞に「ブータン、公務員が海外流出 学校・病院・企業の働き手不足が深刻に」が載っていました(ウエッブ版では表題が異なります)。
・・・ツェリン・ヤンキさんが現在のブータン産業・商業・雇用省にプログラム担当職員として入省した2022年、同省には新たな業務が次々と積み上がっていった。
その前年に始まった政府全体のリストラ計画で、多くの幹部職員が退職した。その後、オーストラリアが新型コロナウイルス禍後に国境を再開したのに伴い、単純労働でも自国より高い給与が期待できるとして、さらに多くの職員が退職した。ヤンキさんの上司も、そのまた上司も町を去っていった・・・

ブータンでは2022年~24年に、2万人以上がよりよい教育や仕事を求めて海外に出て行ったそうです。その半数近くが公務員です。その結果、病院の待ち時間は長くなり、学校の生徒を指導するのは経験不足の教員です。企業の3分の1が人手不足に陥っています。
ある学校では1年間に、教師73人のうち28人がオーストラリアに移住し、全国の教師の3分の1が2021年から24年の間に移住しています。国立病院では専門医の定員167人に対して欠員が30.5%、看護師の定員871人に対して欠員が24.1%だそうです。

分業・比較優位論の限界

経済対策と産業政策の違い2」の続きにもなります。

アダム・スミスは、工場内の分業による労働生産性の上昇を論じました。デヴィッド・リカードは、比較優位論を提唱しました。自由貿易において各国が最も優位な分野に集中することで、互いにより高品質の財と高い利益を享受できるようになるのです。
これらの理論は間違ってはいないのですが、重大な問題を忘れていました。
一つは、優位な分野を持たない地域や国、国民はどうなるのでしょうか。
二つ目は、互いの国が優位な分野に特化するとしても、劣位な産業に従事していた職人たちはどのようにして、転職するのでしょうか。

比較優位論は、勝者の論理であり、負け組のことを考えていません。また、勝ち組になるとしても、転換にかかる時間とその過程を考えていません。
欧米での寂れた旧工業地帯や炭鉱地帯が、その例です。アフリカ各国は、未だに経済成長しません。日本でも過疎地域、かつて稲作に頼っていた地域は、この論理では豊かにならないのです。
比較優位論のこの欠点と対策を論じた議論はないのでしょうか。ご存じの方のお教えを乞います。

将来見通しの不安が消費を増やさない

8月6日の日経新聞「経財白書で探る成長のヒント2」は、「賃上げ不信が生む消費不振 5年後給与「変わらず」4割弱」でした。

・・・個人消費の回復に力強さが欠けている。今年の経済財政白書は消費が弱い背景に、賃上げの持続力を疑う心理を指摘した。
統計上は賃金を巡る動きは前向きだ。連合の最終集計によると、2025年の春季労使交渉(春闘)での定期昇給を含む賃上げ率は5.25%だった。33年ぶりの高水準となった24年を上回った。白書は「近年にはない明るい動き」と評価した。

本当に25年の賃上げが働く人の給与に反映されているかを確認するため、白書は給与計算代行のペイロールが保有する速報性が高いビッグデータを確認した。
その結果、25年4〜6月平均の所定内給与の伸び率はいずれの年代でも24年を上回っていた。20歳代が前年同期比7.0%増、30歳代が5.4%増と高い伸びを示したが、40歳代も5.0%増、50歳代は同3.2%増だった。賃上げは若年層だけでなく中高年層にも恩恵が及んでいる。

賃金が上向く一方、個人消費は伸び悩む。可処分所得に対する消費支出の割合を示す「平均消費性向」は働く世帯で低下傾向にある。具体的に支出を減らしている項目を内閣府が複数回答で聞いたところ、4割超が食費(外食以外)と答えた。

賃上げの持続性に対する懐疑的な見方が強いことが、消費が低迷する要因となっていると白書は指摘する。消費者に5年後の給与所得を聞いたところ、4割弱が「今と変わらない」と答えた。「低下する」も2割弱おり、合計して6割近くの家計が賃金増加を予想していなかった。
特に昇給が終わった中高年層で変わらないと答える人が多かった。若年層は昇給が期待できることから、20歳代・30歳代は「上昇する」との回答が5割程度と高かった。それでも3割以上が「今と変わらない」と答え、1割以上は「低下する」と回答した・・・

