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経済

ニクソン・ショック50年、国民生活改善

8月26日の日経新聞経済教室「ニクソン・ショック50年」は、岡崎哲二・東京大学教授の「国民生活改善への転機に」でした。

・・・ニクソン・ショックは国際通貨体制の転換点だっただけでなく、日本にとっても経済政策、企業経営、日本経済の国際的地位や国民生活の水準など多くの点で画期となった。

第1に経済政策については、変動相場制への移行は政策手段選択の自由度を拡大する意味を持った。
変動相場制移行以前の日本では、金融政策は基本的に国際収支の調整という目的に割り当てられていた。すなわち日銀は政府と調整のうえ、景気が過熱し経常収支が赤字になれば金融を引き締め、景気後退により経常収支が黒字になれば金融を緩和するという政策運営を続けていた。
ニクソン・ショック直前の70年10月からショック後の71年12月にかけて、日銀は公定歩合を5回引き下げて金融を緩和した。これは70年秋以降の景気後退とニクソン・ショックに対応するための措置だった。さらに景気が好転していた72年6月、円切り上げ後も経常収支黒字が解消しないことを受け、再度の円切り上げを避ける目的で、もう一段の金融緩和が実施された。
そしてこの一連の金融緩和が、マネーストック(通貨供給量)の増加を介して73~74年の大規模なインフレ、いわゆる「狂乱物価」の原因となった。景気が上向く中で追加的金融緩和が実施されたのは以下のような事情による。固定相場制の下で為替レートによる国際収支調整が機能しなかったので、金融政策を経常収支黒字削減のために使用せざるを得ず、インフレ抑制のための金融引き締めを機動的にできなかったのだ。

変動相場制への移行はこの制約を取り除いた。こうした政策手段選択の自由度の拡大は、後に起きる第2次石油危機への対応に生かされた。イラン革命を背景に、79年には原油価格が前年の2.7倍に高騰した。日本経済に対し、購買力の産油国への移転を通じて不況圧力を加えるとともに、コスト面からインフレ要因となり、さらに経常収支赤字をもたらした。
この状況下で日銀は79年4月から80年3月にかけて5回にわたり公定歩合を引き上げた。変動相場制の下で、国際収支と景気の調整は為替レートの変動と財政政策に委ねられ、金融政策は主にインフレ抑制のために割り当てられた。そしてこの機動的な金融引き締めが、第2次石油危機時の日本のインフレ率を小幅に抑えることに貢献した・・・
この項続く

基礎投資の少ない日本

8月20日の日経新聞オピニオン欄、D・アトキンソン・小西美術工芸社社長の「基礎投資の少なさが危機を招く」から。

・・・経済成長は結局のところ、研究開発・設備投資・人材投資で決まる。いうなれば3大基礎投資である。官と民で研究開発をして、新しい技術を発見する。企業は設備投資をしながら、その技術を商品化し、流通に乗せる。研究から始まって商品化、さらにはその商品を売り込むまで、従業員の教育・研修といった人材投資が不可欠だ・・・

・・・投資が少ない影響は大きい。例えば、日本の半導体はほとんどが低付加価値のものである。新型コロナウイルスのワクチンも開発できていない。もちろん、原則として3大基礎投資は減れば減るほど経済は成長しないし、生産性も上がらない。

投資が少ない原因は、第1に日本政府が1990年代から包括的な産業政策をとっていないことが大きい。
第2に、生産性を高める政府支出を生産的政府支出(PGS)というが、先進国の平均はGDP比24.4%、発展途上国でさえ20.3%なのに、日本は1割を切っている。人口減少と高齢化で社会保障の政府支出は増えているが、社会保障は移転的政府支出で、経済成長には貢献しない。
第3は、PGSの規模が小さすぎることだ。これまで国策に投入される予算は数千億円から多くて数兆円で、GDP550兆円の民間経済を動かす規模ではなかった。また内容も、既得権益を守るための「単なる量的な景気刺激策」が大半を占めていた。
第4は非正規雇用を増やしつつ、最低賃金が低いことだ。企業は優秀な人材を安く調達できるので、投資をする動機が薄れた。経済学の原理通りである・・・

