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社会

無関心と消極性2

無関心と消極性」の続きです。私が危惧する日本社会の劣化、もう一つは消極性です。無関心は関係資本の劣化であり、消極性は文化資本の劣化です。

日本社会発展の基礎にあったは、国民の向上心です。江戸時代には識字率が高く、明治以降は職業や教育が選ぶことができるようになり、志を持った子どもや若者が、それぞれの道で努力するようになりました。学歴を高め、立身出世に励んだのです。それが、官民ともに日本の発展を支えました。

この30年間の経済停滞の大きな理由は、産業界における積極性の低下であると私は考えています。選択と集中といった言葉で守りに入り、新しい分野、製品やサービスに挑戦しなかったのです。行政においても、行政改革の旗印の下で削減を続け、新しいことへの対応が遅れました。ここには、西欧から輸入するものがなくなり、自ら考えなければならなくなったという環境変化もあります。

教育においては、学歴志向は続いています。しかし、進学率が頭打ちになったように、高学歴化は止まりました。他方で、高校は全入、大学も望めば入れるという状況で、学生は努力しなくても入学と卒業ができるようになりました。そして人手不足で失業率は低く、高望みしなければ就職は容易です。すると、一部の学生を除き、多くの学生にとって学業に励む必要もなく、学校はレジャーランドに堕します。学校がかつてのような、立身出世の準備の場ではなくなったのです。

発展途上時代は「努力すれば暮らしはよくなる」という社会の現実と通念が、国民を努力に駆り立てました。しかし成熟社会に変化すると、その現実と通念は薄れます。それが向上心や挑戦心を低下させるようです。すると、ますます社会は停滞します。

一般国民がそのようになっても、エリートと呼ばれる人たちが積極的に挑戦すれば、社会の進展と成長は維持できるでしょう。しかし戦後日本は、戦後民主主義と言われる社会通念で、エリートを否定しました。エリートを育てる必要があるとも考えられますが、それはまた別の機会に議論しましょう。

「インスタグラム」10代の機能制限

9月19日の朝日新聞に「インスタ、10代の機能制限 16歳未満は保護者と設定変更」が載っていました。

・・・米メタは17日、写真投稿アプリ「インスタグラム」で10代の利用者がつかえる機能を制限する取り組みを発表した。インスタについては、米国の行政機関などから若者への心理的な悪影響などが指摘されていた。米国などで60日以内に提供を始め、日本でも来年1月から利用できるという。

インスタは今回、10代の利用者を対象に「ティーンアカウント」を始める。利用者の投稿について、本人がフォローを認めた相手以外は初期設定で見られなくするほか、性や暴力などに関する不適切な投稿の表示も制限する。
また、1日あたりの利用時間が1時間を超えるとアプリを閉じるよう求める通知が届くほか、午後10時~午前7時はスリープモードとなり、通知が届かなくなるという・・・

無関心と消極性

私は、現在の日本社会の大きな問題は、無関心と消極性ではないかと考えています。
連載「公共を創る」(第30回)では、私たちが社会で暮らしていく際に必要な、「装置や環境」「財産」を、社会的共通資本として整理しました。自然資本(自然環境)、施設資本(いわゆる社会資本、インフラ)、制度資本(各種サービス)、関係資本(ソーシャル・キャピタル)、文化資本(気風や助け合い精神、民主主義を支える精神など)です。そのうちの関係資本と文化資本が弱くなっているのです。

まず、他者への無関心についてです。
イギリス旅行中に、地下鉄に乗ったときのことです。座席は埋まっていたのですが、私たち夫婦が乗り込むと、勤め人と思われる若い男性と若い女性が、すぐに立ち上がって席を譲ってくれました。「そんな年寄りではないんだけどな」と思いつつ、「ありがとう」と言って座りました。
帰ってきて、羽田空港第3ターミナル駅から京浜急行に乗りました。前駅の羽田空港第1第2ターミナル駅から乗ってきた客で混んでいました。旅行鞄を引きながら私たちが乗り込むと、大きな旅行鞄を前にして座っていたアジアからきたと思われる若い観光客2人が、すぐに席を譲ってくれました。これまた「ありがとう」と言って、座りました。
品川駅で、山手線に乗り換えました。誰も、席を譲ってくれませんでした。