経済対策と産業政策の違い2

経済対策と産業政策の違い」の続きです。
バブル経済崩壊後、度重なる経済対策にかかわらず、景気は良くなりませんでした。巨額の不良債権の処理、過剰な設備などの解消を行い、規制改革、市場開放などの供給拡大策も取られました。しかし、2010年代以降も、日本の経済は復活しませんでした。

これら以外の要因があったのです。一つは、国際競争です。日本が生産し輸出していた製品、代表は電気製品です。まず、工場が海外に移転し、国内産業が空洞化しました。次に、アジア各国の追い上げで、市場を奪われました。それは海外輸出だけでなく、国内市場でも負けました。いくつかの家電企業が倒産したり、外資に買われました。

アメリカはそのような経験(日本がアメリカの電器や自動車産業を負かした)をしたのですが、新しい分野で発展を続けました。情報通信、バイオ、映像などです。韓国や中国も、それらと競争するように、新しい分野でも力をつけました。日本は、世界の先頭を走っていた半導体産業でも、負けるようになりました。
日本も挑戦はしたのですが、アメリカに追いつけず、いくつかの分野では韓国、中国、台湾にも置いて行かれるようになりました。
この状態を作ったのは、日本の産業界です。世界第二位の経済大国になって、「経済一流、政治は二流」と豪語していたのに、その後の凋落ぶりは悲しいものがあります。

政策論に戻りましょう。
ケインズ経済学は需要に着目した景気対策であって、供給側(産業や国際競争)の視点が欠けています。供給側も入れた経済学・経済政策が必要なのです。その点では、日本は規制改革、市場開放などの供給拡大策は取ったのですが、産業政策だったのです。
日本がこの間に産業政策に消極的だったのは、新自由主義的改革思想にも原因があります。経済成長に成功し、従来の産業保護振興政策は終わったとの認識がありました。政府の市場への介入はなるべく減らすべきだという主張です。
それ自体は間違っていなかったのですが、産業界が「認識不足」「力不足」の場合は、政府が介入すべきだったのでしょう。課題はその手法です。産業が幼稚な時代(明治時代など)は、政府による技術導入や支援、国営企業の払い下げ、資金支援、関税による保護などが行われました。現在では、どのような産業にどのような手法を使えば良いのでしょうか。
現在、半導体産業をてこ入れしようとしています。ただし、政府や官僚に、どこまで産業の未来を見抜く能力があるかは、未知数です。
日本経済低下の責任

経済対策と産業政策の違い

日本は、この30年間、どうやら経済に関する政策を間違えたようです。
バブル経済崩壊後、長期の不況に陥りました。1990年代に政府は、巨額の経済対策を打ちました。経済が冷え込んでいるので、需要を喚起して、景気を支えようとしたのです。

1929年に発生した世界大恐慌を経験して、ケインズが新しい経済学を主張しました。不況の原因を需要不足と考え、有効需要の創出を訴えたのです。これは、当時としては画期的で、かつ効果もあったことから(戦争による需要拡大もあったようですが)、ケインズ経済学は経済学の主流となりました。
戦後の先進国でも、景気調整の理論的支えとなったのです。ところが、1970年代以降は、多くの国で効き目が低下しました。スタグフレーションと呼ばれる状態、不況と高い失業率と物価上昇が併存する状態に陥ったのです。これに対する政策として、供給を拡大する政策(規制緩和・構造改革・産業競争力の向上・市場開放)などが取られました。

バブル経済崩壊後、日本も度重なる経済対策にかかわらず、一向に景気は良くなりませんでした。当時は、まずは巨額の不良債権の処理、過剰な設備などの解消が必要でした。それらは、2000年代には概ね解消したようです。他方で、規制改革、市場開放などの供給拡大策も取られました。
しかし、2010年代以降も、日本の経済は復活しませんでした。1990年代半ばから30年間にわたり、経済は拡大せず、所得も上がりませんでした。
この項続く