顧客志向文化と製品志向文化

「業績を左右する社風」の続きにもなります。8月17日の日経新聞経済教室、若林直樹・京大教授「顧客志向文化が企業を救う」から。

・・・市場で複雑かつ急激な変化が起きたとき、企業が顧客のニーズと将来像を中心に考える企業文化を持っていれば、経営者や社員が対応しやすくなる。米ハーバード大学教授だった故クレイトン・クリステンセン氏は自らのジョブ理論の中で、企業のイノベーション(革新)において、顧客の短期的なニーズだけでなく未来の生活や活動に求める将来像(ジョブ)を考える視点の重要性を主張した。
顧客志向的な企業文化は経営者や社員にこうした視点を意識させる。米国最高マーケティング責任者(CMO)協議会の2014年調査では、米国企業のマーケティング担当役員の53%が企業文化を顧客志向的に変革することを経営課題として挙げた(図1参照)・・・

・・・顧客志向的な企業文化が強いと、経営者や社員の思考方法、意思決定や行動はそれに影響され、市場や外部を意識したものとなる。ここでいう顧客志向的な企業文化は、製品志向的なものとは異なる。米メリーランド大学教授のローランド・ラスト氏らは、製品志向的な視点をとる企業組織は内向きの視点をとり、経営目標でも新製品開発でも、ライバルと数を競うことや市場占有率の増大を重視すると指摘した。
それに対して、顧客志向的な企業では視点が外向きとなり、顧客との関係が重視され、顧客忠誠心をもとにした収益力が重視され、顧客満足や顧客価値の上昇が目標となる。従業員も顧客の考えを代弁するようになる。そして、環境が変わり、従来のやり方がうまくいかず、ビジネスが混迷したときに、顧客に沿って考えるようになる・・・

日本は貧しい国に逆戻り

8月4日の日経新聞1面連載「通貨漂流ニクソン・ショック50年」は「円安頼み「貧しい日本」生む 円の実力、48年前に逆戻り」でした。そこに、次のような記述があります。

・・・経済協力開発機構(OECD)によると主要国の平均年収は00年以降1~4割上昇し、日本だけが横ばい。ドル建ての賃金水準は韓国より1割近く低い。90年代にに日銀で為替介入を担当したJPモルガン・チェース銀行の佐々木融市場調査本部長は「賃金水準では新興国に近づいている」と懸念する。日本人の購買力は落ち、貧しくなった。

貿易量や物価水準を基に総合力を算出する円の「実質実効レート」はニクソン・ショックからピークの95年まで2.6倍になった。その後は5割低下し、73年の水準に逆戻りしてしまった。円の弱体化は世界の中での日本経済の地盤沈下をそのまま映し出している・・・

苦境時の政策支援は企業にはもろ刃の剣

7月21日の日経新聞経済教室、青島矢一・一橋大学教授の「コロナ後の日本企業 組織超え経営資源を結べ」から。
・・・しかし、こうした状況があるから「コロナさえ収まれば、経済は飛躍するだろう」などと楽観視することはできない。むしろコロナが収まり、政策的支援が細くなったときの経済状況が不安である。振り返ると、リーマン・ショック後にはエコポイントなどの強力な政策支援があったが、テレビ事業など日本のエレクトロニクス産業の凋落が顕著となったことを思い出す。東日本大震災後には固定価格買い取り制度など大胆な再生エネルギー普及政策がとられたが、この分野での日本企業の国際競争力は高まるどころか、むしろ低下した。
苦境期における政策支援は企業にとってもろ刃の剣である。それは、産業の崩壊を防ぎ、次の成長に向けた一時的な余裕を提供してくれる。しかしその一時的な余裕によって企業が自らの実力を見誤ると、後に大きな火傷を負いかねない。こうした時こそ企業は本来の目的に立ち返って、自らを冷静に見つめ、次の飛躍に向けた準備をしなければならない・・・

・・・バブル期にみられた無節操な多角化は問題だが、企業が自己を革新するには、時に従来の強みを捨て去り、新たな領域に踏み込むイノベーションも必要となる。それを否定されると、企業は自らの運命を特定産業の盛衰に委ねざるをえなくなる。こうした状況にあらがうには、事業ポートフォリオの刷新を行い、全社戦略の背後にある構想や将来シナリオを、投資家を含めて内外の人々に説得的に語れるかが鍵となる。経営者の腕の見せどころだ。

革新を起こす人材不足も大企業内でイノベーションを興しにくい理由の一つかもしれない。起業などの革新活動は一般に連鎖する傾向にある。革新を起こす人が身近にいると、主観的に感じるリスクが低下して、自分もできそうだという自己効力感が高まるからである。しかし長いデフレの中で企業が採用を絞った結果、部下のいない社員が若いうちに自分の責任で新しい仕事を成し遂げる機会が減ってしまった。そうした先輩の背中を見て育つ後輩たちにとって、イノベーションのリスクは高く感じられるはずだ・・・