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社会

日本語に守られる日本的思考

新聞には、論壇誌を紹介する欄があって、1月に一度、各論壇誌から主な論文を紹介しています。たくさんの雑誌に目を通す時間のない私たちにとって、便利なものです。ところで、読売新聞には、「海外メディア」の欄があって、海外の雑誌や新聞の論説を紹介しています。ハタと、思い当たりました。多くの日本人は、国内の新聞と雑誌しか、目を通していないのですよね。
もちろん、英字新聞や雑誌に目を通している外国通のインテリも、たくさんおられるでしょう。しかし、政治・行政・経済界で、毎日定期的に幅広く海外メディアとその論説に目を通している人は少ないでしょう。自らの本業関係には、それぞれ目を通しておられるでしょうが。
すると、どうしても、国内だけの視野と発想になります。政治・行政そして学界(文系)・メディアが、日本語=日本国内だけの世界に閉じこもっていることを、私は「日本語という非関税障壁に守られた世界」と、表現しています。
読売新聞のほかに、インターネットの会員制情報誌「フォーサイト」に、会田弘継さんが「国際論壇レビュー」を書いておられます。なるほどと思うことが多く、勉強になります。

思い込み、男女の区別

日経新聞連載「Wの未来、男も動く」8月8日の記事から。
・・「皆様、離陸いたします」。全日本空輸の客室乗務員、二川恒平(27)が着席すると、近くの男性乗客が舌打ちした。「女性の客室乗務員と話すのを楽しみにしていたのに」。つぶやきが聞こえたように思えた。全日空の客室乗務員約5700人中、男性は7人・・
浜松市職員の保育士、藤田耕介(28)が2007年に新人配属された郊外の公立保育所は、職員約20人のうち男性は藤田のみ。男性用の更衣室もトイレもない。女性同士の話題に加われない。物珍しさから、近所の住民が次々のぞきに来る・・厚生労働省の調査では、保育士のうち男性は3%弱・・
ありそうなことだと、思います。私たちの思い込みが、いかに強いかの例です

岩波新書読者の高齢化

岩波書店PR誌『図書』8月号、佐藤卓己さんの「『図書』のメディア史」に、次のようなことが載っていました。
岩波新書の読者アンケートが、1970年、88年、95年に実施されました。調査結果では、読者年齢の頂点が、20代から30代、40代へと移行しています。特に20代が占める割合は、25年間で31%から8%に減ったそうです。
私も、新書のファンですが、読者の高齢化に、びっくりしました。若い人は、読まないのですね。今アンケートを取ったら、どうなっているのでしょうか。

複雑な事象を簡単に解釈する

朝日新聞7月23日オピニオン欄、内田樹先生の「2013参院選、複雑な解釈」。今日は、違ったか所から、別の鋭い指摘を紹介します。
・・とりあえず私たちの前には二つの選択肢がある。「簡単な解釈」(これまで起きたことが今度もまた起きた)と「複雑な解釈」(前代未聞のことが起きた)の二つである。
メディアは「こうなることは想定内だった」「既知のことがまた繰り返された」という解釈を採りたがる。それを聴いて、人々はすこし安心する。「明日も『昨日の続き』なのだ」と思えるからである。「うんざりだ」とか「やれやれ」という言葉は表面上の不機嫌とは裏腹に、内心にひそやかな安心を蔵している。「何も新しいことは起きていない」という認知は、生物にとっては十分に喜ばしいことだからだ。
だが、システマティックに「やれやれ」的対応を採り続けた場合、私たちは「安心」の代価として、「想定外の事態」に対応できないというリスクを抱え込むことになる・・
他方で、これまでと少し違ったことが起きると、「想定外だ」「前代未聞のことだ」というラベルを貼ることも多いです。そして、しばしばそこで思考が止まってしまいます。すなわち、「想定内だ」も「想定外だ」も、複雑な事象を簡単に解釈し、納得してしまう魔法の言葉なのです。
実際は、「想定内のこと」であっても、じわじわと地殻変動が起きている場合もあります。「想定外のこと」であっても、冷静に振り返れば、その予兆があったのに見過ごしていたことも多いです。
しかし、人間は、一つひとつの事象を詳しく検証している暇も体力もありません。ひとまず、「これは前にもあったことだ」か「これまで予想もつかなかったことだ」と言い聞かせて、次に進むのです。

パラダイム

中山茂著『パラダイムと科学革命の歴史』(2013年、講談社学術文庫)が、とてもおもしろいです。
パラダイムという言葉がよくわかるとともに、科学が「絶対的真理」として存在するのではなく、社会による認知や受け入れによって存在するものであることが、よくわかります。バビロニアと古代中国から説き起こし、平易な言葉で科学の進歩とは何かを説明してくださいます。
同じく講談社学術文庫の、野家啓一著『パラダイムとは何か』(2008年)も読みましたが、野家先生の本はクーンとパラダイムの解説であるのに対し、中山先生の本は、パラダイム転換と通常科学から見た学問の歴史です。いろんなことを考えさせてくれます。例えば、学閥と学派はどう違うか、大学は学問の進化を進めるのか阻害するのか。
私は、この本を読みながら、「ものの見方の枠組み」「組織での発想の転換」などを考え直しています。もっと早く読むべきでした。でも、このような文庫本の形になったのは、先月ですから、仕方ないですね。お勧めです。社内で改革を唱えつつ、実現せず不満を持っている方に、特にお勧めです。
パラダイム」という言葉は、アメリカの科学史学者のトーマス・クーンが1962年に唱えた、科学史での概念です。クーンによれば「一般に認められた科学的業績で、しばらくの間、専門家の間に問い方や解き方のモデルを与えてくれるもの」です。
パラダイム転換や科学革命は、これまでの科学者の間での通説を壊し、新しい見方を提示します。天動説から地動説への転換のようにです。パラダイムの転換に成功すると、続く学者たちは、その枠組みで実験や観察を繰り返し、より精緻なものとします。クーンは、それを「通常科学」と呼びます。
クーンは、後にこの説を捨ててしまいます。しかしクーンの手を離れて、パラダイム転換という言葉は科学史以外でも用いられ、有名になりました。極端な場合は、「通説になったものの見方」としてです。いろんな分野で改革派が「旧来の考え方を、打破しなければならない」として、パラダイム転換を唱えるのです。経営学や評論で、多用されます。私も、よくこの意味で使っています。
この項続く。