カテゴリーアーカイブ:社会

ウィキペディア20年

2021年5月11日   岡本全勝

5月1日の日経新聞、村山恵一・コメンテーターの「20歳のWikiに映る「格差」 ネットの百科事典の壁」から。ウィキペディアができて、もう20年、まだ20年なのですね。
・・・無料のオンライン百科事典ウィキペディアが2001年の開設から20年を迎えた。記事は5500万本以上あり、閲覧は月に150億回以上にのぼる。インターネット時代を象徴する存在に育った。
感じるのは「人とネット」をめぐる2つの側面だ。今後の希望を照らす「光」と、対応すべき重い課題を示す「影」がある。

まずは「光」から。匿名の個人がボランティアで編集者(新規記事の執筆や修正を担う人)をつとめるコミュニティーの力だ。
ウィキペディア創設者のジミー・ウェールズ氏がはじめに手がけたのは専門家が編集するサービスだったが、すぐ行き詰まる。1年で書かれた記事は12本だった。

並行して試みた誰でも参加できるウィキペディアは開始後1カ月を待たず1000本を突破した。ほどなく日本語版を含む多言語化が始まり、利用は世界に広がる。
運営する非営利団体、米ウィキメディア財団は編集に直接タッチしない。編集者は世界の28万人(月間)。毎分350回編集され、中立性などの基準を満たさない編集をする「荒らし」があってもおおむね5分以内に対処される。
記事への出典明記、意見の対立を収める対話・審議、集中的な編集の繰り返しなどで混乱したときの編集機能の一時停止……。こうしたルールやしくみはあるが、やはりこのサービスの肝は大勢でコラボレーションする精神だ。
「世の中のために良いことをするという使命感をもった人たちのコミュニティーがウィキペディア成功の理由だ」。財団のジャニーン・ウッツェル最高執行責任者(COO)は語る・・・

記事は5500万本以上、編集協力者は月間28万人以上、閲覧は月間150億回以上、荒らし行為への対処5分以内、対応言語300以上だそうです。私もお世話になっています。

「宗教と日本人」

2021年5月10日   岡本全勝

岡本亮輔著『宗教と日本人ー葬式仏教からスピリチュアル文化まで』(2021年、中公新書)が、よかったです。

梅棹忠夫の日本の宗教」に書きましたが、これまでの宗教論が、知識人や提供者側の議論であって、受け手である庶民の視点が抜けていました。梅棹先生は、「メーカーの論理とユーザーの論理」と指摘されます。近年、日本宗教史に関して、2つも叢書が出たのですが、これらも提供者側からのものでした。この本は、庶民の側から書かれています。

キリスト教を基準とした宗教観ではなく、初詣や地鎮祭からパワースポットまで、幅広く宗教的なものを扱います。その切り口は、信仰、実践、所属です。葬式仏教は信仰なき実践、神社は信仰なき所属、スピリチュアル文化は所属なき私的信仰です。個人で信じる新宗教、家族で信じる仏教、地域で属する神道という見立ては、わかりやすいです。日本のキリスト教は、キリスト系系学校などを通じたブランドであると位置づけています。

私たちは、お正月は神道、結婚式はキリスト教、葬式は仏教、神頼みは神道と、目的によって宗教を使い分けています。梅棹先生は、日本人が複数の宗教を信じることについて、それが混じり合っているのではなく、「神々の分業」であると指摘されます。この点については、『宗教と日本人』は深く触れていません。

目立たないこと、成長がない時代の時流に乗る

2021年5月9日   岡本全勝

5月1日の朝日新聞オピニオン欄、真山仁さんの「いまの時代」から。

・・・根本は変わらなくとも、一方で、時代の影響を受けやすいのが人間という生き物である。
高度成長はとっくに過ぎ去り、「日本の未来は、墜ちていくだけ」と感じている国民が確実に増えている。
これぞまさに「分断の時代」だと、軽はずみには言いたくないが、「みんな」で一緒に幸せになろうとか、一緒に頑張ろうという時代は終わった。自分だけが得をするために、うまく抜けがけする知恵を巡らせる。そんな殺伐とした世界の中で、自分に自信のない弱気な人は、目立たずおとなしく、少しはおこぼれにありつけそうな大きな船に乗ろうとする。

その結果、自分の立ち位置が分からなくなってしまい、うっかりしていると自身の存在意義すら見えなくなる。
だから、若い世代は、承認欲求を満たそうと必死だし、時流の中心にいたいと焦っているように見える。
「僕らの時代なら、人と違うことをすると、かっこいいという風潮がありましたけど、今は目立たない努力をしている。みんなと同じ色のランドセルを背負っていると、いじめられないという防衛本能がある気はしますね。言ってみれば、『個にこだわりすぎて迎合してしまう時代』ですね」
「個」の時代のはずなのに、「みんな」の空気を読まなければならない。だから、生きづらいのか・・・

これでも日本語、NHK

2021年5月3日   岡本全勝

いつもの「カタカナ語やアルファベット語批判」です。今回は、NHKです。
日本放送協会ウエッブサイト(すみません、これもカタカナ語です)の「ビジネスパーソンこそPTAに」(4月23日掲載)を、読者から教えてもらいました。読んでもらうとわかりますが、カタカナ語の氾濫です。

冒頭に、次のように、記事の要点が掲げられています。要点だと思いますが、記事では「アジェンダ」と記載されています。

本日のアジェンダ
運営はダイバーシティ
ビジョン・ミッションの共有を
ICT化でサステイナブルに
キャリアアップの道も
システムのアップデートが鍵

これらを、日本語では表現できないのでしょうか。日本語より、英語(らしきカタカナ)が格好良いと思っているのでしょうか。
また、言葉としても不正確でしょう。アジェンダ(agenda)は、会議で論ずる議題の一覧です。ここに表記されているのは議題ではなく、要点です。
記事の最後には、「コンクルージョン」も出てきます。「結論」ではダメなのでしょうか。文字数も多くなり、「簡潔に」の原則にも反しています。
新聞記者は「記事を書く際には、中学生でもわかるように」と指導されていると、聞いたことがあります。
放送協会内では、このような文章が問題にならないのでしょうか。

「こんなに違うドイツと日本の学校」

2021年5月3日   岡本全勝

和辻龍著『こんなに違う!?ドイツと日本の学校 ~「自由」と「自律」と「自己責任」を育むドイツの学校教育の秘密』(2020年、産業能率大学出版部)が、勉強になりました。
内容は、表題の通りです。著者は、ドイツの工科大学に留学し、同時にギムナジウム(日本の小学5年生から高校3年生までが通う学校)に生徒として通う経験をしました。そこで体験した日本と異なる教育の姿と、その背景にある考え方「この国のかたち」を描いています。

知識を教え、一定の型にはめる日本の教育。それに対し、考えることを身につけさせるドイツの教育。
明治以来の日本の教育手法は、日本国民の教育水準を引き上げ、集団への順応と優秀な会社員を作ることに成功しました。しかし、型にはまりたくない人にとっては窮屈な学校であり、社会をつくりました。そして、自分で考えることが少ない人を作りました。
ちなみに、著者は和辻哲郎さんのひ孫だそうです。
参考「ドイツの学校にはなぜ「部活」がないのか