先日、小学校5年生の孫娘が、足にケガをしました。松葉杖をついて、母親と一緒に登下校しています。ある朝、通勤時に一緒になったのですが、丸ノ内線では誰も孫に席を譲ってくれません。
座っている人たちは、居眠りをしているか、スマホを操作しているか、ゲームをしています。まったく周囲に、関心がありません。目を上げた際に、松葉杖の子どもがいることを見ている人もいるのでしょうが、無関心です。日本人は親切だとか、おもてなしと言いますが、とてもそうとは思えません。

安心安全な日本社会をつくったのは、他者への思いやりであり、共助の精神です。この関係資本が弱くなると、安心安全な社会は壊れます。続く

街頭犯罪は20年で8割減

9月13日の日経新聞「交番「24時間体制」転換 街守り150年、人員配置見直し」から。

・・・警察庁は原則24時間体制だった交番・駐在所の運用を見直す方針を決めた。交番は3交代制、駐在所は住み込みが中心だったが夜間は無人となる日勤制を認める。犯罪の舞台が街頭からインターネットへと移行するなか、効率的な人材配置が必要と判断した。治安を守る要として長年機能してきた地域警察活動の転換点になる。
警察庁は交番や駐在所について定める「地域警察運営規則」を13日に改正する。各交番・駐在所の具体的な見直し策は都道府県警が検討する。
改正規則は交番・駐在所について、必要がある場合にはいずれも日勤制の地域警察官により運用できるとした。地域の状況や人出に応じて、ワゴン車による移動式交番や警察官が一定期間常駐する臨時交番を開設できるとする規定も盛り込んだ。
交番は1874年に警察官が交代で立つ「交番所」が東京にできたのが始まりで、1880年代に24時間体制になったとされる。パトロールや落とし物の受理といった業務に加え、事件が起きれば現場に急行し初動捜査も担う。2024年4月時点で全国に交番は6215カ所、駐在所は5923カ所ある・・・

・・・見直しの背景には犯罪情勢の変化がある。23年の刑法犯認知件数は約70万件で、戦後最多だった02年(約285万件)と比べ7割超減った。なかでも地域警察官が警戒するひったくりや車上狙いといった街頭犯罪は02年から8割減の約24万件に抑え込んだ。
一方、近年は特殊詐欺やSNS型投資詐欺・ロマンス詐欺、サイバー犯罪といったインターネットや電話を通じた犯罪が増えている。各警察では摘発に向けこうした犯罪に対応する部門の陣容を強化している・・・

明文化されていない規則に縛られる

9月11日の朝日新聞オピニオン欄「「ルール守れ」に縛られ」から。
・・・法律や規則、明文化されていないマナーまで、社会には様々なルールが存在する。大事だと分かっていても、「ルールを守れ」の声に息苦しさを覚えることも。その背景を考えてみる・・・

住吉雅美・青山学院大学教授の「攻撃、嫉妬と不公平感から」
・・・ルールとは本来、集団生活の中で秩序を守るためのものであるべきで、個人を殺すものであってはなりません。ですが、日本社会では人を攻撃する道具のように使われることがあり、個人がルールにがんじがらめにされてしまっています。

慣習、モラル、エチケットなど、ルールにはさまざまなものがあります。最も権威があるルールとして思い浮かべるのは法律でしょう。国家権力によって強制され、改廃したり違反などをめぐる争いを解決したりする権限が誰にあるのか、明確に定められている。ただ、法律も長い時間をかけて培われた社会の慣習やモラルが下地になっており、数あるルールの中の一つにすぎないとも言えます。

日本の特徴は「法律未満」のルールの拘束力が非常に強いことです。明文化されていないものも多く、そもそも誰が何のためにそのルールを作ったのか分からなかったり、強制力が一律ではなかったりするため、ルールの解釈や違反をめぐる争いが起きたり、恣意的に適用されたりするややこしさがあります。
例えば、コロナ禍で政府はマスク着用を義務付けてはいなかったのに、着けていない人を責める「マスク警察」が現れました。公共施設などでは、やらないで欲しいことを伝えるために「お控えください」といったあいまいな表現がよく使われます。それでもほとんどの人が従っている。不倫した有名人が、再起不能になるほどバッシングされるのは当たり前の光景になりました。要請やモラルが社会の同調圧力によって強い縛りとして広まり、時に法律以上に厳しいまなざしが向けられています。

厳しさの背景には、嫉妬と不公平感があると私は考えています。「自分は守っているのに」「自分は我慢しているのに」という思いが、逸脱者への攻撃という形で強い制裁になっている。SNSでは、実は少数の執拗なネットユーザーに起因するという説があるものの、「自分こそが正しい」とばかりに「ルールを守れ」という側の声があふれ、異論を差し挟めない状況に陥っています・・・